高卒1浪失敗のフリーターが中国国立大学に飛び級で入学して学生生活を謳歌しつつ優秀な成績で卒業する話

世界一発展した途上国

「中国」正式名称「中華人民共和国」人口13億人で世界1位、国土面積9,596,960平方キロメートルで世界3位を有するこの国は1949年の建国以来共産党による一党独裁体制が続けられ、中国4000年の歴史を持ちながら1970年代までは最貧国の一つとしてあげられ、2012年にはGDP世界第2位の経済国に成長したにも関わらず世界の各方面で一定の距離を保ち続けている。

日本から見てみれば反日感情の影響も未だ根強く残りその他歴史、領土など常に両国間の問題が後を絶たない。

これはそんな近いようで遠い国「中国」に2010年秋から留学した数年間のお話です。

運命を変えた本

 2010年9月初め、私は成田空港出発ロビーのチェックインカウンターに並んでいました。これから始まる留学にワクワクしながらも正直どこかで後悔しているような気持ちでした。やっぱりこのまま日本に残って適当に仕事でも探した方が楽だったんじゃないかななんて事を考えながらも、もう後には引けないと無理矢理自分に言い聞かしていました。

 中国留学を思い立ったのはこれよりも一年半程前、高校を卒業して1年程経った時の事、当時もうロクに学校も通わなくなり、週に数回アルバイトに行く程度のフリーター生活をしている頃でした。浪人時代を一緒に過ごし、後に立派な有名大学に行った友人と一緒に出かけた時にたまたま本屋に行ったのです。友人は漫画や雑誌を見に行くと言ってそさくさと行ってしまいました。特に用事も無かった私は適当に店内をブラブラする事にしました。そんな時、ふと目に留まったのが海外旅行のコーナーでだったのです。時間もあるし一人で海外でも行こうかなー。そんな事を考えているとそのすぐ横のコーナーは留学のコーナーでした。あまり深く考えずに留学コーナーの雑誌を眺めているとその中に一冊だけ異様に目を引く真っ赤な雑誌があったのです、その名も「中国留学」。この本を買った事がきっかけでこれから先、数年に渡って「中国」という目紛しく成長を続ける国に翻弄される事になります。

留学開始。優越感と叔父の死と挫折

 私と中国は実は何も関係ない間柄ではありません。母が中国人で日本の大学に入学するために国を離れ、大学卒業以降はずっと日本で仕事をしています。世間一般で言う「華僑」と言う人です。その影響もあって幼い頃から何度か中国を訪れていた私は要はバイリンガルでした。とは言っても4歳の頃に覚えた中国語を何の訓練もせずにその後の17年間同じく日本に移住した祖母と使うだけでとてもとても実用的なものではありませんでした。要は21歳の人間が4、5歳程度の語彙力のみで文法はおろか読み書きが全く出来ないという状況でした。正直に言えば全然使い物になりません。今思うと祖母も私の中国語を頑張って理解してくれていたのだと思います(笑)それでも私の周りに中国語を勉強している人はいませんでしたし昔からすごいすごいと人に言われていた事もあり私はすっかり天狗になっていました。でも読み書き出来ない事が当時からコンプレックスだったのでそれだけは克服しなければと思っていました。

 飛行機に搭乗してからの数時間はほとんど記憶にありません。留学前夜、準備に追われ慌てていた事と緊張でベッドに入っても全く眠れない事もあり一睡もしないまま空港に向かってしまったのです。搭乗後、エコノミークラスの固い席に着いた私は飛行機が飛び立つ前に眠ってしまい、生まれてはじめて機内食を食べそびれてしまいました。その後全く目を覚まさなかった私は着陸時の衝撃で目を覚ましました。飛行機を降り、入国審査を済ませスーツケースを拾って、到着ロビーに続くゲートを潜りました。そこは遠い昔に見た北京とは違う全くの別世界だったのです。

 幼い頃に来た北京空港の印象はとにかく汚くとてもタバコ臭いものでした。それが一転今では凄く清潔で空港内はどこも禁煙というものに変わっていました。スーツケースを引きずりながら私は留学を斡旋してくれた会社の方を探していました。たくさんの人が迎えに来た人の名前を書いたボードを掲げて今か今かと待っていたと思います。そのたくさんの人ごみの中に私の名前を持った女性がいました。声をかけると「あ、留学に来られた方ですね?」と日本語で聞いてきました。中国の人が迎えに行くという事前情報だったのでてっき中国語のみなのかなと思っていましたが思いがけない日本語での対応に正直驚きながらも安心していました。しかしこの数時間後、このガイドさんと斡旋会社のミスが原因で最初にやってくる「チャイナクオリティー」を経験するとはこの時思ってもいませんでした。

