プロの声楽家・M君に会うと、いつも自問自答する。「お前は毎日、何かのトレーニングを自分に課しているか?」

4歳年下の従弟、M君の話を書いておこうと思う。


M君はプロの声楽家だ。国際基督教大学(ICU)を卒業した後、東京芸術大学の声楽科へ入学した。男性の声帯は20歳を過ぎるまで不安定だから、声楽のスタートとしては決して遅いことはないのだ、と言っていた。


芸大を卒業する時には各専攻の主席に与えられる安宅賞を受賞した。そして「ヨーロッパ言語とベルカント唱法」という修士論文を書いて6年間の芸大生活を終えた。その後は国内外の演奏会に忙しく出演していたようだ。結婚をし、女の子が生まれ、その二人ものちに音楽の道を歩むことになる。


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久しぶりにM君と再会し、じっくりと話し込んだのは、僕が40歳の頃だった。


彼は当時、演奏会やオペラ公演をこなしながら、30人ほどの生徒に声楽の個人レッスンを行っていた。ICU教会の聖歌隊の指揮者をつとめ、音楽専門学校の非常勤講師として「ビートルズの音楽性」という授業も持っていた。


同じ頃、彼はペレストロイカ後のモスクワへ単身入り、教会に秘蔵されていたロシア正教の賛美歌の譜面を大量に持ち帰って日本で出版した。それは日本経済新聞の文化欄で大きく紹介された。つまりその頃がM君にとって、声楽家として脂の乗り切った時期だったということだ。


居酒屋で再会し、酒がまわるほどに、M君は饒舌になった。楽譜を数式に置き換えるとどうなるか。美しい数列は音楽としても美しい響きになるのは何故か。二期会(1952年に結成された声楽家団体)に所属する声楽家はなぜダメなのか。音楽におけるグルーヴとは何か。そんな話を延々と続けた。


居酒屋を出て、二軒目にカラオケバーへ行った。「俺はプロの声楽家だけど、カラオケでもムッシュ寺澤(彼は僕をこう呼んだ)には負けないよ」というM君の挑発に乗せられたからだ。彼はいつものベルカント唱法を封印し、サザンやユーミンを歌ってくれた。でも正直に言うと、カラオケは僕の方が巧いと思った。


しこたま酔っぱらった別れ際、M君がボソッと呟いた。

「ムッシュ寺澤、カラオケで終わる人生でいいの?」

「えっ、どういうこと?」

「歌が好きなら、その奥義を究めたくないかということですよ」


そんな話の流れで、月2回の個人レッスンを受けること、彼が指導するICU合唱団に入ることを、何となく承諾していた。


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M君の個人レッスンは、他にはない変わった手法だと彼は言っていた。他の指導者を知らない僕には比べようもないのだが、たとえば「頭蓋骨の後ろ側に声を当てろ」「鼻骨をもっと前に出せ」という、訳のわからない指導法だった。カラオケ風の歌い方をすると、「ムッシュ寺澤、その気持ち悪いビブラートは止めて!」ときつく叱られた。


合唱団の指導方法も、やはり変わっていた。下で点を打つようなリズム重視の指揮は軍楽隊の名残だと批判し、腕を渦巻きのようにぐるぐる回す指揮の仕方をした。それが音楽本来のグルーヴ(ノリとでも訳すべきか)を引き出す最良の方法なのだと力説した。


再会から1年後の12月、三鷹にあるICU教会で合唱団のクリスマスコンサートが開かれた。黒人霊歌、スコットランド民謡歌曲、ロシア正教の賛美歌など、素人の合唱団としては欲張った演目だった。


教会特有の豊かな残響音のなかで、僕はそれまで感じたことのない至福感に浸っていた。特にロシア正教の賛美歌のハーモニーは、それまで聞いたどんな和音よりも美しかった。ロシア正教聖歌の特徴は、オルガンすら使わない完全無伴奏合唱曲(いわゆるアカペラ)であること、そして通常の男性Bassバートのさらに低い音域を担当する「オクタビスト」というパートが存在することだ。(たとえばラフマニノフ:晩祷) 合唱団の重厚なハーモニーに包まれながら、得難い経験を授けてくれたM君に僕は心から感謝した。


そしてその半年後には、彼の教え子の一人として、あるホールで開かれた演奏会でピアノ伴奏をバックに一人で歌った。トスティのイタリア歌曲と、シューベルトのドイツ歌曲を歌った。念のために手にした楽譜が、緊張で小刻みに震えるのがわかった。原語にもっと精通すること、そして声量を格段に上げなければならないことを課題として認識した。それでも歌い終わった後は満足感に浸っていた。



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それから、さらに数年後。


M君は、御茶ノ水のニコライ堂で有名な日本正教会東京復活大聖堂に移籍し改宗した。もともとクリスチャンだったのだが、ロシア正教聖歌の真髄を究めるためにあえてそうしたのだという。奥さんとは離婚していた。奥さんは二期会でアルト奏者として頭角を現し、活動範囲を広げていた。離婚の理由を尋ねる僕に「目指す音楽性の違いだよ」と、驚くような説明をした。


M君のブログを読むと、彼がたどった思索の一端が見て取れる。「ピュタゴラス派とアリストクセノス派の論争と東西教会分裂」、「教会分裂後のローマ教会と、明治維新後日本の共通点」、「グルーヴの本質としての電磁誘導」等々、一般の人には(当然僕にも)極めて難解なテーマばかりだ。でも、リベラルアーツの宇宙を自由に飛び回り、自分の音楽観を必死に探し求めている姿勢は伝わってくる。


M君には会社勤めの経験がない。酒を飲むと、芸術家特有の社会性のなさを露呈することもあった。しかし彼は一心不乱に自らの音楽観を究めようとしている。その純粋さは痛いほどわかる。


僕には彼の音楽観を批評することなど出来ないが、でもそれが決して贋物ではないことはわかる。M君は決してメジャーな音楽家ではない。むしろ日本のクラシック音楽業界の中では異端ともいえる存在だ。しかし時代の風向きによっては、あるいは腕の立つプロデューサーとの出会いがあれば、彼が脚光を浴びる日がくるのではないかとも思う。彼はそれを望んでいるわけではないだろうが。


「声楽って、やっぱり最後は感性やセンスという才能に行き着くのかね?」

と尋ねる僕に、M君は

「いや、99.9パーセントは毎日の練習ですよ」

と答える。


薄皮を一枚ずつ重ねていくように、毎日のトレーニングで自分の身体を楽器として磨き上げる。そして自分の心に錘を垂らすように、自らの思索を掘り下げる。そうした日常があって初めて、彼が考えるグルーヴの世界に近づけるのだろう。


彼に会うと、「お前は毎日、何かのトレーニングを自分に課しているか?」と、いつも自問自答している。


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