人生で一番大切なものはフラダンスが教えてくれた
私は幼い頃から、これと言った特技もなければ夢中に取り組む趣味もありませんでした。勉強も人並み程度だったし、将来の夢もありませんでした。
自分にも何か熱中できるものがほしい、人前に立ちたいという思いからジャズダンスを習い始めたのは小学5年生の時でした。
ダンスは楽しかったし、ステージに立つこともワクワクしました。
でも、今の自分から思えばあの頃の自分にとってジャズダンスは決して夢中になっているものではなかったかのように思います。
6年生になり中学校からは英語も始まるということで、英会話スクールに通い始め、徐々に上達していく英語を楽しんでいました。中学校に入学してからは唯一得意だった英語がどんどん好きになり、海外にも興味が湧くようになりました。
高校は国際高校に進学して、興味本位からオーストラリアホームステイのプログラムに参加しました。
初めての海外生活
△ステイ先の子供たちと私です。
それは日本での生活と何もかも違い、またその違いについて互いの文化を理解しあい楽しむ日々は、私にとって実に輝いていて刺激的でした。
強く記憶に残っているのは、現地の中学校で「ソーラン節」を披露した時です。
プログラムに参加した生徒達で日本の文化を紹介しようと、オーストラリアの中学校でソーラン節を披露しました。しかし、法被を着て力強い音楽に合わせて躍るソーラン節を見るのは初めてだったのでしょう。はじめは見たことのない異文化の踊りを見て笑う生徒もいました。
正直、躍っていることに恥ずかしさも感じました。
それでも、自分は日本の文化を披露しているという意識をもち、精一杯躍りきると、目の前では体育館に集まった生徒たちが皆、スタンディングオベーションしていて、アンコールを求める声が鳴り止みませんでした。
その光景を見て、私は思わず涙ぐんでいました。ステージを終え、何人かの生徒たちがソーラン節を教えてほしいと近寄ってきてくれた時の嬉しさは忘れられないし、特にダンスが好きだった私は、どんなジャンルであれ異文化交流に繋がる踊りの魅力を強く感じました。
他の学校にも訪問してソーラン節を披露し教える機会が何度かあり、その度に異文化交流の楽しさを感じました。
△ソーラン節を披露した後です。
新たな決意
今後もずっと外国の文化に触れあっていきたいと決意したのもこの頃でした。もっと沢山の国に行って、様々な文化と触れ合ってみたいという漠然とした夢を抱き、大学は外国語大学に進学しました。大学では、フィリピン語専攻に属していて主にタガログ語とフィリピンの文化について学んでおり、部活動としてフラ・タヒチアンダンス部に入部しています。
このフラ・タヒチアンダンス部こそが今の私の原点となっています。
まさに今の私は、「フラ・タヒチアンダンスに熱中している」この言葉に尽きます。
フラを始めたきっかけ
4月、大学に入学したばかりの私は、新入生歓迎会で初めて部員が躍るフラを見ました。フラには、自分が今まで知っていた通り、可愛らしく、見ていてうっとりするような印象を受けました。
首から白いレイをかけ、ピンクのスカートで躍る姿に、ただただ「可愛い!」と、初めはこの想いだけでした。
△4月の新入生歓迎会で、桜のもと躍るダンサー
そして後日、フラ・タヒチアンダンス部を引退することになるダンサーによる卒業公演を見に行きました。そこで目にしたものは、私の抱いていた可愛いという印象を覆す、ダンサー達の凛々しい姿でした。
それは、古典フラであるフラ・カヒコです。
多くの方がフラと聞いて思い描く、ゆったりとした優雅なものは現代フラであるフラ・アウアナというジャンルです。私が卒業公演で初めて目にしたフラ・カヒコはとても印象深いものでした。
ゆったりとしたイメージのフラとは全く違い、全身で機敏に大きく躍るフラ。また、ダンサーの真剣な表情や、1つ1つの振りに込められた意味を表現し、たくましく歌いながら躍る姿、目を引く厳かな衣装など全てに釘付けでした。
フラ・カヒコは、ハワイ王国の王や女王の偉大さなどが込められている躍りが多々あります。今まで自分が知っていたフラからは想像もしなかったフラの奥深さに魅了されました。
そして、卒業部員が感極まって涙を流しながら挨拶する姿から、いかに熱くフラに取り組んできたのか伝わってきて、思わず私も涙が流れました。今思い返せば、私はあの卒業公演にてフラの奥深さに惹かれフラを始めたのだと思います。
△カラカウア王のカラーである紫色の衣装で踊っているフラ・カヒコ
フラの本場であるハワイ・ホノルルフェスティバル
私が所属しているフラ・タヒチアンダンス部では、ハワイの伝統文化を伝える、という目標を掲げ日々活動しています。
