憧れという病気だった僕に
一昔前は、いろんな人に憧れていた。

ほとんど憧れという病気の慢性みたいな感じだった。
そういう人たちのところに出向いて、いろんなことを真剣にインタビューしたこともあった。
あなたは、どうしてそんなことができるのですか。
あなたは、どうやってそういう風になれたのですか。
大体は答えは決まっていた。
「たまたま・・・」「偶然・・・」「運が良かったのか・・・」「いつの間にか・・・」
そういう始まりだった。
つまり、巡りあわせや運や偶然がテーマだった。

その答えに私はいつも不満足だった。
私が聞きたかったのは、戦略やコツや、普通の人との違いだった。
それがわかれば、私もちょっとでもその人たちに近づけるから。
私の問いを押し出しても、彼らは「そういうことも大事だけど・・・」とやんわり私の試みを止めるのだった。
彼らが出し惜しみをしたとは思えない。
あるいは謙虚だったと片づけるのもどうかと思う。
やはり彼らは本音を言っていたと考えられる。
彼らは、たまたま、あるいはいつの間にかそうなっているのだ。
なぜなのだろう、と思った。
常人以上の力を出し切ると、振り返ればそういう偶然のように思えるのだろうか。
あるいは、彼らはそもそも才能が有るので、川の流れに身を任すように生きると、生かされる場に自然に流れ着くのか。
それとも、ただの謙遜か。

でも、戦略やコツや自信のようなものは、彼らにはおそらく少なくとも最重要ではなかった。
何かに変わるという結果が目的ではなかった、ということ。
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