ラジオDJになるのは使命で、歌手になるのは夢だった。

子供の頃から歌が大好きで、歌手になりたいと思っていました。でも、ネガティヴなところがあり、周りの目が気になって一歩を踏み出せないタイプでした。


中学3年の時、英語のスピーチコンテストに出場しました。英語が好きだったのと、前に出たいのに出られずにいる自分を変えたいと思ったからです。たまたま秋田県代表になり、全国大会に出場してすっかりその気になりました。

「人に何かを伝えるのが向いているのかも。」


高校でも英語のスピーチコンテストに出場し、アフガニスタンへの募金を呼びかけるスピーチをしました。すると、1人のALTの先生が、「あなたのスピーチを聞いて募金をしたくなりました」と、私に100円を託して下さったのです。その場にいた他のALTの先生たちからも次々に募金が集まり、結局数万円をアフガニスタンに募金することができました。

「私のスピーチで心が動いて、行動に移してくれた人がいたんだ。将来は、誰かにきっかけや影響を与える人間になりたいな。」

「歌手になるのは夢だけど、歌は好きすぎて仕事にするのには向かないかも。喋ることは得意だから、それを仕事にして歌は趣味でも一生続けよう。」


喋る仕事=アナウンサーしか思いつかなかったので、とりあえず大学で放送研究会に所属。アナウンスやラジオの勉強をしました。そこで、自分が本当にやりたいと思える職業に出会ったのです。

「ニュースの原稿をそのまま読むより、フリートークでいろんな話をするラジオの方が合ってるかも。」


やがて就活の時期になり、ダメ元でラジオパーソナリティの事務所がやっている新人養成所のオーディションを受けてみました。結果は、まさかの合格。すっかり夢が叶ったつもりになった私は、就活をしませんでした。バイトをして、バンド活動をして、養成所のレッスンに通って、ラジオの現場を経験させてもらって、どんどんラジオが好きになって、とても充実していました。でも、すぐに自分の番組が持てるわけではありません。今思えば、常識も社会経験もないし、自分が本当に伝えたいことが何なのか分かっていなかったのだから、当然です。


大学卒業後、約2年間OLをしながら養成所に通い続けました。

「私が本当に伝えたいことは何だろう?」


大好きなバンドや映画のこと。旅行で訪れた素敵な場所のこと。私が出会ったすごい人たちのこと。離れてやっと分かった田舎の魅力。そして、田舎出身でも夢を叶えられるということ。

「それを伝えるために、ラジオパーソナリティにならなくちゃ!」


いつしか、ラジオパーソナリティになることは、夢ではなく使命へと変わっていきました。

《つづく》

著者の藤田 ゆうみんさんに人生相談を申込む

著者の藤田 ゆうみんさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。