3.11 in London
時差
あの頃の私と日本との距離はだいたい地球4分の1周。
時差は9時間。日本が3月11日を迎え、翻弄されていた14:46頃、私の体内時計はまだ5:46。バービカン・センターでのマーケティングのインターン業務に備えて深い眠りの中でした。
朝は友人からのメールから始まりました。
「たき、家族大丈夫!?日本、大丈夫!?」
飛び起きて、テレビを見ても、インターネットでニュースを見ても、わけがわからない。10年間の国外生活で何度も想像した最悪の出来事が目の前で起きていた。
日本が終わった。
故郷がなくなった。
私はただの地球人になった。
正直最初は本当にそう思いました。すぐにViberで家族の安否を確認し、それでも始まる一日に備えて混乱の中シャワーを浴びて、歯を磨き、フラットのドアを開け職場へ向かいました。
その時の私の心情は「混乱」以外の何でもなかった。
どうして私は職場へ向かっているのか。
どうして私はいつものようにPCを立ち上げその前日のマーケティングレポートを記入しているのか。
わけがわからない。
ずっと、NHKとTBSの放送していたUSTREAMを見ていた。どちらも同じ映像を流し出すとラジオ局を探して、facebook、twitter、新聞記事、ブログを読みあさり、友人1人1人の安否を確認し、頑なに手の届かない「現場」を感じようとしていました。
だってあの日の私を包んでいたのは、いつも通りのロンドンの重い空と乾いた空気だけで、世界はまるで当たり前に動いていたから。
ランチなんて喉を通らない。見えない、感じられない、その場にいないことの不安で、何も手をつけられなかった。
だからその日は早退。自宅でひたすらコンピューターと睨み合っていた。何時間も、何日も。
ロンドンの仲間
みんな私の家族の安否を気づかってくれて、何人もの人とメールと電話をしました。
facebookではメイン画面が一面
「My heart goes out to Japan」
ひたすら泣きました。
不安と現実と、優しさと混乱で。
あの日ほど、友人と恋人のサポートを重んじたことは無いかもしれないというほど、1人では耐え難い心情から、ひたすら泣いて泣いて、泣いた。
なんて自分は無力なんだろうっていう絶望感。
なんて命は儚く、人類も自然もあるがままなのだという再認識。
人間の持つ愛の力。
愛する人々亡くした人達の心情。
想像してみて。
もし、あなたがあの日、ロンドンにいたらって。
国籍とジャーナリズム、メッセージとメディア
2年間で驚くほど人生は変わる。
あの日の今日、私はまだロンドンの時間軸で生きていました。
2011年3月13日のindependent紙の表紙(このStoryの表紙)を見て、また涙を何リットルも流しました。
日本語で描かれた「がんばれ、日本。がんばれ、東北」のグラフィックの下には英語で"Don't give up Japan, Don't give up Tohoku"と書かれていました。
イギリスのジャーナリズムの粋と信念。
あの日、南三陸は自衛隊すら立ち入り禁止で、散らばった死体を避け、道を作ったのは地元の男達だったそうです。そんな中、日本のメディアは勿論立ち入ることはせず、山を自分達の足で乗り越え、いち早く現地に入り込んだのは、イギリスのBBCだと後々聞きました。
2011年3月13日、2年前の今日、私はミクシーに文章を書き残していました。
「日本人としてのアイデンティティーをこれほど意識した出来事はありません。 日本が大変なことになっているのに、私はいつも通りの日曜日を迎えようとしている現状に、違和感を覚えます。
今すぐにでも家族に会いたい。
安否を確認するだけじゃ足りない。
「大丈夫だよ」って言われても、どうしようもないこの距離が悔しくてたまらない。
国の外にいる人間の気持ちです。
だけど嘆いてはいられません。
今日のイギリスの新聞は、一社残らず表紙全面でこの大惨事を取り上げていました。 そしてそれは、イギリスだけではなく、ヨーロッパ、そして世界中で同じ事でした。
世界は今日本を見ています。
2011年を生きる私達は、こういう状況下でもう「無力」では無いと思います。 2011年を生きる私達には、インターネットを使ったmixiやTwitterやfacebookという世界中の人類と一瞬で繋がる事のできる「ソーシャルネットワーク」という「力」があります。
今や、新潟の田舎でつぶやかれたツイートをイギリスやアメリカのジャーナリストが見る事ができます。宮城県の中学生の声をフランスやブラジルやニュージーランドやオーストラリアで聞く事ができます。
エジプトで起きた大革命の裏には、世界中からのfacebookやTwitterを通したサポートがありました。 エジプト政府が国のインターネット回線を止めようとしたのは、それが今まで無力であった一般市民に、直接世界に繋がる「発言力」というパワーを与えてしまうものだと、分かっていたからです。
多くの翻訳者と通訳者が、日本語で流れる地震に関する情報をさまざまな言語へ翻訳して Twitter に投稿するボランティア活動を開始しています。
関連情報には、ハッシュタグ「#honyaquake」を付けています。Twitter にアクセスして #honyaquake を検索すると情報が閲覧できます。
発言する内容なんてなんでも良い!!自分が感じてる事を伝えてください!! 少しでも長い間、世界に関心を抱いてもらい、サポートを訴えることで何かが変わるかもしれません。
一人が十人に、十人がそれぞれ十人に伝える事で、一人が百人になります。 「個人」が「団体」となる事でできることの規模やパワーは確実に変わります! 世界のどこかであなたのツイートに心を動かされた人が、何らかのチャリティーに参加しようと思うかもしれない!!
