南の島の英語が僕を潰し、僕を活かせた話 -潰した編-

次話: 南の島の英語が僕を潰し、僕を生かせた話 -迷わせた編- 

気が付けば南の島にいました。僕の子供の頃の記憶ってそっから始まっています。

8歳のある日の事です。慌ただしく飛行機から降りたそこは夜で真っ暗。ヤシの木が見えたりモワっと空気が暑く重い場所でした。気が付けば空港を出ていて移動中は街灯も無く真っ暗。これから住む家だと言われた場所にはヤモリが鳴いていて自分が今地球のどこにいるのか何も理解する事ができませんでした。

英語が共通語の小さな島。人口5万人で色んな国の人が色んな事をしていました。英語なんて一言も話せない幼い僕が入学したのは「スペシャルクラス」。僕のようない住民の子供たちが英語を学ぶクラスでした。そこには色んな国の子供たちが学年を交えて共に勉強していました。



英語の発音から学ぶのですが僕の英語の素質は「0」でした。特に良くあるLとRの発音の違い。もう無理で無理で無理の無理でした。30分くらい先生とマンツーマンで同じ発音をまねさせられるんですが、先生のイライラが伝わってきて余計にできません。先生はフィリピン人のおばちゃんだったんですが途中でキレ出し、フィリピン語で何か叫びだしては僕を指さしてきます。先生をなめていたわけでは無いんですが・・・。わざと発音を間違えていると思われていたのか人差し指はどんどん近づき僕のおでこをグイグイ押しながら何たらといってきます・・・。英語がわからんのでとにかくこのおばちゃんは怒っているんだなぁと思いました。


8歳ゆうだい
たぶん、一生これ(英語)はないな。


それが僕と英語との出会いです。

最悪というか・・・。もう何がなんだかわかりませんでした。子供ながらに思いました。
「じっとしていれば過ぎ去るのんだろう。きっと英語なんて話せなくても生きていけるだろう。」

まさかそんな僕が10年近くその南の島で暮らす事になるなんて思いもよりませんでした。何よりもそんな僕がそのさらに十年後に英語ラジオでトーク番組をしたり、国際企業相手に英語プレゼンをしたり、国際サミットで討論するなんて、今思えば嘘でも言えないレベルの道のりです。このストーリーはそんな僕の英語との戦記、イヤ成長日記なのかもしれません。


スペシャルクラスから1年、無理矢理のようですが一般のクラスに入学します。現地人や西洋人、英語がペラペラな東洋人、そんな中で授業が始まります。なんとなく何を話しているのかわかっているようでわかっていない。先生に何か聞かれ、答えをいうのですが・・・・。みんな「ぽっか~~ん」とした顔をします。誰も理解できない変な英語を話す僕。英単語があべこべの呪文のような言葉をただただ唱えているだけ。気が付けば何故か英語を話しているのに、その英語を英語で通訳してくれるクラスメートがいました。


気が付けば中学生、高校生と親の仕事を手伝うにつれ英語もなんとか上達し大学進学を期に帰国。そして今度は自然と外国人の友達とつるむようになるのですが・・・。


西洋人代表①
君の英語って・・・。(クックックッ)あれだよね~。田舎くさいというか、フィリピン人くさいというか。ダサイよね。(爆笑)
西洋人代表②
そうそう。なんか笑えるよね。品格が無いっていうか。なんか東洋人独特の発音でもないし、なんか~おっかしぃ~(笑)


それからは5,6人のグループが大爆笑します。幼い頃より苦労してやっと話せるようになった英語。それが笑いものにされ本当に恥ずかしい思いをしました。もうその場に立っていられないというか。英語がおかしいとイジメられるわけでもなく「笑いもの」にされたと言うことが本当に本当にショックで恥ずかしくて一言も話せない自分がいました。裸ならば服をきればいい。でも言葉で笑われてはもう何もいえません。僕は誰ともあう事ができなくなりました。何故か子供の頃も、笑われていたのかもしれないと思えてきてどんどん気落ちしていきます。


