リクルートのウェブプロデューサーだった私がネット事業を永続的に成長させるために大切にしている7つの掟

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リクルートでウェブプロデューサーを務めた著者、都築由紀子が、永続的に育つネット事業の本質を紐解く。紙媒体時代から続くリクルート流「勝利の方程式」に加え、ネット事業における「事業の価値」をどう定義するのか。ウェブ担当者として知っておくべき「7つの掟」に集約してお届けする。




【プロローグ】


 「予算2億あげるから、これ、発展させてよ」。


 2004年、リクルートへ転籍して初日だっただろうか。上司から挨拶がわりの第一声だった。


 新しい職場環境で右も左もよくわからない中、私は多様な職種のメンバー4人と2億円の予算とともに、住宅事業部のとあるマーケティングシステム(アンケートを事業企画や営業支援に活用する仕組み)の運営をまかされた。


 商社系のIT企業でSEとしてキャリアを積んだ私は、その運営ができそうな人材として採用されたのだが、出社初日にこの丸投げ的な仕事の振り方には驚いた。なんて太っ腹な会社なのだろうと、善くも悪くも心底驚いたものだった(だって、いきなり2億円ですよ!)。


 現場慣れしてないリーダーに対して、メンバーの派遣社員やアルバイト職種の女性からは、総スカンをくらって、つらい目にもあった。目の前で泣かれたこともあった。「私のことわかろうとしてますか?」って言われた時は、さすがの私も傷ついた。コーチングを学んだり、いろんな自己啓発セミナーにも通った。「あんたより自分の方が、泣きたいよ!」と何度も言いたくなったがこらえた。


 リクルートにおけるこのような新参者に対する遠慮や配慮のなさというのは、「自ら機会を創り機会によって自らを変えよ」という社訓(文化)のとおりだと思った。つまり、「自分で考えて動いて、自分でなんとかせなあかんよ」という会社から社員へのプレッシャーでもあったのだ。ここまで社員のポテンシャルを信じている会社もめずらしいというか、正直おめでたいとさえ思った。


 仕事の進め方も特殊だった。


 「一瞬いい?」と言った一秒後には、相手の反応を待たずにいきなり話し始める人のなんと多いことか。今では考えられないが、エレベーターや共有スペースで仕事の話を続ける人もけっこういた。このようなゲリラ戦のようなコミュニケーションスタイルは刺激的ではあったけれど、感心していられたのは最初だけ。コミュニケーション量そのものが非常に多いうえに、自身の考えを明確に表現できないと、露骨に「つまんない奴だな」という顔をされるのでうかうかしていられない。自ずと自分軸は磨かれ、シンプルに強くなっていく。


 彼らの理屈はきっとこうなのだ。新参者を自分たちの仲間として認めてよいのか、面白い人間なのか「ゆさぶり」をかけているのだ。会議中はもちろんのこと、エレベーターでいきなり知らない人に「リクルートでなにがしたいの?」とか、いきなり真面目に熱く、そして楽しげに話しかけられることも多かった。


 この雰囲気になじめないと、大げさではなく一ヶ月も持たずに辞めることになる。実際に辞めた人間も沢山いる。


 さて、そんな右往左往の文化慣れもしていない中、私は半年も経過しないうちに、紙メディアからネットメディアにサービスシフトするという仕事が与えられ、「ネットメディアプロデューサー(MP)」という道を歩むことになった。最初は、住宅分譲(現スーモ)のウェブサービスの運用設計や機能要件定義からだった。


 MPとは、「メディア」のMという人もいれば、「マーケット」のMという人もいる。メディアづくりは世の中のマーケットの創出や拡大だという、「高い視点で社会的なインパクトがある仕事をしなさいよ」という意味や意図がどうやら含まれているのだと、自分なりに解釈して肝に命じて仕事に向かうことにした。


 ところで、読者の皆さんが知りたいであろう、リクルートのネットビジネスの現場はどうだったかについてここでは、少しだけ触れておきたい。


 当時は、社内のどこを見渡してもネットメディアで成功した人材など不在。当然、事業に有益な知見などが潤沢に溜まっていない訳で、可能な限りの案をトライアンドエラーする日々だった。いわゆる「どろどろのカオス時代」だ。ものすごく泥臭い毎日で、仕事は深夜もエンドレスだった。


 ネットは紙メディアのように月次の「台割」確定という明確な締切もないし、よくも悪くも即時にテキストやクリエイティブ更新で、進化させてしまえる生態系の生き物である。


 つまり、一度議論して決定反映したものが、すぐに、「やっぱり変更しよう」の朝令暮改が日常茶飯事となるのだ。そして、サービスの成長のためには、戦略的な組織運営体制の変更も頻繁で、非常に激しいものであった。変わらないと、競合やクライアントだったはずの企業にすぐに参入されて、同じようなモデルで戦うことになる。


 事例を出すと、海外旅行情報サイト「AB-ROAD」は、旅行代理店などが自社で十分な集客がまかなえない時代には、一斉風靡した海外旅行情報メディアである。それが現在、「じゃらん」の一部コンテンツにぶら下がる形のサービスとなっている。紙メディアの時代はリクルートが主導権を持てたのだが、インターネットの時代が到来し、旅行代理店が自社メディアを持つようになるとその影響力は急速に落ちていった。つまり、JTBやHISは「AB-ROAD」を踏み台にして事業を成長していったとも言えるのだ。


みんなの読んで良かった!