二度と行くもんかと誓ったインドが今では故郷となった話。そしてこれからも(2)

Delhi Apr.26,2006 18:00頃
デリー空港到着。カルカッタ行きにトランジットしようとしたら、それらしきロビーがないではないか。どこ?と聞いたら、”あっちに行け”と出口の方向をさす。でもどこにもDOMESTICなんて文字がみあたらない。とりあえず出口出てみたけど沢山の人、リキシャー、タクシー、バスでごった返してる。
あわてて地球の歩き方をみると なんと国際線と国内線のターミナルが離れていて、荷物受け取り場所で無料バスチケットをもらえるというではないか。戻ろうとしたら、入るのに60rpが必要という。ええ!お金両替してないよ~。


 というところにとあるインド人青年が日本語で”こんなところにいると誘拐されるよ”と話しかけてきた。彼のおかげで空港内に戻れることに。
 彼の名前はディップ(30くらい)。ダル(29)と一緒に20:30頃JALで着く日本人を迎えに来ているという。カルカッタでボランティアの予定だと話すと、ブッダガヤで孤児のための学校をやっていて人手が足りないから是非ともうちでボランティアして欲しい、と。
なんとなく、これはおもしろそう、その日本人とやらも会ってみたいし、と思ってカルカッタ行きを見送ることに。


その日本人は ミネハハ というソロシンガー。"人形の久月”等を歌ってらっしゃるCMソングの女王でもある。
とてもパワフルな、そして誰に対してもオープンな方。
http://www.minehaha.com/
ミネハハがその学校のスポンサーとなっているようだ。


ミネハハとお友達で画家でもいらっしゃる忍さんに混じって夜ご飯を食べて同じホテルに泊まることに。


帰り、路上でなにやら騒がしいと思ったら結婚式に遭遇。
着飾った花婿さんが馬に乗って花嫁さんの家に迎えにいく。
老若男女がぞろぞろ。前方にはドラム隊。ぴかぴか大判蛍光灯
を持つ人たち。カメラを向けると花婿さんがポーズをとってくれ、キレイな色とりどりのサリーを着た女の子が微笑む。


 ディップが "本当はJAL到着の時間に合わせてくるはずが早く空港についてしまった。そしてそんなところに君と出会った。ご縁なんだ。有難い”と。


 次の日は街中を散策したり、ガヤ行きの電車のチケットを取りにいったり、夕方は映画を見に行ったり。
デリーはほこりっぽい。そして街中を歩くと誰もが私をじっと見る。敵対心なのか、好奇心なのか。でもなぜか怖くないんだ。




AGRA Apr 28-29
ブダガヤ行きの電車に乗るのは4/29。時間もあるし、ディップに”そしたら比較的近いアーグラでタージマハル見たら?”といわれ、一泊旅行で行くことに。ついでにツアコンでもある彼にガイドしてもらうことに。


 とにかくインドの交通事情は悪い。というか牛も人も車もリキシャもとにかくわれさき、と進むのだ。ちょっとでも道が開くと割り込む。車線なんでおかまいなし。しかもスピードも速いし。絶対、事故るよ~ とおもってたら やっぱり事故った車を見た。


 デリーから車で約4時間。アーグラーに到着。
そしてさっそくタージマハルを見に行く。
 教科書でみるまんま!美しい!!
観光客は外国人はまばらでほとんどインド人。


 アーグラー城から見るタージマハルも幻想的そのもの。


 アーグラー城で説明してもらった現地ガイドのおじいちゃんは私の写真をよくとってくれたのはいいけど、いちいち場所とポーズを指定する。


 帰り。おしめもしていない赤ん坊を抱きしつこくバクシーシをねだる母親。どんなにおっぱらっても着いてくるので1ドルを渡す。
 (私)”?”


なんでこんなに乞食が多いんだろうねえ??
お金あげても現実問題なにも解決にならないんだよねえ、どうしたらいいのかね?
ディップ
僕もずっとそう思ってたんだよ。子供は教育を受けたら改善されると思うから、だから学校を始めたんだ


やけに熱いぞ。普段はちゃらちゃらしているが その話をする彼の目は澄んだ目をしている。だからあんたに着いて来たんだ。 



DELHI → BUDDHA GAYA Apr 29 30


再びデリーへ。
ホテルに戻ったらディップとダルの弟達がリラックスしていた。大学で中国語を勉強しているダルの弟と、日本語を勉強しているディップの弟。ディップの弟は私の教える日本語を見逃すまいとしてノートに書き込む。あまりにも一生懸命だからもっていた電子辞書をプレゼントした。
夕方ディップとダルと共にデリー駅へ。弟達も荷物を運んでくれた。私は彼らと車両が離れているので弟が発車まで一緒にいてくれた。”サリー着たらインド人に見えるよ”だって。かわいい弟達だ。


