アメリカ転勤での経験と学び☆彡

・・何よりも苦労したけれど、楽しい思いでもたくさんあるのが英会話。いろんな伝説!?を最後にご紹介します。

はじまりは一本の電話から

約6年ほど癌の研究や治療に携わったある日、仕事中、内線がかかってきた。「えっと、来月から3年ほどいってきてください」と一言だけの社長の言葉が衝撃的。。。いきなりアメリカのPhiladelphia(ペンシルバニア州)にいくことに。人生が一変した。1999.2.22 フィラデルフィアへ出発。平日にもかかわらず、会社を休んで親友が内緒できてくれていた。空港で放送で呼び出され、ビックリ!2人とも別々の友達。一人は山梨から、一人は茨城から。これには心に響いた・・

お葬式で悲しむ必要はないかもしれない

少したったとき、アメリカで一緒に働いているドクターの親がおなくなりになりお葬式に参列。はじめて教会のお葬式。お葬式といえば必ず泣く私だが、それとは違う感情でいられた。「泣かないで。悲しまないで。私はここにはいない。天国にいって、遠くから見ている」「しあわせな人生を送ったから、満足」という内容がかかれていた紙を受け取り、何度か読む。お葬式=悲しいはひとつの概念にすぎないことに気付く。しあわせな人生を終えたことを悲しむ必要はない。悲しむ事は、むしろ失礼な事とも思えた。

道は開ける で道が開けた

アメリカ生活のほとんどは孤独との戦い、言葉の壁、仕事のプレッシャー。おしつぶされそうになる。。。家ではテレビが映らなかったので、日本から送られてきたビデオ(オーバータイムと、やまとなでしこ)を毎日毎日繰り返し見続けていた。家でも毎日実験のまとめと、翌日の準備。辛くて辛くて毎日泣いていたが、泣いても涙は枯れない…。ダメダメ人間の私を救ってくれたのは、友達の手紙やコトバと、そして、上司の貸してくれた、Dカーネギーの「道は開ける」という本。ここで、解釈をかえる、考え方をかえる ことの大切さに初めて気付けた。

適当なところ、嫌いじゃない

しばらく、寮で生活していたが、2000.7. 初めてアパートに住むこととなる。部屋の鍵2個と、ポストの鍵2個預かるも、そのうち2個はあってなく…アメリカの雑さにビックリする。。。でも・・・私、この適当さが嫌いじゃなかった。

意外な展開へ

約2年間の生活の中で、本場の「研究」の厳しさに触れる。マニュアルを作ったり、価値ある経験迄させていただいた。精一杯やった結果、得たことはたくさんあった。一番の収穫は研究の職を辞めることを決断したこと。こだわっていたものを捨てる選択が、あっさりできるようになった。
     ・・・つづきはまた。

英会話の面白話

◆アメリカでいえば外国人の私に、皆の会話が早すぎる。。「英語が苦手です」と言い訳をしてから会話をしていた私。
何度も言っていたら素晴らしい発音になっていたようで、ある日、ビデオやさんのバイト少年にげらげら笑われる。
「おいおい、ちょっと皆来てよ。この子、英語話せないって、流暢にしゃべってるんだけど!」
赤面で、ダッシュで家に帰りました。
◆エレベーターで、dogとかcatとかいきなりいわれたけど、何何??
→土砂降りで、すごいわね、という会話でした(笑)
(It's raining cats and dogs)
◆チキンウイングを頼んだら。「ほったまい」と言われる。よくわからず、いつもの「Yes!」で乗り切ろうとした私。定員さんは「No!!!!ほったまい」こんな会話の繰り返し。
→チキンの味つけはどうする?って(Hot or Mild?と聞いていたのでした)
◆サンドイッチ屋さんで、チキンサンドイッチを頼んだのに通じない。
→確かにサンドイッチという発音は難しい。けれど、サンドイッチ屋さんなんだから、迷わず「OK!」でしょ。
◆フリーダイヤルで、リスニング練習。
電話の会話は特に難しい。。。ということで、フリーダイヤルにかけては、リスニングの練習をしていました。
◆ある日ドクターが研究室にやって来る。
日本語でも難しい操作法と、原理の説明を私が担当することに。・・意味がわからない。が、究極困った時は意外とできるもの。自分でもびっくり。

みんなの読んで良かった!