しかし、私を含め多くの部員はまだハワイに行ったことがありません。フラにはハワイの美しい自然を表現している躍りが多々あり、いつも頭に景色を思い浮かべ躍ってきました。
そんな私達は日々先生にご指導いただき、これまでハワイの伝統文化を伝える多くの機会を頂いてきました。地域のお祭りや、大学の学園祭、私達にとって初舞台となった「LEI DAY」。私達が参加させていただいたLEI DAYは、ハワイの中でも貧しいワイアナエ地区のために、先生が開かれたチャリティーイベントです。また昨年の12月には、部創立7周年記念「Hoike」も開催されました。
Hoikeとは、ハワイ語で発表会という意味です。私達にとって一緒にフラを躍る人は皆、「ohana」です。ohanaとは、ハワイ語で家族という意味であり、このHoikeでは卒業生も含めた総勢80人ものohanaと、私達の部を様々な形で支えてくださった方への感謝をこめて開催されました。
△学園祭での野外ステージ。タヒチアンダンスです。
そしてついに今回、フラの本場であるハワイにて、ホノルルフェスティバルのステージで躍らせていただくことになりました。
実際にハワイの空気に包まれ、ハワイの自然の目の前で躍れることにとても胸を弾ませています。自分たちにとって、今まで体験したことのない環境で躍ること、ハワイの方や旅行にきている方に見ていただくこと、今まで頭に思い描いてきたハワイで躍ることは、実に多くの喜びを感じることができると思っています。
ハワイでフラを知りたい
私達フラ・タヒチアンダンス部は、現地の方に踊りを教えていただくためにこれまでワークショップの機会を頂いてきました。
フラを教わる上で、フラの師匠のことを「クム」と呼びます。
ハワイから来て下さったクムによるワークショップを受けることは実に貴重なありがたい体験です。実際にクムから教わることは振り付けだけでなく、ハワイの伝統文化として学ぶことが沢山あります。そこで、次は私たちが実際にハワイに行き、日本で広く知られているフラと、現地ハワイで親しまれているフラを比べ、自分たちがまだ目にした事の無いハワイの文化に触れ、フラへの理解を深めたいと思います。
また、大学に入ってからハワイの文化を学び始め、まだまだ浅い私ですが、踊りとしてのフラだけでなく先生に教わってきたフラに関する精神にも虜にされてきました。
例えば、普段私達は「パウ」を着て練習しています。パウとはハワイ語でスカートを表します。このパウは入部した際に、皆で生地を買ってそれぞれが手作りしています。
私達は先生から学んだ知識を大切に頭にいれるため、パウを着る時は頭から被り、脱ぐときは下から脱ぐと決まっています。パウには魂が宿るという精神のもと、パウを身に着けている時は弱音を吐かず、辛い練習にも耐え抜きます。
また、先ほども述べたように共にフラを躍る人は皆、ohanaとされる精神も私はとても素敵なものだと思います。
実際に、部創立7周年記念Hoikeを通し私自身も感じることが出来ました。部創設時の先輩方から現役生まで、全員をひとつにしてくれるものがフラであり、フラを通して繋がる仲間は実に温かいものだと実感したのです。
それはたとえ歳が離れていても、一緒に練習をしたことがなくても、尊敬する先生のご指導の下、ハワイの伝統文化を伝えるという大きな目標を掲げ、私にとっては今この学生時代にフラに熱く取り組んだことは同じだからです。
ハワイでは、さらにフラに関する精神や姿勢を学べることを期待しています。
△Hoikeにて、歴代の部員が揃う集合写真。
フラ・タヒチアンダンスがくれたもの
幼い頃から、これと言った特技もなければ夢中に取り組む趣味もなかった私。
「自分にも何か熱中できるものがほしい」
そんな想いから小学5年生の時にふと始めたジャズダンス。熱中することはなかったけど、そこで初めて踊りというものに触れました。
英語へのふとした興味本位から参加したオーストラリアホームステイのプログラム。
そこで芽生えた外国の文化に触れあっていきたいと決意。
そして今私は、フラ・タヒチアンダンスに熱中しています。
想い返すと、その時その時は単なる興味本意で選び取ってきたもの、そんな点と点がつながり、今の私をかたちづくる道となっていることに気づきました。
そして、楽しさを分かち合える大切な仲間に出会いました。
「人生で初めて胸を張って夢中になれること」
それを見つけたと言えるのも全て、これまでの自分のストーリーがあったからでした。
一見つながっていないと思っていたことも、全て私の大切なストーリーになっています。
そしてなにより、フラ・タヒチアンダンスに出会えたおかげで自分のことも好きになれました。
この出会いに、感謝します。
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