《日本代表⇒ベンチャー⇒逃げる⇒漫画喫茶⇒兄の起業》タナクロを起業するまで。

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株式会社タナクロで代表を務めております田中淳也です。今回は僕が起業するまでの道のりを書いてみようと思う。みんなが自己紹介書いているのでこの流れに乗って恥ずかしいこと含め、僕の恥ずかしい過去も全てWeb上にさらけ出しちゃおうと思います!

ちなみにタナクロは超ざっくり言うとファッションブランド古着の買取・販売をオンライン上で行ってるEC運営会社です!

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ゴスロリファッション服の通販サイト

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タナクロ公式ブログ


■夢見たオリンピック

僕は小学校4年生の頃からテコンドーという格闘技をしていました。大学は強豪校の大東文化大学へ。4年間テコンドー漬け。オリンピックを目指して僕なりに頑張る日々でした。ユニバーシアード競技大会に出場したりしました。でも、ある日オリンピックを目指す事を諦めてしまう出来事が起きたのです。


■自分には競技を続ける資格はない

ある試合の日、僕の1個年下で長く日本代表をしていた子の試合を見ていました。試合の途中、彼は何度も吐いていました。極限まで減量をしていたんだと思います。僕は彼の戦う姿を見て、自分がテコンドーをやっている事すら申訳なく思いました。これは本当に衝撃的に覚えています。

「自分にテコンドーを続ける資格はない。競技を続けたとしても彼に勝てるわけがない」その時は本気でそう思ったのです。自分では全力でやっていた“つもり”だったのですが、甘かったんでしょうね。そう思わせる程、彼の試合中の姿は鮮明に僕の脳裏に焼き付いています。



これが2008年の頭頃の出来事だったと思います。その日の試合は無惨な形で負けました。アジアテコンドー選手権のテコンドー日本代表選考会。これが僕のテコンドー人生最後の試合になりました。※下は大東文化大学テコンドー部の仲間たちとの写真。痩せてたなあ…



■福岡のベンチャー企業にUターン就職

2011年福岡に戻り「社員3名の映像制作会社カウテレビジョン」で働き始めました。地元の先輩の紹介で入社。社長(通称TAKAさん)はテレビ局の元ニュースキャスター。とにかく頭が良く思考の回転が速い。

僕はTAKAさんの元、小さなベンチャーで1年弱、しごかれました。

当時 僕が住んでいたのは実家がある福岡県宗像市。田んぼばかりの田舎街です。

そこから博多区天神にあるピエトロビルまで電車で通って仕事をしていました。

テコンドーで培った体力があったので体力面できついと感じた事は一切なかったです。

仕事が終わって、毎日地元で深夜まで飲んでも朝起きるのは何にもきつくなかったし。睡眠時間3時間とかでも“体力的には”全然辛く無かった。

逆に入社1ヶ月目で鈴鹿サーキットに取材に行かせてもらったり、翌月にはタイ・メーホーソンというワケの分からない土地にまで連れていってもらって遭難しかけたり。東京の国際宝飾展で行われたベストジュエリードレッサー賞で芸能人を撮りまくったり。自分がカメラの前でリポートしたことも

今までの人生とは全く違う経験で刺激的な日々。大変でしたが、とても楽しかった記憶があります。


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■イエスマンだった僕は、次第に疲弊していく

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