へその緒の記憶 2

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「海よりも深く 空よりも広い心の人になりたい」という言葉でした。



私は記憶を失うことで「母の私への虐待の行為」を忘れて…「何もなかったかのように母と笑い合うこと」を選んでいたのです。


義母妹が、私が継母から虐待を受けていたことや、私が記憶喪失になっていたことを 父に話したそうですが…父は…私が継母から虐待を受けていたことに…全く、気づいていなかったそうです…。


父は…自分勝手に不倫を続けて…私の母を悲しませ…継母の精神を狂わせてしまっていました。

不倫を続けた父も含めて…結局、誰も…幸せにはなりませんでした。


不倫は… 自分や周囲の人々をも巻き込み、悲しませる不幸の源で…「大罪」なのです。


私は…父のような生き方はしたくない…母のような、継母のような女性にはなりたくない…と

心に固く誓いながら…ずっと、生きてきました。


父のような、母のような、継母のような…私を育てた親たちの、誰にも似たくない…同じような行動をしないように生きて行こう…と…。


そして…私は…ようやく…自分が 母親になる決断ができるようになっていきました。

結婚してから…9年間…私は 子どもが産みたいと思えなかったのです…。

自分が虐待された記憶は失われていたのに…子どもを産むのが怖かったのです。


…記憶は失っていても…「自分が 子どもに虐待を与えるような親になるかも知れない」と…「親と同じように…自分の子どもを育てるかも知れない」と…。


私は…10年前に母親になりました…二人の子供に手を挙げることは…皆無と言えるぐらいにありません。

子どもが、危険なことをしてしまった時に…幼稚園の長男の頬を思わず、叩いてしまったことがありましたが…。

それも…もう、6年ぐらい前のことです…。

(私は、子どもの頭も叩いたことがありません。)


私が 生後1か月の頃までしか 母乳を飲んでいなかったことを知って…。

私は…二人の子供を母乳で育てました。(二人の子ども達の2歳の誕生日まで卒乳できませんでしたが…。)

(親とは違う人生を…と願いながら…思いながら…親の生き方や行動の真似をしてはいけないことを思いながら…。

自分の行動を選びながら…親とは 「全く、違う自分」を 自分で築き上げようとし続けて…それを実現することができました。)


私が結婚した人は…父親とは全く、違う人柄の人…です。

仕事が終わると、真っ直ぐに家に帰ってきてくれて…。

私は…今…母とも…継母とも違う平和な日々を過ごしています。


子どもが産まれた時に…へその緒は…切り捨ててしまう物です…。

私にとって…「虐待の記憶」は 「へその緒」で…。


記憶を失うことは…へその緒を切り捨てようとした訳なのですが…。


子どもを産んでから…母になったことの喜びで 感動の涙を、感謝の涙を流しながらの日々を過ごしていく中で…私は あることに気が付いて…呆然としました。



母親と子どもは…産まれた後も「見えないへその緒」で 結ばれていて…。

決して 「母と子どもは 永遠に 切り離されない」存在であることを…。


「虐待の記憶」も 私という存在から 「永遠に切り離されることはない記憶」であり…。

「忘れてはならないこと」であることに…。


「虐待の記憶」を思い出したからこそ…

今、私の目の前にいる…大切な宝物である「二人の子ども達」を

…特別な想いで…宝物のように育てることができたのです。


今の幸せは…切り離して捨てようとした「へその緒の記憶」を思い出したことで得た幸せ…だったのです。



(つづく)






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