23歳、社会人1年目の僕が“うつ”で死にそうになり、8コ上の萌え声お姉さんの「そっか、あなたは○○をしたかったんだね」というたった一言に泣き崩れ、生きる活力をもらった話。

2 / 5 ページ


そうやって、先輩は言うけれど。いや、仕事が出来なかったわけではない。むしろ、アウトプットの出来はそんなに悪い方じゃないし、褒められる事もあった。問題は「分からないことを、聞けないこと」だった。分からない事や出来ない事があると、急に冷や汗が出てきてしまう。




そして、出来なかった事などは、誰にも言えずに黙り込んでしまう。ずっと黙り込んでしまい、ついには話さなければならなかった連絡も、後手に回ってしまい、後になって、怒られる・・という始末。「報連相をしっかりして欲しい」と、上司には言われる。おっしゃるとおりだ。でも、分かっていても出来ない。





人が、怖い。自分は何をやっているんだろう・・・





必死にやっても、どうしてもこの状態が続く毎日が、そして自分のせいだと分かっている事が本当に辛くてたまらなかった。そして。




2010年1月、気付けば僕は山にいた。



いきなり、山?そう、山である。事の流れを見て行きたい。



僕の状態は凄まじく荒れていた。何とか社会人1年目を乗り切ろうと必死だった自分。こういった状態も、いずれ過ぎれば、解放されるだろうと信じて毎日を生きていた。



僕は、そんなに頭がよくなかったけど、他のところで誰かに認められるような居場所があった。部活動やサークルで、いじられたり、ちょっとカラオケがうまかったり…でも、今回はそれが全くといってない。



仕事もダメ、コミュニケーションもダメ、飲み会も面白くないヤツ。




そうなると、自分がいる意味がわからなくなる。信じていたものが信じられなくなる。「お前はダメなヤツなんだ」と毎日毎日、言われるようになっていく。ように思ってしまう。




それくらい「自分がいたら邪魔なんだ」と思わざるを得ない環境を、自らが作ってしまった。辛い。辛いなんて言えないくらい。誰にも話すことが出来ない。誰にも相談する事も出来ない。不安と怒りと悲しみと色んなものが溜まっていく。






何とか2009年を乗り切って、2010年がスタートした。その2週間後くらい。つまり1月中旬位だったと思う。いつも通り寝不足のまま(もう、この時は睡眠時間は3時間もない)起きてスーツに着替えて車に乗って、地元の駅まで行った。




そして、いつも通り駐車場に車を止めて、車の中で一休みしてから、シートベルトを外そうと、、するんだけど。




体が動かない。そして、前が、見えない。



恐怖で震えが止まらない体。片手にもって天井にあげた携帯電話がにじむ。違う。自分が涙が出てきてしまって、視界がぼやけているんだ。



限界。



ぷつんと、糸が切れてしまった。もう何もかも嫌になってしまった。とりあえず会社には、体調不良で休むことを伝えた。




でも、家族には言えない。悩みながらも、「自分でやりたい事だ」と伝えた道。その会社に行けないなんて事を言ったら、親もどう思うのか分からない。




そのとき、時刻は朝の10時。会社から家に戻るのは、基本終電の0時くらい。12時間もある。





そして、あてもなく車を走らせて、僕はとある埼玉奥地の、山に着いてしまった。



あぁ、ここ、おじいちゃんの実家だ。



そう、ここは、僕の母方のじいちゃんの田舎。その近くの山だった。山と言えど神社であり、小さい頃はよく頂上までのぼり、二礼二拍手一礼のお参りをした。




とりあえず、のぼろ。




周りは、小柄なおじいちゃんとおばあちゃんがポツリといるくらい。そりゃあそうだ。正月も過ぎてこんなところに熱心に来る人なんて、早々いない。




そして僕はスーツ姿で泥まみれの階段をのぼる。ひんやりした冷気に、頭も心なしか楽になった気がした。いわゆる森林浴なのだろうか。





頂上に着く。何をお願いすればいいんだろう。生きたくも死にたくもない23歳。我ながら笑えた。




神様の前でも、報連相が出来ないんだな。。




こりゃあバチが当たるなと思った。でもお陰さまで、少し動く気力はもらえた。そして自分の現状を改めて自分で、受け取った。次の日も体調不良で会社を休み、メンタルクリニックに行った。そして、うつ症状という診断書をもらい、休職になった。







両親への伝達、そして号泣


著者の西勝 ユズルさんに人生相談を申込む

著者の西勝 ユズルさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。