生きづらいと感じているすべての人に宛てるインドからの手紙
そして、彼女らの受けた施しの一部を賃料として巻き上げる。
貧困商売に他ならない。
子供がいる母親は、子供をブローカーに貸し出すことで、収入を得ることができる。
当然、障害児は相場もいい。
これが需要と供給の法則。
インドは、人はどうしたって、生きる気力さえ失わなければ生きていけることを、尊い血を流して教えてくれた。
これらはまだまだインドで見たものの一部に過ぎない。
IIX
今アルジェリアを走ってる。
今いる町は気温は45度。
今回もっとも暑い地点。
これまでになく親切な国で、ただでいいホテルが泊めてくれたり、食堂がただで食べさせてくれたり、果ては人から施しを受けたりと、お金が減らないどころか、増えているという不思議な現象が起きている。
さらに数日前から警察のエスコートを受けながら走行していて、宿泊費、食費はすべて警察が出してくれてる。
写真はコンスタンティーヌの大峡谷とそこにかかる橋。
アルジェリアは美しい地中海のビーチリゾート、フレンチコロニアルの街並み、壮麗な古代ローマの遺跡、広漠なサハラと、数々の魅力を湛えた非常に美しい国。
そして信じられないほどのホスピタリティ。
これまで旅してきたどのイスラム諸国にも比して敬虔で、親切。
高度な車社会、ネット社会ではあるけれど、心は純真。
IX
なぜ旅をするのか、よく聞かれる。
これを分かるように説明するのは非常に難しい。
では、質問が変わって、なぜ自転車なのか。
これもまた難しい。
自転車が好きなわけでもないし、苦しいのが好きなわけでもない。
ひとつ言えるのは、恥ずかしいから。
旅ができるご身分であることが恥ずかしくて、申し訳なくて、だからせめて、自分の足で、自力で、彼らの世界の隅にこそっと入れてもらいたい。
ちょうど、山に行くときのミニマム・インパクトみたいに。
それなのに自分より貧しい人たちから施しや親切を受けたりして、穴があったら入りたいほど恥ずかしい。
だからただ楽で楽しいだけなのも申し訳なくて許せない。
どうしても何かそれに比する苦しみが伴わないと、落ち着かない。
結果、漕ぐ。
最近は、旅を点ではなくて線に広げたいといういい言い訳を思いついて、重宝している。
旅に出たきっかけは。
中学と高校の温度差。標高差。
社会の底辺のどぶねずみが上流階級に入ってしまったときのあの違和感。
生まれたときから、一寸の疑いもなく、陽の当たるところだけを歩き続けていく人々の中に入ったとき、ここだけは違う、と感じた。
知らなければよかった世界。
交わるべきでなかった人種。
知りすぎて、同じ気持ちで元の領分に戻れなくなった。
それ以来、心の居場所がないから流れ続けている。
というと聞こえが悪いが、アネモネみたいなんです、というと詩的だ。
旅が好きかと聞かれれば、答えは、嫌いではない。
他よりましだから、やってる。
他にやりたいことが分からないから、やってる。
旅のいいところは、とかく忘れがちな生きている実感をし続けていられる。
毎日違う天井を見上げて目を覚ます。
ときには星空を眺めながら眠りにつく日もある。
毎日が新しい。
とくに自転車は事故の危険が大きく、眠ろうと寝袋に身を横たえたとき、きょうも無事に生き抜いたことを実感する。
路上には動物の轢死骸が非常に多く、いつも死がよぎる。
同じようなことをこなすルーティンな毎日からは得られない感覚がここにはあった。
これを僕は、生のリアリティと呼びたい。
日本にいると自分が生きている実感、生のリアリティを感じることは少ない。
チベットを走ったのも、被災地に行ったのも、極限に片足を突っ込んで生のリアリティを取り戻すことが根底にあった。
僕の人生の原則、主題はすべてここに収斂すると言ってもいい。
X
何して生きていこうか。
生きることと食べることと働くことをイコールで結びたい。
チャリ旅と同じだけの生のリアリティを通奏低音のように感じ続けながら、惰性に流されたルーティンでない毎日を、手抜きせずに生きていきたい。
これは理想で、たぶん日本という温室育ちの僕には、できない。
ちょうど、僕があのどこまでも澄み切った心をもったムスリムにはなれないように。
幸せなことに、僕は、自分が幸せだと、胸を張って言える。
自分がしてきたことも、していることも、これからしていくことも、全部知っているから。
どうしてそれをしてきたのか、しているのか、していくのか、全部自分の言葉で説明できるから。
僕にはそれで十分。
満ち足りる、という美しい響きを忘れてしまった現代日本の尺度に照らせば、見当違いの幸せなのだろうけど。
一体みんな、あと何と何が揃えば、満ち足りるのだろう。
XI
もちろんこういう危機意識からすっかり目をそむけても幸せに生きていけるだろうし、むしろ日本で生きるにはこうした問題から積極的に目を逸らしていかないと、正気を保てないかもしれない。
だいたい、これをきれいごとだ、と唾棄してくれる人たちがいるから、僕みたいなアウトローが生きていけるのだから、感謝しなければならない。
ただ僕の人生がそっち側になかった、というだけの話なのかもしれない。
以上、僕はこういうことを考えながら、こういう原風景を抱きながら、生きています。
質問の答えにはなっていないですね。すみません。
批判や異論は多々あるでしょうが、参考になればと思い書きました。コメント一切不要です。
一か月後にはスイスに戻りはたらきます。
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