第40話❀「今」-(マイナス)9割『捨てる』=人生開運
知っていると知っていないで
これはよくありがちな「川上」情報と呼ばれる「レア」ものではなく
単純に自分の「勉強不足」と 関わる人たちのアンテナが違っていたという
「視点」の問題
時に一億の差がつくこともある
例えば、何か「申請」すれば還付があるとかは
自分で申請しないと「戻らない」し
例え自分が知らなかったとしても
茶のみの間がらでも話をたまたました時に、
「それは・・・こういうことができる」などと
一人でもわかっている人がいるか否かで
自分がそれをできないなら、できる人を探すとか
結局・・・常々私が想っていることは
「知っていると知っていないなんらかの格差」って
自分が「行動」を起こすか否かだけで
しかしただやみくもに「行動」起こしても 無意味なことに時間をさくことになったり 逆に「災難に巻き込まれる」← ネッ〇ワークの勧誘など
「行動」とは漢字を見ると「行く」+「動く」
「行くための場・場所」と「動くための環境」という
「行動」を見極めることが最重要ですが
私も信じて「あらら」当然「見極め力」に自信ないので 過去 失敗もありました。
そうなると 結局は「行動」に対して「トラウマ」から「臆病」になるだけで
「行くための場・場所」と「動くための環境」のベースとなるのは
「人」と「気」と震災前後からなんとなくわかっていましたが
だからってこれまた「どうしたら良いのか?」
「気」という風水かじってみたり
「人」の判断というと結局「占い」しか思い浮かばず
「開運」「運気善くする」「望む人出逢う」
「背景」や流れやロジックはなんとなくわかっていても
だったらどうしたら良いの?
それをどこでどう学んだら良いのか?
だいたいそういうのを学ぶ、どうするわかる場って世の中にあるの
ところが・・・あったのです。
そのものずばりが・・・
それは突然訪れたのではなくかなりの偶然の重なりから どれ一つ欠けても出逢わなかった形で 見つけてしまいました。
結局は、後からそのれは「偶然の重なり」ではなく
はっきり「必然」だったとわかるのですが~
「どれ一つ欠けても出逢わない」出来事の連続の結びついた先が
だいたいそういうのを学ぶ、どうするわかる場って世の中にあるの
の「あった」と思えた部分だったのです・・・
実際、学び、活かし、使い倒すと
人をきちんと知る、その上で理解してコミュニケーションが取れるので
自分の人生が主体的になり
まず人やその人たちの持っているコトとの「出愛」が
自分の考え方や人生をがらっと変わってきました。
「違和感を感じる人、うさんくさい人には近づかない」
これだけでも人生「ストレス」がなくなるけど
実は そうココロしていてもわかっていても
そういう人たちほど「仮面」や「鎧」をかぶっているから
後から「見抜けなかった」「見極められなかった」となってしまう
であるなら、見極める眼など最初から考えずに
「最初に色々わかって関われば良い」
私はこの「わかる」武器に知ったことで
人との関係性&距離感というとても苦手分野の
人間関係のストレスから解放され
人との距離感だけ気をつけることにして
なおかつ
自分が今必要としている人、求めている人はどういう人
ということを考える余裕ができました。
知っていると知っていないで差がつくのはお金だけではなく
自分のキモチや感情から起きるストレス度合いです。
お金より、むしろ私はそちらの方が
人生で「苦痛」だった過去からそれ「知るまで」の日
それ知った根源の人は実は私がやや苦手なタイプの人でした。
しかし、うまく距離感保ちつつ関わったことで
ストレスなく、人生変える情報をいただいたその人は
うちのすぐ近所に最近引っ越ししたと連絡が入り
これは「縁」なのかと・・・
そもそも私が苦手なタイプなのでいつプチっと関係が切れても おかしくないしのに
近所に越してきてランチしようと連絡が入る
すごく相性の良いたちだけが必ずしも
「知っていると知っていないで差がつく」情報をくれるとは 限らないということ。むしろ
違和感感じる人は考え方が違う人が多く 同化しない情報の中にこそ
自分が欲しいけど知らない情報が潜んでいるかも~
って思うと苦手な人でも上手く距離感保てば 地味だけど長く関われるということ
「人」と「人」の性格・特性ベースの関係性の研究 そして実践による検証
ますます面白く、楽しく、気づき、発見、学び多くて
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