人生は学歴で決まる【4】

人生は学歴で決まる

父が家にいなくなり、家はオレの天下になった。高校2年で多感な次期。些細なことで母にキレ、当たり散らした。ある時、オレの机の中身の位置がズレていた。本棚の下に隠したエロ本の位置も、微妙に移動している。母の仕業だ。恥ずかしさと盗み見された怒りで、来客中の母にみかんを投げつけた。別件でも何かでキレ、思わず居間の窓ガラスを叩くと、粉々に砕け散った。シマッた。母は弟を抱きしめ「もうパパが居なくなったのよ!・・・」と泣いている。

窓ガラスまで割るつもりはなかったが、バツが悪く、そのまま自室へ籠もった。ヒドい息子だ。いわゆる非行には走らなかったが、スーパーの雑貨コーナーで新品の財布に帽子を被せて万引き。本屋でも参考書を思わず手提げバッグに入れた。が、怖くなってスグに戻した。別にお金に困っていたわけではない。勉強のストレスからだったのか。

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月に一度ぐらい、母や弟に当たった。手や足は出してない。いや、弟は何回か叩いたか。力まかせに。高2と小6では話にならない。弟の貯金箱を壊し、お金を取った記憶はある。その件か別件か忘れたが、弟が「なんでこんなことするんだ!」と泣き叫んだ。のを、フスマ隔てた横の部屋で聴いた。サイテーだ。ゴメン。弟は何も悪くない。オレが100%悪い。が、知らん顔を貫く。

いつの間にか、母の本棚には「子供で悩む親の本」があった。わかる。が、題名を目立つように置きやがって!オレへの当て付けか!?と思ったが、効果はあった。その本の背表紙が目に入る度、少しは反省した。

※この30年後、弟には謝った。照れて短い言葉で。サイテーの兄貴だった。母には結局、謝ることも感謝することもできず、最悪の結末を迎えることになる。

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受験勉強は塾にも行かず、独学だった。また、当時は恋愛に夢中で、頭の中の半分はいつも彼女のことばかり。学年では350人中50番前後だったが、全国模試での偏差値は55前後。国立一期校や早慶も夢見たが、とても受かる見込みはない。

家を出たかったが、東京まで行く気はなかった。父が死んでもなんとなく家にはお金はありそうだったが、片親の子供らしく考えた。地元と親からは離れたい。が、遠くは関西までだ。お金がかかるから。さらに、国立が無理な場合、私立は偏差値上限+授業料が安い大学だ。

 実力に見合う長崎大学、関西大学、立命館大学を受験した結果、京都の立命館にのみ合格した。ちなみに全滅の場合、試験の遅かった国立二期の香川大学を受ける予定だった。当時の立命館は学長も共産党。貧しい労働者階級に合わせてか、学費も一番安かった。その後、いわゆる偏差値が上がってブランド大学の下位に食い込むようになったが、当時の、特にオレが受験した経営学部は偏差値も55前後。地元の福岡大学や西南大学と大差はない。

が、関西私立の雄「関関同立」と言われていたので、九州の田舎もんには「ほー、立命館。スゴイね」と言われ、オレにとってはちょうどイイ学歴となった。小倉西高の現役合格最高峰は、京都大学と同志社にダブル合格した天才・永友だけ。他は国立一期が広島大学に一人。東京6大学もゼロ。関関同立も永友とオレだけ。他は地元の私大ばかり。三流高校の中ではちょっとしたスター気分だった。

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ところが、同じクラスの末永が「佐賀大と立命館に合格したよ」と、教室で本人からボソッと言われた時、顔が引きつった。そんな自分に愕然とした。

まさかお前が?成績がはるかにオレより悪かったお前が?オレと同じ立命館だけでなく、二期とはいえ国立の佐賀大学まで受かるとは?

許せない!

永友は天才だからいい。最初から誰も追随できない。金メダルは永友だ。手放しで賞賛。さすがは永友。小倉西高はじまって以来の、最初で最後の現役で京都大学。やったねえ。それは心の底から・・でないかもだが、素直に祝福できた。素直な笑顔とスゴい!という言葉も出た。

そして、まさかの二番、銀メダルはオレだ。やった!

二流の小倉西で、実は裏口入学だったオレにしては立命館は大成功だ!目立った!やった!どや!

と思ったら、体育会のハンドボールでスターだったお前が、ハンサムなお前が、スポーツバカなお前が、学業でもスター?オレよりはるか成績が下だったお前が?オレと同じ立命館?さらに佐賀大まで?

なんで?!おかしい!そんなの喜べない!憎らしい!

というのが、顔がひきつった理由だ。

みんなの読んで良かった!