日本病になってしまった!アメリカでの自分のゴールを決めて。

突然ですが、英語を聞くのもしゃべるのもいやになってしまった。アメリカのリアリティ番組が大好きだったのに、吉本喜劇のような番組を見て、ワハハと大笑いしたくなったのである。こんなに寒いのにシャワーだけで過ごす生活は嫌だ、温泉やお風呂にどっぷりつかりたいと思った。安くておいしいメキシカンフードが大好きだったのにもうどうでもよくなって、毎日ごはんと焼き魚でもOKと思えるようになってしまった。毎日車を運転するのがいやになってしまった。電車の駅まで、スーパーの袋を持って歩いていく生活が何と健康的だと思えるようになってしまった。ぶすっとした最低のサービスになんでチップまで余計に払わなければいけないのだろうとおもってしまったりして、お客様は神様ですのような日本のサービスをまた受けたくなったりした。

もう完全にジャパン シックにかかってしまった。

外国で暮らしていると、こういう病気にときどきかかる。でも、年を取ったせいか、今度は重傷である。日本で暮らしたいと思う気持ちが日に日に強くなっていった。

海の見える素敵な家でワインを飲む生活よりも、畳の上に寝っ転がってたこ焼きを食べる生活がすてきにおもえてきたのである。若いころはそんなことが大切だとはこれっぽっちも思わなかった。でも、今はわかる。日本人に生まれて幸せだったのだ。

アメリカに移住してきたアジア人はほとんどがアメリカに残ることを希望する。でも日本人はどんなにアメリカンドリームを成し遂げても、日本に帰る人が多いのだ。なぜかというと、日本ほど、安全で心地よく穏やかに住める国は世界中探しても少ないからだ。それは海外に暮らしたらわかる。

若い時にはそういう心地よさと引き換えても、夢や挑戦することに走り続けることができる。でも、自分なりのアメリカ生活でのゴールを果たした今、日本でくらしたいと思うようになった。

子供達といつになく穏やかなクリスマスを過ごした後、子供たちに日本にしばらく帰ってくらしたいとつげた。子供たちはやはりあきれていた。また、この母のわがままがまた始まったと思った目で私をみていた。でもこの母は思い立ったことは何でもやるのである。

結局「ママの好きなようにすれば!」と全員言ってくれたというか、言わせたようなものである。子供たちと離れて、長いこと私が暮らせるはずはないと思ったと思う。私もその点ではとても寂しいことは承知していた。でも、「夏休みとクリスマスには会いに帰ってくるから。」と彼らにいった。

そういうわけで、翌月、私は成田に降り立っていた。

すでに今日から一週間の食べるものリストを作っていたし、今夜の温泉やマッサージも決めていた。それから、しばらく神社参りもしてみようと思っていた。

そうだ、子供たちはしばらく日本に来ることができないでいるので、彼らにたくさん日本の写真やビデオをとっておくってあげよう。

そしたら、彼らもすぐ日本に遊びに来たくなるかもしれない。

私はもう日本での暮らしにうきうきしはじめていたのである。病気はいつのまにか治っていた。

私の日本でもゴールはなに? そしたら浮かんできた言葉は「今を楽しんで感謝して生きるだよ。」

それに決まり!




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