同期:西辻一真と共に過ごした社会人一年目
親友
私には親友と呼べる数少ない大切な友人がいます。彼彼女が困っている時、損得勘定なしで、そいつのために助けられる。僕の中では親友とはそんな存在です。そして、カズマは僕の中でそんな存在です。
ネクスウェイ同期入社
2006年、ネクスウェイに同期で入社しました。私とカズマは配属された部署も一緒で、お互いビジネスなんて全くわからずダメダメな1年目だったんじゃないかな?って思います。営業目標は達成できないし、社会人としてのマナーもほとんど知らない。そんな2人でした。お互い自分の出来なさ具合に悶々としていました。やりたい事や、変えたいことがあるのに、スキルも人を巻き込む説明力もままならない。ただ、気持ちだけが空回りをしていた。輝かしい新人とはかけ離れた一年目だったと思います。
多様性を許容してくれる会社:ネクスウェイ
2006年頃のネクスウェイは混沌を許容する感じがどこかありました。カズマは、朝会で「ムクムク体操」という謎な体操をしていたし、会社で靴を脱いで靴下で歩き回ってた。私は私で、先輩に仕事を手伝ってもらっても右手を軽く上げて「Thanks」と言う始末。今、こんな新人が社内にいたら私がハラハラすると思います。その意味では、こんな訳の分からない社員をよく雇ってくれたとお互い思っています。上司は私たちの強みを伸ばしてくれようとしてくれました。8年経ち振返ってみるとネクスウェイは多様性を認めてくれる会社だなぁ。と改めて思います。
志と現実
入社時からカズマは、『日本の農業を変えたい。』と言っていました。私は私で『歴史に名を残す』ということを言っていました。でも、日々やっているのは、ネット広告やFAXサービスの営業。まだ、私たちは目の前の仕事と自分の夢を紐づけることが弱かった時期でした。目の前のお客様の対応で謀殺さており、少なくとも私は目の前の仕事に謀殺されているだけではダメだと思っていました。目の前の仕事には全力でやりつつも別の何かを見つけなければと。気持ちだけが焦っていました。でも、『何か』がピント来るものがありませんでした。カズマはいち早くそれを察して、動いていました。仕事を業務時間中に全力で集中して行い、夜はWEBの知識を身につける夜間スクールに通っていました。
卒業
その日は突然訪れました。それまで二人で飲んだことは、なかったのですが、カズマが突然、『ゴロー(私の会社のあだ名)今日空いてる?』『六本木に良いところ見つけたから、ちょっと二人でいかへんか?』と誘ってきました。六本木のワンルームマンションを改装した「イモアライ」というバーだったと思います。私はお酒が飲めませんがとても心地よい空間でした。右手に六本木ヒルズ、左手に東京タワーを眺めながら始めはたわいもない話をしました。
そして、「オレ、ネクスウェイ卒業するねん。」みたいなことをカズマが言ってきました。私はそれほど驚かず、「あ、そうなんだ。」みたいな返答をしました。多分、私は心のどこかでカズマはいつか卒業するんだろうなぁ。って思っていたので驚きが少なかったと思います。それよりも、次にカズマが何を手がけるのかが気になりました。
7年経て
カズマが卒業して7年。彼は成功し、挫折もし、それでも持ち前の笑顔をいつも見せて前進している。カズマの動きはいつも僕を励まします。彼の活動が無言で語りかけてきます。「で、ゴローはどうするの?」って無邪気に聞かれている気がします。「オレは今こうだぜ。」って結果で伝えたい。そんな気持ちがあります。お互いのフィールドは変わってもお互いを意識して切磋琢磨して、いつかどこかでカズマと仕事をできたら面白い事が起こせるんじゃないか?と思っています。私の中で同期や親友というのはそうい存在なんだと思います。馴れ合わないけど、志を供にする。
つづく
カズマとの想い出は、いろいろあり、書き出したらキリがありません。例えば、台風の日に、カズマがずぶ濡れになり傘が裏がえり、眼鏡にヒビが入り帰って来た話とか、お客様にご迷惑を掛けて、真剣に「切腹最中」を買ってお詫びに行ったけど、緊張のあまり一言も話せず、「切腹最中」を差し出したところ、手に汗をかき過ぎて、「切腹最中」の熨斗が汗でぐちょぐちょになりお客様に哀れまれた話とか。書いたら切りがなさそうなので、「詳しく聞きたい」って方がいましたら、別途書きたいと思います。
株式会社マイファーム
マイファーム 荒地からの挑戦
-農と人をつなぐビジネスで社会を変える-
西辻一真著
株式会社ネクスウェイ
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