上海生活、乞食の老人と僕との変な話 -後編-

前編: 上海生活、乞食の老人と僕との変な話 -前篇-


社会人二年生。繰り返される給料と消費の狭間で「将来」に関して不安を抱きながらも何も考えられずにいる自分。気が付けばまた遊びに出かけるのです。やがて同じ世代の仲間はほとんど帰国。年下仲間はまだ学生でクラブや夜遊びで忙しい。仲の良い女友達との他愛の無い不幸自慢をしあっては飲み過ぎで帰る道に聞こえるあの音。


「カンカンカンカンカンカン」


万博だのなんだの盛り上がり変わり続ける上海の夜空。何故かこの乞食の老人の周りだけは何も変わらない。今日も鉄の器をコンクリートに叩きながら笑顔で「カンカンカンカンカンカン」と恵み(お金)を待つ。僕は何故かあの老人を見ると苦笑いが出ます。今日も「ニンハオ!」と挨拶だけで老人も挨拶を返してくれます。


あほうな発想は何時も不意にやってきます。僕は老人にお金について聞いてみたいと思いました。乞食にお金について聞いてなんになるのだろうか。でも何度も想定外の返事や行動をする老人にまた話しかけてみようと思ったのです。




どう話を切り出そうかと思っていた所、老人がタバコを吸うことを思い出しました僕は当時大好きだったセブンスターを取り出します。老人がたばこをもらい、老人のたばこに僕は火をつけます。はたから見たら変な絵柄だったと思います。スーツ姿の若者が乞食の老人に両手たばこの火をつけているんですから。僕は老人と並んで座りました。いきなり「乞食にとってお金ってなんですか?」って聞けるわけもなく、僕は遠回しの質問をしてみました。


ゆうだい
老人、お金をたくさん恵んでくれるのはどこの国の人なんだい?日本人か?欧米人か?韓国人か?それとも中国人かい?

何時も笑顔な老人は初めて表情が変わり少し不愉快だと言わんばかりの変な顔で僕を見ます。それからたばこを吸ってはこう言いました。


乞食の老人
あなたは変な質問をするですねぇ。日本人にも恵んでくれる人がいれば、恵んでくれない人もいいます。それは欧米人も中国人も同じでやす。だから恵み(お金)の前では国なんてのは意味を持たねぇだす。大きな恵みも小さな恵みも恵んでもらえる事は嬉しい事。だから僕はあなたの言っている事が良くわからないでごぜぇます。

何時も、一言二言で答える老人は珍しく語ってくれました。そしてまたもや僕は唖然としてしまいます。何時になく検討もつかない乞食老人の返答に驚きながら妙に納得させられる自分がいます。だってご尤もだと思いませんか?乞食に恵む人種ランキングでもあれば1位の国籍は空港から乞食の皆様がファンクラブみたいに「カンカンカンカンカンカン」「カンカンカンカンカンカン」「カンカンカンカンカンカン」となるわけですから面白い話になってしまうんですよね。国なんて関係ない。金額も関係ない。それで僕は思いました。


ゆうだい
小さいお金も大きなお金もお金はもらって嬉しい物。でも、だからといってお金をくれる何かに捕らわれてはならない。お金の出所に捕らわれていたら、やがてそれにしがらみついてしまう。それは乞食の生き方かもしれない。

なんだか、この「乞食の老人」はまるで乞食じゃない。笑顔で楽しそうに鉄の器を「カンカンカンカンカン」と叩いては恵んでくる人をみて楽しんでいる。この老人、やりたい事をやってお金をもらってる。まるで乞食に見えない。


その時、初めて思いました。お金をねだる事が乞食なのかもしれない。

僕がやたらとイライラしていた理由。やたらと飲み続けた理由。それは今のままでは恐らく上達しないだろう給料や生活、変わらない毎日に加え消費に向けたお金欲しさにダダこねている自分の姿。こんな社会が悪い。自分は悪くないんだと言い訳を続けてはお金、お金とお金に捕らわれていた僕こそが本当の乞食でした。

するとなんだかその状況が面白すぎて爆笑してしまいました。すると老人が不思議そうに僕をみては笑顔を浮かべながらいいます。


乞食の老人
あなたはいい人だなぁ~。


それからしばらく時間が過ぎます。気が付けば、あの「カンカンカンカンカンカン」の音が聞こえなくなりました。次の日も、その次の日も、「カンカンカンカンカンカン」という音が聞こえません。それから数週間、もうその音を聞くことはありませんでした。


乞食の老人はそうやって僕の前から姿を消して行きました。
当時は老人の存在自体が夢か幻なのか不思議だらけで老人の笑顔だけが脳裏に残っていました。


それから間もなく僕もまた帰国します。そして挑戦したかった仕事に挑戦します。収入?自分の情熱を燃やせる場所や仕事を探す事。それが見つかればそれに向かって全力で進むこと。すると人は輝く事ができるようです。輝く所に人が集まり、人が集まる所にお金が集まるそうです。僕もまだまだ未熟ですが、自分の情熱が絶えぬ場所を探し続けます。お金持ちになってはいませんが、お金が足りないと「思う」事もなくなりました。そりゃ、欲しい物も食べたいものもたくさんあります。でも心の中の乞食とは撤退しました。仕事は楽しく難しく周りに迷惑もかけるけどきっと僕は笑顔でいられるのだと思います。

人間、楽しそうにしている人には絶対に勝てません。

そんな生き方を乞食の老人に教わりました。


生きていく中で嫌なことも辛い事もあるのでしょう。でも、それをやり着る事で自分が本当にやりたい事もわかってくる。眼の前の嫌な奴を嫌な奴で終わらせない。眼の前の乞食も乞食で終わらせない。何かの出来事には何かを学ぶ「カンカンカンカンカンカン」と言う知らせかもしれないんです。

イヤ、何よりも・・・・。あまり宗教には詳しく無いんですが後にしった事があります。


乞食(こつじき)とは仏教の世界では解脱(げだつ)を求める出家修行者がなすべきもっとも基本的な修行の一つだそうです。勝手に近所の老人を「乞食の老人」と名付けた僕は、結局自分の思想こそが乞食だという事をしらされたんです。もしあの老人が修行中だったならば僕は修行僧に生きていく中でとても大切な「お金」との向かい合い方について悟らされたのかもしれません。


そうなんです。変な話なんです。

これは上海生活で起こった乞食の老人と僕との変な話なんです。



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