 ガイドさんに言われるがまま空港発のバスに乗りこれから勉強する大学近くの街まで行く事になりました。しかしこのバス、日本人には少し辛い。俗にいうシャトルバスの様なもので空港から街をほぼタダの様な値段で連れて行ってくれます。だだ、整備や清掃が行き届いていないのか椅子はガタガタで車内の臭いはタバコと汗の臭いでとても長い事乗っていられるものではありませんでした。私もタバコは吸いますがやはり車内に着いたタバコの臭いは厳しいものがあります。

 バスに揺られる事40分程で「中関村」という街に着きます。この街はいわば中国のシリコンバレー、日本でいう秋葉原の様な街で家電ならなんでも揃います。とくにIT関連のもの関しては中国で群を抜いているらしい。たしかにビルのあちらこちらにパソコンや新型携帯電話の宣伝が掲げられていました。ここでバスを降りてタクシーに乗り換えるとの事。個人的に最初からタクシーに乗れば良かったのではないかと思っていたら「やっぱりバスの方が早いわね」と言われましたが「やっぱり」と言われても比べる基準が無かったので、へー、そうなのかー。位にしか思いませんでした。ところがこのバス停、どうみても道の真ん中に設置されているのです。周りには交差点もなくタクシー乗り場もありません。ガイドさんの「着いて来てください!」の声に反応しているとどうやら彼女は信号の無いこの大きな道を横断するつもりの様でした。スーツケースを引きずりながら道の真ん中に立っていたら、もの凄い勢いでクラクションを連打された事は今でも鮮明に憶えています。道を横断した後「私達が行くのはこっち側の車線なんです」と言われこれが日本人にとってどれだけ冒険なのかわかってもらえる訳もありませんでした。なんとかタクシーを見つけ、乗り込む事が出来たのはそれから約30分くらいしてからの事でした。タクシーの車内は中国語のラジオが大きな音で流れていました。

 タクシーに揺られていると急に運転手のおじさんが大きな声で「クソ!」と言って不機嫌になっていました。半分眠っていた私は、なんだなんだと思い目を覚まします。そして目線を道路にやるとそこは大渋滞の最後尾でした。日本でも行楽シーズンや帰省ラッシュの季節には高速道路で見かけることはありましたがここまで酷いもの、ましてや一般道での渋滞は見た事がありませんでした。日本の渋滞はいくら渋滞していても車が規則正しく並び、運転手はいくらイライラしてもクラクションを鳴らすことはありませんよね?でも北京の渋滞は違います。車が右、左、斜めに自由に並び、隙あらば割り込んででも前に行こうとするため2車線の道路に3列4列平気で並んでいます。運転手の前に割り込まれないために車間をギリギリまで詰めるためもはやドアを開ける隙間すらありません。おまけにイライラした運転手がまるでそれを発散するかの様にクラクションを鳴らすため本当にうるさいのです。普段なら10分程度で行ける道を1時間近くかけて行く事になりました。

 酷い渋滞に巻き込まれ、大学に着く頃にはもう夕方になっていました。タクシーのフロントガラスから道の先にT字路が見え、それをみたガイドさんが「アレです、アレが清華大学です!」と嬉しそうに言ってきました。私も少し興奮した事を憶えています。でも、ガイドブックや留学案内に乗っていたのと少し、いや全く違う門でした。そのことを彼女に伝えると、「あ、アレは東門です。コレは西門。有名なのは東門の方ですね」と言われました。私の大学への第一歩は裏玄関から入る事になったのです。ちなみにこの「清華大学」、北京大学と並び中国最高学府と言われ歴代の政府重役、国家主席も通った超一流の総合大学です。と言っても私が通うのは外国人用の中国語教室の様な物ですが。当時の国家主席だった胡錦濤、後に国家主席になる習近平もこの大学出身です。しかし一番の特徴と言えばキャンパスが街の至る所にある北京大学とは違い、全ての学部、学科が一つの敷地内にすべて収まっているということです。大学の生徒から大学教授、講師、食堂のコック、構内清掃の従業員まで学校に関わるほぼ全ての人間がこの大学内で衣食住をしています。そのため敷地面積がとにかく広大でまるで一つの街のような大学なのです。「東門は主にキャンパスだからそこから歩いて行くと遠いです。西門から歩いていけば宿舎のエリアまで30分で行けます。でも正直よくわかりません、あまりこの大学には来ないから」とガイドさんに言われた時は怒るとかそういう感情ではなくただただ大学のあまりの大きさに驚いていました。この後すぐにわかる事ですが、東門からなら宿舎の前までタクシーで行く事が出来ます。

