ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。
■ラブレター代筆はじめました
「仕事」は楽しいものではない。
苦しくて大変で、時にちょっとだけ楽しいのが「仕事」というもの。
ちょうど1年ほど前、10年以上特に疑いを持たずにいたこの考え方に、ふと疑問を抱くようになった。
つらいことを歯を食いしばってやり続けることは尊く、楽しいこと・楽なことだけやるのは怠慢。
物心ついた時からそのような価値観で育ってきた35歳の男が、「あれ?誰がそう言ってたんだっけ?」とふと立ち止まることになる。
小学生の頃は、放課後に何をして遊ぶかということだけを考えて日々を過ごし、中学生になると女の子のことと高校受験のことを考えて日々を過ごす。高校生になると女の子のことと部活動のことを考える日々に変わり、大学生になるともはや何も考えない日々を過ごしていた。就職してからは仕事のことを考えて過ごし、20代の後半も仕事のこと。30歳の前半になると仕事のことと結婚のことを考えるようになった。
そして、30代中盤。
今まで見えなかったものが急に見えるようになった。
何だか蜃気楼のようにぼんやりとしているけれど、先の方に少し見えるの、あれ、「終着点」なんじゃない?
35歳になった途端、人生の終わりが視界に入るようになった。
70歳で亡くなると想定すると、ちょうど折り返し地点に来たことになる。でも、50歳中盤くらいになったら体力も衰えてくるだろうから、気力・体力が充実した状態で働けるのはあと20年か・・・。
20年!?
初日の出を20回見て、さくらを20回愛でて、海に20回飛び込んで、紅葉を20回眺め、紅白歌合戦を20回観たら終わりってこと・・・!?
歯をくいしばって我慢をしている場合なのだろうか?
"楽しい"ことをもっと追求しなくてはいけないのでは?
自分が好きなこと、やりたいことをやっちゃいけないんだっけ?
常識に従って生きると何がいいんだっけ?
悔いの残る人生を生きたとして、誰か謝ってくれるの?
ふと立ち止まった。
そして、始めた。
「話す」こと「書く」ことが好きなので、とにかくそれだけを仕事とすることにした。
本業は本業として続けつつ、パラレルキャリアという形で「デンシンワークス」という屋号で個人事業主として活動を開始。
経営資源である「ヒト・モノ・カネ」は何もない。見切り発車のお手本のような行動。
ちなみに、見切り発車を辞書で調べると<電車やバスが満員になったり発車時刻が来たりしたために、乗客の全部が乗りきらないうちに発車すること>とある。
見切り発車という言葉すらあてはまらないかもしれない。なぜなら、満員になどなっていないどころか一人もヒトは乗っていないし、発車時刻も来ていない。誰も発車をしてくれとも言っていない。
何はともあれ、僕は始めた。
事業内容としては、企業で人事をしていることもあり、学生さんの就職相談や、転職を検討されている方にアドバイスをする「就職・転職対策」と、プレゼンテーションの際の伝え方や振る舞いについて指導をする「プレゼンテーション指導」の2つを軸にすることにした。
ただ、これだけだと何だかつまらないのと、僕よりも優れた人など吐いて捨てるほどいるので、勝負にならない。それで、突発的に「ラブレター代筆」を加えた。依頼主に代わり、想いを寄せる人へ向けたラブレターの文面を考えるというものだ。
正直なところ、「ラブレター代筆」を選んだ明確な理由はない。
ラブレター代筆を仕事として掲げたらネタになりそうだな、というくらいの動機。
実際にラブレター代筆の仕事が来るなどと思っておらず、「就職・転職対策」と「プレゼンテーション指導」へ誘導するための客寄せパンダのような効果を期待していたに過ぎない。
何はともあれ、ホームページ創世記のような手作り感満載の自社サイトと、エクセルで作った稚拙な宣伝チラシのみを武器に、僕は個人としての活動を始めた。
『何かを始めるときの自分が、一番臆病で、そして一番勇敢だ』
吉田修一の小説に出てくる言葉を思い出していた。
■ラブレター代筆、初受注
活動を始めてから一ヶ月。何も仕事は来なかった。迷惑メールすら来なかった。
街中に立ってチラシを配ったり、笑われることを覚悟で友人・知人に宣伝をしたり(予想通り、もれなく嘲笑をされたけれど・・・)、PRツールとしてブログを開設してちょこちょと更新をしたりしてみたものの、どこからも誰からも仕事は来なかった。世の中から人が消えてしまったのではないかと思った。
価格が高いのかな?という安易な発想で、各サービスの価格をコロコロ変えたりもした。
「ラブレター代筆」ひとつをとっても、2,000円になったり、3,000円になったり、7,000円になったり、8,000円になったり、10,000円になったり、目まぐるしく変化をした。
個人としての活動を始める前、仕事をしながら大学院に通い、マーケティングの講義で価格戦略などというものを教わったりしたが、そんなものを意識している余裕はなかった。戦略は「戦い」を「省略」すると意味で戦略というらしいけれど、僕はとにかく戦いたかったので省略などしたくなかった。とにかく仕事がしたかった。
僕が生きている世界は実は空想で、目に見えている人たちは実際は存在しないのでは??
