統合失調症になった私 第三章

入院生活を送る中で得たものとして当時感じたものは、仲間だった。同じ病気を持ち、もしくは精神病という大きなくくりの中での理解者と感じた。それまでは精神科に通院していることや、薬を飲むことなど全てをコソコソと隠していました。入院生活をしている間は隠すこともなく、なんでも話すことができて入院していることが守られた空間であると思えたからだ。

でも、私は当時感じたこの感覚が後々になり自分を苦しめることとなるとは思いもしなかった。なぜなら、病院内にある規則があった。

「入院患者同士で連絡先などの交換をしない事」

入院した当時はこの意味が全くわからず、入院患者の中で携帯の番号やメールアドレスなどを教えあうことはよくありました。何故、こうして同じ症状などで苦しみ理解ある方との病院での会話はいいのに、連絡先を交換することがよくないのか?わからなかった理由のひとつにはきっと家族である親や兄弟よりもわかってくれることの嬉しさが大きかったからだと思います。私の両親は私が入院をしたと彼から連絡があったときもその後も「精神病がわからないから東京に住んでいる姉の方が手続きなどの関係上動きやすい」と姉にできる範囲のことを全て任せていたからだ。私は入院した当時この両親の話を知らなかったため、週に一度の主治医との面談の度に家族と話しをすることで理解してもらえると言われて可能な限り両親に電話をしたことを覚えている。でも、電話をしているときはうんうんと頷くように話を聞いていても、長くなると「電話代がもったいないから」と切られていた。だんだんと理解されないことに心は押しつぶされ、自分が明るく話せる時だけ連絡をしたりするようになり「元気だよ」と答えられない時は電話を控えた。この行動は私が招いた最悪の状況でした。ちゃんと主治医に私と両親との関係性、私から感じる両親の見え方や存在を伝えるということを必要と感じずにいて伝えなかったからだ。別にプライベートな事は話さなくていいだろう…この感覚が変わるまではとても時間が私にはかかりました。先ずは主治医を信頼することが必要であり、時期は遡ってもほんの些細なことでも話すことが大事であったからだ。この一度目の入院中には私は気づくことが出来ずわからないままに、ただただ入院費がきになるから、早く退院したいからという理由や願望により主治医に体調が良くなったとウソをついて面談を受けるようになっていました。主治医を信頼できなかったのでわなく、私自身に真っ直ぐに向き合ってくれる主治医を裏切ったことと同じであると思います。私は女医さんが主治医であり、状況的には女性としての悩みなど含めて相談しやすい状況でした。でも、入院費や早く退院したいという理由からちゃんと治療をすることから遠ざかってしまいました。そのため約2ヶ月半ほどで私は一度目の入院生活にピリオドをうち、退院しました。

退院後も本当は幻聴が鳴り止まず、結局数ヶ月で今度はODをして二度目、三度目の入院生活を送ることになりました。二度目も三度目も同じことの繰り返しでまた新たな友人を(病院繋がりという友人)つくり、自分の身体の中で起こっている不思議な状況を理解してくれる仲間。理解してくれる仲間を増やしていきました。
二度目、三度目の入院生活はほぼ1ヶ月くらいで、退院となりました。この時も私は主治医にウソの体調を告げて面談を受けていました。

自分が今、こうして振り返り文字として残し伝えることができているのは、ちゃんと自分自身の病気に向き合った結果があるからです。
私が病気に向き合おうとしたことで先ず気がついたことは、いわゆる病院繋がりという友人知人の仲間という存在を作ったことにより、最終的にマイナスだったことに気付いた。それはお互いに電話やメールで退院後に話したり、お互いが住む地域が近いと直接会うこともありました。それはただマイナスのバイオリズムに突入した人から相談や愚痴などを聞くことにより心身が影響を受けて私自身もしんどくなったり、時には具合が悪くなったり、幻聴が落ち着いていたところに幻聴や幻覚が再発するということです。いわゆる言い方は失礼ですが、「足の引っ張り合い」そのものです。せっかく調子が落ち着いてきても電話やメールで会話をすることにより症状を悪化させてしまう…とても残念なことです。薬を処方して頂き、快復方向へ導いてくださる主治医、そして見守っている彼氏やその家族。私のように実の家族と溝があり理解されなかった場合を除けばきっとあなたのご家族は少しでも良くなって欲しいと見守っていると思います。今も変わらずその気持ちはあると思います。

ある日、通院で主治医と二人で話をしている際に私は先生にこう口にしました。

「ごめんなさい」

このごめんなさいにはたくさんの意味がありました。
たくさんの想いを持ち真っ直ぐに私の快復への導きをしてくださったり、苦しくてつらかった時にしっかりと話を聞いて向き合ってくださった主治医にずっとウソをついていたこと。自分自身が実家の親や兄弟との中にある溝、話さなければならない事柄など含めて、全てを閉ざしてきたからです。主治医に真実を過去も全て話すことをしなければ本当の治療には繋がらないこと、そこに気がついたからです。

そして、病院に入院していた時に連絡先を交換し退院後もつながりを持っていたことにより自分自身で治療をすることから目を背けていたと感じたからです。治療をするためには仲良しでいる必要性はなかった。よほどの理解がある人でなければ難しいことに気がついたからです。
当時SNSツール、電話、手紙、メールなどを含め20人ほど仲間と感じた存在がいました。今はその繋がりは一人だけです。その一人は病気への理解があることと相手に対する言葉の気配りができる存在でありしっかりと家庭という基盤を持っている。これが一番大事であり、言葉を悪く言えば自己中ではないことがわかったからでした。私にも家庭や私の生活がある、そのリズムを崩さないことを前提にいるからです。もちろん私もそうしているつもりです。

だんだん数年をかけて落ち着いた今、私は首から札でもぶら下げていない限り「病気」という印象はないのだと感じています。それだけ落ち着いて生活ができていることはとても喜ばしいことでありませんか?自分が精神科の疾患にかかっているということを口にしなければ誰もわからないのです。これは他の疾患でもいくつかはあてはまります。もちろん表面上とてもしんどい心情で精神疾患で苦しんでいる時に気付かれない事に対する悩みもあると思います。でも、健常者と表現しますが健常者となにも変わらないように見られることがどんなに私の病状が良くなり解放へと向かったことは事実です。薬は処方され通院もしていますが話さなければ健常者と判断されていることへの喜びはありませんか?隠すことより伝えるほうが楽な時期もありましたが、隠しているのではなく自然と健常者と同じように見られていることは私は少なくとも嬉しいです。


私が入院生活などをした上で間違ったと気づいたことは、仲間意識で繋がり互いに足の引っ張り合いをしたことです。
私が入院生活を経てその後気がついたことはちゃんと自分自身の病気や症状に向き合い、自ら安定した生活を送ることができたのは、彼のご家族が腫れ物に触るかのように「大丈夫?」「今日は調子はどう?」と聞かれることなく一人の人間として、病人ではなく普通の一人の人として接してくださったことで前向きになり安定期から回復期への入り口まで進めたことだと感じています。時間はかかりましたが、「入院患者同士で連絡先などの交換をしない事」という意味が理解できたことでした。


次回は薬について綴りたいと思います。

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