 西門を潜ってから歩いて30分程で宿舎にたどり着く事が出来ました。その間いろいろな大学の建物を案内(といっても前を通るだけでしたが)してもらいました。その中でもとりわけ目を引いたのは学生の宿舎でした。本当にここは大学内かと思わせる程の高層マンションがいくつも並んでいたのです。その横を普通のマンションの様な建物が並んでいました。聞く所によるとこれは全てが学生寮という事です。入学時に学年や学部ごとに振り分けられ4年間そこに住みながら授業に参加する様でした。家賃はもちろん格安で、人によっては全額免除となっているそうです。それらの学生寮から少し離れて、私の住む事になる寮があります。しかしこれも見た目はしっかりしたマンションで18階立てでした。

 ようやく宿舎の前着くと、まずは手続きが必要とガイドさんに言われ手続きと行う事になりました。手続きを行うには寮の管理を行っているビルに行く必要があります。幸いな事に今目の前にあるビルの2階がそうだというのでさっそく手続きに行きました。しかしここで大問題、「チャイナクオリティー」が発生します。なんと前もって全額支払っているはずの寮費が全く支払われてしないという事です。これにはさすがにガイドさんも慌てて、すぐに会社の方に連絡をしていました。日本ならもしかしたらこういう場合、入学通知書や書類があれば1日くらいの猶予はくれるかもしれません。でも中国ではこういう場合確認が取れるまで寮には足一本入る事は許されません。つまり、支払ったという領収書がこちらに無い限り向こうもお金を受け取った事を認めません。会社への確認を終えたガイドさんは私に向かって「どうやらこちらのミスで寮への支払いが出来ていなかったようです、というか清華大学は事前に払うのではなく、当日に一括で支払う様になっているそうです。今お金ありますか?」と言っていたので私も少しパニックになりながらいくらか聞くと「15000元です(日本円で約20万円)」さすがにそんなに無いですと言うと「困りましたね、せめて半分はないと入れてくれないかもしれません」と言っていました。私のその時の所持金は成田空港で換金した4000元(約5万円)しかありませんでした。困っていると、突然彼女の携帯電話が鳴り、何か真剣に話をしていました。すると彼女は電話を寮の管理人に渡しました。しばらくした後管理人は「わかった」と言って彼女に電話を返しました。どうやら話はまとまったらしく、今ある4000元を支払えば今日1日は寮に入っても良いとの事でした。さすがに今ある全財産を渡す事にはためらいましたがそれしか方法がなく渋々承諾しました。

 その後、鍵を受け取り部屋に案内されました。部屋は先ほど手続きを行ったビルの隣、21号楼(号楼は中国語で号棟の様な意味)の209室でした。扉を開けるとそこはワンルームの質素な部屋でした。あるものは勉強机、テレビ、お湯を沸かす小さなポット、ベッド、小さなクローゼットのみです。だいたい5畳くらいの部屋でした。しかしトイレとシャワーが有り、思っていたより綺麗だったので特に文句もありませんでした。しかしドアを開けた時の感想は「監獄」でした。一通り案内された後ガイドさんに「他の手続きや近隣の街の案内は翌日にまわしますか?」と聞かれ、とにかく疲れていた私はその言葉に甘えてしまいました。お金は翌日返還してもらう約束をして彼女は帰って行きました。その頃もう日は暮れかけていました。

 とりあえず荷物を整理した頃、今までのバタバタですっかり忘れていた事を身体が思い出しました。とても空腹だったのです。朝早くに出発したためロクに朝食も取れず、機内食も寝過ごしてしまった私はとにかく何か食べようと思った私は寮のロビーにいる管理人にどこか食べ物を売っている場所はないかと聞きました。そうすると「近くにスーパーがある」と言って地図を見せてくれました。しかしさっき来たばかりの私のとって地図なんて見せられても全くわかりません。なので「谢谢!(ありがとう)」とお茶を濁し、自分の足で探す事にしました。でも、外に出て周りを見渡してもそれらしいものは全く有りませんでした。とにかく明かりが有る方向へ進んでいると道の先になにやらドーム型の小さな建物が有りました。窓から覗いてみると、そこには中国人達がバドミントンをしていました、どうやらバドミントンの練習場だったようです。「なんだ、スーパーじゃないのか」と落ち込んでいると練習場の入り口に売店が有るのを見つけました。見てみるとお菓子や飲み物という簡単な物でしたが、なんとカップラーメンが売っていました。「よかった、これで今晩は済まそう。部屋にポットもあったし」と思っていると、今度は脳が大事な事を思い出しました。さっき入寮の際に全財産全て預けてしまったという事です。いくら財布の中をみても、ポケットの中を探しても1元も有りません。


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