安いSF映画のような設定を本気で信じ始めていた時、とうとう仕事が舞い込んだ。
しかも、実際に仕事が来ることなど想像していなかったラブレター代筆の依頼だった。
待ち焦がれた初めての依頼メールを前に胸を高鳴らせていたのも束の間、僕は首をひねった。
メールに書かれている内容を理解することができなかったからだ。
文面はこちらで考えるので、文字だけ書いて頂きたいです。
このような内容だった。
文字だけ書く?
サイト上にそのような表現が記載をされていたのかなと思い見直してみたが、そのような記載は見当たらない。
そもそも、僕に文字の代筆をお願いする人がこの世の中に存在するなどと思っていなかった。
友人なら誰しもが知っていることだが、僕はひどいクセ字だ。いや、クセ字という言葉に逃げるのはよそう。単純に、とても字が汚い。
何かの手続きをした際に、書類に自分の名前を記載する必要があり、”小林”と自分の苗字を書いたところ、「山本さんですか?」と問われるくらい汚い。
道端に落ちていた携帯電話を警察に届けた際、拾い主として書類に署名を求められ、”小林”と書いたところ、「ゆっくりでいいからもっと丁寧に書いて」と言われたくらい汚い。
それよりも何よりも、5,000円も払って(結局、ラブレター代筆は5,000円に落ち着いた)文字の代筆だけ依頼をする意味がわからなかった。
書道家などに依頼をするのならまだしも、どこの馬の骨とも青二才ともひょうろく玉ともわからない僕にお願いをしてくる意味がわからなかった。
ご依頼頂きまして誠にありがとうございます。
ご確認なのですが、内容は○○様に考案頂き、私は頂戴した内容を手紙に書き写すだけでよろしいのでしょうか?
僕は返信をした。
やはりどうしても理解ができないので、あらためて確認をした。
すぐに返信が来た。
病気の影響で上手に字を書けないため、代わりに字を書いて欲しいのです。
そう綴られていた。
それ以上問うのは止め、僕は引き受けることにした。
しかしながら、文字を書くだけ、しかも僕の字で5,000円ではあまりにも法外な値段のため、1,000円で引き受けることにした。正直なところ、1,000円でも罪悪感があった。僕が1,000円を払って書かせてもらうくらいでちょうどよい気がしたが、とにもかくにも対価として1,000円を頂くことになった。
また、依頼者の想定を僕の悪筆が大きく超えている可能性も否めなかったため、手紙に書き写した文字を見てもらい、駄目なようなら率直にそう言ってもらい、この依頼はなかったことにする、という約束も取り付けた。
そして仕事を引き受けた翌日、依頼者から文面が送られてきた。
細かい内容は伏せるが、そこには、以前会った時の出来事を詫びる言葉が書かれていた。文章量としては、LINEで完結するようなごく短い文章だった。
この短い文章を書くのに、僕に代筆を依頼しなくてはならない依頼者に思いを馳せた。
字が汚いとか何とか言ってられない。
とにかくやるしかない。
レターセットを購入し、マクドナルドの2階席の隅で、僕は清書に没頭した。
当たり前のことではあるけれど、書いても書いても書いても、残念ながら字が上手にならない。
レターがなくなったため、新たに買い直し、再び書き始める。
おっ、なかなか上手く書けたな、と思ったら字を間違えて、すべてが台無しになる。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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