駅は人でごった返している。日本の通勤ラッシュと同様。
戦争だ。

17:00デリー発。
周りはおじさんばかりななか、女の子とちらちら目が合う。
彼女の名前はRimjhimちゃん。14歳。地元カルカッタへ父親と向かっている。ヒンディー語を教えてもらったり、一緒にご飯食べたり。(ご飯は列車のチケットでセットになっている。アイス付き!)周りの人たちもほほえましく私たちを見ていた。
朝4時に起床して、支度をする。そしたら彼女も起きて来た。
GAYAに着くまでの一時間一緒に起きてくれていた。眠いのにね。そしてお別れのとき。きゅっとハグしてくれて"次はカルカッタきてね!電話ちょうだいね!”だって。


 BUDDHA GAYAではホームステイすることになっており、ホームステイ先のサントス(21)が迎えに来てくれた。 


仏陀が悟りを開かれた聖地、ブッダガヤは本当田舎でのどかなところ。ホームステイ先も両親とお兄さん家族とその他の人たちが住んでいるところ。近所の子供達も普通に家にいるので誰がどこのうちの子なんだかわからない。が、とにかく無邪気。そして家族の人たちもフレンドリー。

落ち着いたら、いよいよ学校へ。
孤児で貧しい生徒120人くらいが学んでいる。
小学生3-6年生くらいのクラスにあきよちゃんたちと入ったら、みんなが "となりに座って!!”攻撃。みんな笑顔でちらちら。ノート進んでないよ。はいはい、ちゃんと勉強しようね~。
私たちは○付け係りをすることに。花丸をつけてあげたらみんなとっても気に入った様子。小学校の頃、花丸がとてもうれしかったことを思い出す。


休み時間カメラを向けると凄いことに。とにかく、私を撮って!撮って!撮って!攻撃。あんなに大人しいと思っていた子が実は自己主張が激しかったり。そして撮った写真を見せようとすると取り合いになる。おいおい、カメラが壊れるよう。
インドのこの時期は暑いからお昼には学校が終わる。


家でご飯を食べてからみんなでスジャータという娘が仏陀にミルク粥を施したというスジャータ村へ行く。本当に何もない田舎。ミャンマーとインドによる仏像がそれぞれあった。
ちょっと行くと雨季は川、乾期は砂漠という場所があり、とても幻想的な場所にたどりつく。普通のツアーではこんな場所まで行かないんだって。ここで瞑想したら悟りが開かれそうなほど澄んだ空間。
ここで椰子からとれる樹液で発酵された飲み物を頂く。なんとも不思議な味。酔いそう~。


夜は仏陀が悟りを開いたというマハーボディ寺院へ。幻想的。中に入ると金色に輝く仏陀が。
その途端、不浄のものがサーっと流れ落ちるのを感じる。
感無量というか、悲しいわけでも嬉しいわけでもないけど、とめどなく涙があふれる。
 仏陀の”もう大丈夫。あなたは守られている”という声を聞いたんだ。この旅、仏陀に呼ばれてきたんだ、と感じたんだ。
 


その後ミネハハ、忍さん、ディップ、ダル、サントス、学校のマネージャー、ディップたちと友達の岐阜に住んでいる日本人夫婦、あきよちゃん、靖枝ちゃん、学校にボランティアで一ヶ月来ている渉君大勢で晩餐会。
 ミネハハとディップ、ダルの熱い熱弁を聴く。


自分のためでなく他人の為に何ができるかと考えることで初めてエゴがなくなる


人生は一度しかないからやりたいことをやらなきゃ


息をしているだけで、生きているだけで人間は価値があるんだ


人は水だけで生きられるんだ。あきらめたらそれでおわりなんだ


ダルは11歳のときに親を亡くしてから弟と妹と乞食同然、一ヶ月ほど水だけで生活したことがあるそうだ。でも今はこうやって人並みの人生を生きている。彼の存在自体に説得力があるのだ。


(他にHPで彼らのことがかいてあるのを見つけたのでこちらもどうぞ。
私、彼らの、こんないきさつがあったとは知らなかった。


http://sinsei777.blog34.fc2.com/blog-entry-380.html

そんな彼らの言葉にまた涙うるうる。

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