分からないを「楽しい」 へ -人見知りが恐怖と向き合う-

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私は1人を好む人間です。

休みの日に友人と…なんてことは滅多になく。1人でぶらぶらしたり本を読んだり、そんな時間を好む人間です。

本屋をぶらぶらするのなんて、もう最高。並んでいる本を片っ端から読んでみたい、そんな衝動に駆られることもよくあります。


そんなタイプの人間ですが、一方で「1人にされる」ことには非常に大きな恐怖心を持っていました。

極端な話、1人にされる=生きていけないとまで。

これは始めから1人でいるのとは違います。1人にされる、にはそれまでのつながりが断ち切られてしまう感覚があります。

だから馬鹿にされること、低く見られることにも恐怖心があったりする訳ですが、それはまた別のお話。

では何故この恐怖心が根付いていたのでしょうか。キーワードは「人見知り」でした。


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ここで1人にされた経験についても軽く書いておくことにします。

思い起こせば色々あるのですが、その中でも小さい頃見たとある夢は強烈でした。未だに覚えているぐらいに。

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私は家族と一緒に祖母の家に来ていました。

食事の為2階から降りて行ったのですが、家族の姿は見当たらず。

代わりにそこにいたのは全く知らないアフリカ人でした。

怖くて逃げても、逃げた先にはまた別のアフリカ人がいて。

まるで家族が皆アフリカ人になってしまったかのようでした。

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実に怖い夢でした。あまり思い出したくないものです。

ともあれこんな経験があり。他にも大型スーパーで迷子になったり、暗い部屋に閉じ込められたり、数少ない友達との関係がこじれたこともありました。こうしたこともまた1人にされることの恐怖を強めていったのでしょう。


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さて、1人にされる恐怖の裏には何があったのでしょうか。

どのケースでもそうなのですが、私は人に頼れていないんです。助けを求めて切り抜けられていないんです。

それは何故かと言えば、極度の「人見知り」ゆえ。

知らない人に話しかけよう、なんてとんでもない。これまた恐怖心が出てくる訳です。反応が分からないから。


分からないから怖い。

分からないから怖い。

そう、

私は分からないことを怖がっていたのでした。

そう言えば受験生の時にこんな話を習いました。

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かつて世界はどこまでも続く闇のようであった。人間は得体の知れない恐怖に対処するため、物事に名前を付け世界を「分かって(分けて)」いった。

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頭の回転が速い方であり、比較的すぐ「分かる」私は一層この傾向が強かったのでしょう。ひょっとしたらアイデンティティを失う恐怖でもあったかもしれません。


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ここまで来た私は「分からない」を捉え直すことにしました。

「分からないから面白い」なんて言葉もありますが、その表現ではどうもしっくり来ません。

みんなの読んで良かった!