飛行機でイギリスから日本までの距離は12時間。
インターネットでイギリスから日本までの距離は0秒。
世界はネット上では小さなものです。
だからこの際、facebookもTwitterもやってない人も使い始めてみて、少しでも多くの地球人に協力を呼びかけませんか?
私はソーシャルネットワークを上手に活用する事は、グローバルな時代を生きる私達の世代の役割だと思います。
Say Listen to my voice!!!
Power to the people!!!」
Japan in London・政府への不信感、人々への希望
私は震災をきっかけに、Play for Japanというチャリティー団体を立ち上げ、国営放送BBCにも出演し、日本のために衝動的な活動(主に募金集め)を続けました。
そこで当然、少しでも日本を知る友人には、実際どうなの?と聞かれる。
何故か。
それはメディアが報じる内容が日本とイギリスで違いすぎたから。
日本人同士の助け合い、譲り合いの文化、優しさと思いやりの精神は、様々なメディアに「驚き」と自国の批判として反映されていたように私の目には映りました。「日本人」は素晴らしい。あの頃、皆がこの国の人々の「思いやり」という文化、精神に尊敬の意を抱いていたと思います。
けれど、同時に「実状」として報じられている内容に、困惑しました。
チェルノブイリ以来、ヨーロッパにおける放射能被害の意識は高く、ものすごく敏感で、津波の被害を報じた最初の2日間以降、ひたすらメディアは福島の放射能汚染を報じていました。
「メルトスルー」「最悪レベルでの放射能汚染」「人体における、今後の被害」は3日目にはイギリスのメジャーな新聞各社が報じていたこと。実状、現実として向き合い、いち早くイギリス国籍の人々に自国への帰還を促し、その危険性(日本国外に向けても)を訴えかけていました。それはメディアに限らず、オンライン上のネットワークでも同じく、誰もがこれは「マジでやばい」という意識を持っていました。
なのに何故、日本の政府は、メディアは頑なに自国民に「安全」を主張するのか?
「日本人は素晴らしい、けれど日本の政府とメディアはありえないほど、腐っている」
それは少なくとも私の周りが、言い出したことでした。
数年後の民衆はどんな意識の下に、あの日を思い返すのか。
数年後の民衆の意識を他国はどう見つめ直すのか。
あの日から
2年の年月が経ちました。
日本では、まだまだ復興へ向けた様々な取り組みがなされています。
イギリスからの3.11へ向けた視点。
そんなもの、日本を好意的に思っている人からしかもはや向けられていません。彼等は彼等の情勢で目一杯。2011年3月20日にはシリアのニュースで持ちきりだったように、結局イギリス一般市民にとっては、3.11なんて他国の問題でしかありません。
それは日本人が2004.7.7をどう感じるかと同じ。
記憶の中にはある3.11の出来事、でもイギリスにいると、ヨーロッパ諸国の一部だと、他にも目を向けることが多々とあるのです。良い事も悪い事も。
だから私達は自国のメディアの発信力に満足してはいけないのかもしれません。他国と自国を繋ぐHUBは、結局私達のような個人であり、意識であり、それを手助けしてくれる新たなソーシャルメディアであり、発信し続けることで、確実にデータとして、歴史として、私達が理解し得る上での時空に残ります。(残すことの意味を深く考えなければ)
2011年3月11日は17000人を超える人命が失われた命日です。地球規模にすると微々たるもの。だけど個人規模にすると生きる希望を失うにも等しい数と尊さです。
あの日、私は人生が変わったことを実感しました。
そしてこれからも、私はあの日とともに生きていくことを選びます。
しょうがない。日本人だから。
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