モノづくりに魂を売った話

1 / 2 ページ

僕の「核」となっているのは、紛れも無く「モノづくりが好き」という思いだ。

学生のころから「妄想電話」を作ったりしていたが、サイバーエージェントに入社した後もずっとサービスを作っている。


モノづくりの楽しいところは、自分が作ったモノで、たくさんの人の人生の1ページをつくれること、そしてたくさんの反響をダイレクトに感じれることだ。

Amebaで運用していたウチ姫はTwitterや2chに日々、賛否両論の感想が書かれ、ユーザー規模も大きく伸びた。妄想電話は、勝手に前田敦子さんのCDに収録されてたり、テレビでも勝手にたくさん取り上げられて、「知らない方が逆に恥ずかしい」くらいに広まったし、「鬼から電話」とか「Fancy call」とか、インスパイアされたアプリもたくさんでてきた。



モノづくりの原点


思い返せば、昔からモノづくりが好きだった。

幼稚園や小学校のころは、レゴで建物や乗り物を作って遊んだり、厚紙で工作をして武器や、ピタゴラスイッチみたいな装置を作ったりしていた。

工作をする度に、母親に「部屋を散らかすな」と捨てられてしまうので、ラジコンを改造して、部屋のドアノブが開かなくなるカギを作ったりもした(それはシンプルに怒られた)

小学校の工作や発表も、周りのみんなとは違う工夫のあるものを作って、それをマネする人がでていたし、小学校の文化祭では、針金に電流を流してイライラ棒を作り、行列ができた記憶がある。


しかし、学年が上がるに連れて中学受験の勉強(と見せかけて、隠れてゲームや漫画)に時間を使うようになり、工作はしなくなっていった。



「普通の人」へのあこがれ


中学校以降、工作をしなくなった1番の理由は「一緒に普通に遊ぶ友達が欲しかった」からだ。

電子工作やプログラミングをやっている人はオタクとして扱われているのを感じ、ますますモノづくりをしなくなった。普通の人はそういうことをしない。


大学に入ってもそれは変わらず、授業中は寝て、授業後は友達とだらだら話したり、ボウリングしたり、休日は彼女と遊んで、試験前は過去問をベースに勉強してちゃんと単位はとり、・・・という平凡な生活だった。


あこがれだった普通の学生生活は、1・2年たつと、虚無感の方が大きくなっていった。

自分の存在価値って何だろう?自分がいる世の中と、いなかった世の中で何か違っただろうか?自分は世の中にいる必要があるのだろうか?みたいなことを、どこか感じていた。



「チャリ走」開発者との出会い


それは本当に偶然だったのだが、ネットでチャリ走の開発者のインタビュー記事を見た。

高校生のころ、みんなが夢中になって遊んでいたチャリ走は、僕と年齢もそう変わらない、1人の学生が作ったものだったのだ。個人でも世の中にインパクトを与えられる携帯アプリに無限の可能性を感じ、今まで避けてきたプログラミングをちゃんと始めて、モノづくりに再び夢中になった。


ガラケー全盛期には、チャリ走と同じ「アプリゲット」というプラットフォーム向けに開発をした。

世間一般の人に受け入れられるものを創るには、世間一般の感覚に合わせないといけないので、普通の女子大生だった彼女はモノづくりのための観察対象となり、彼女のSoftbank携帯は貴重なデバッグ端末となった。(そして当然だけどフラれた。)


mixiがオープン化した時にはさらに衝撃を受けた。数千万人のユーザーがいる国民的プラットフォームに、個人がアプリを出せるようになったのだ。僕の作った「マイミクからの寄せ書き」という、日本初のソーシャルグラフを使った診断ジョークアプリは、新しさ故に賛否両論を生んだが、20万人に使われ、はじめて「サーバーがダウンする」という経験をした。

(「否」の意見は、勝手にマイミクの名前を使って診断結果を出すので、本当なのか冗談なのか分からないわ死ねという意見。今でこそFacebookで普通に見るが。)

(画像はこちらのブログから引用)


その後、スマホが出てきた時に作った「妄想電話」は400万ダウンロードを越えた。

みんなの読んで良かった!