コツコツと周りのみんなに助けられ話せるようになった英語が当時の僕を苦しめ続けました。
だから僕は英語を封印する事にしました。もう英語を使うのはやめよう。


それからは誰とつるむことも無く家の近所にあるバーで1人飲みに行く事が増えるようになりました。地下に位置したバーで昼にはどっかの企業の部長さんが趣味で始めたという事もあって店が開いたり開かなかったりと客もあまりいない小さいバーでした。後にロックバンド風の綺麗なおねぇさんがバイトで働くようになります。僕はお客様で無いと思われていてタバコを吸うし悩み相談してくるし、なんだか何時も楽しそうで少し天然な人でした。でもその他愛の無い時間がなんだかバーの外の人たちと話す事が怖くなった自分が心のガードフリーになれる時間でもありました。



それからどれくらいの時間が過ぎたのでしょうか。ある日の事です。何時ものように授業が終わりバーに行きました。珍しく先客がいました。外人のオジサンがいます。バイトのねーさん慌てすぎ。

美人バイト
ヤ~バイ!外人だよ外人!こんなライブ(近く)で外人みるの初めてだよ!どうしょう!話しかけてきたらどうしょう!やばいって!
外人
Sumimasenn!(すみません)

中島美嘉に良く似たこのねぇさん、髪をくくったり解いたり、緊張をほぐそうと僕の前にたって何時ものようにタバコを加えライターで火をつけようとしていた矢先に声を掛けられたのでした。ライター落とすわ、タバコを噛んでは追ってしまうわ。何故か聞いてないふりをするわ・・・。仕方ないので僕はずっと封印していた英語を使いました。

大学生ゆうだい
Can I help you sir?
(何かお困りですか?)
外人
Yeah, I ask for beer and a shot of whisky and she gave me a beer but not whisky.
(ビールとウィスキーのショットを頼んだんだがビールはもらったがウィースキーがまだでね)

たぶん。ウィスキーショットが伝わっていなかったようなのでそれを伝えるとバイトのねぇさんは元気よくウィスキーショットを渡していました。


美人バイト
あんた英語話せるの!すっごいねぇ!やっぱり大学いってる人は違うねぇ!かっこいい~!

大学は関係ないとツッコミたいと思いつつ色々複雑な気持ちではありましたが、美人に「かっこいい」と言われて悪い気はしないもんです。それから度々その外人と話すようになりバー友達になりました。僕は次第に自分の英語への信頼を取り戻します。しかし、やっぱり頭のどこかで無意識的に笑われた事がトラウマで突然黙り込む事もありました。

僕はその外人に聞いてみる事にしました。

大学生ゆうだい
変な質問だけどよぉ。その・・・。俺の話、っていうかおいらの喋りっておかしくないですか?
外人
そりゃ~おっかしいよ!あなたの話は何時もおかしい!きっと普通の若者より色んな事を体験し、考えて生きてきたんだと思うよ。
大学生ゆうだい
いや。僕の英語です。僕の英語。僕の英語はおかしく無いんですか?
外人
英語?(笑)そうだねぇ・・・。
君は僕の仕事をしっているかい?
大学生ゆうだい
バー友達に仕事は聞かないですよ。
知らないです。どんな仕事をしているんですか?
外人
僕はこの近所にある大学の教授だ。この国に来てかれこれ10年もたつ。でもこの国の言葉は話せない。おかしな話かもしれないが、もっとおかしな話があるんだ。
大学生ゆうだい
なんですか?
外人
「TOEICで満点をとりました!」とかを自慢げに話す学生がいる。僕に推薦書を書いてほしいいう学生もいる。でもね、僕はその満点の学生が英語を話しているのを見たことが無い。推薦書を書いてほしいと言う子も帰国子女の友達に通訳をさせる。彼らにとっての英語ってなんだろうね。
大学生ゆうだい
・・・・・・
外人
君は英語の何を気にしているか分からない。でも僕は君とこうしてくだらない話をしていたり、飲んだりしている。ここでバイトしている子も英語できなくても僕が飲みたいものが分かったり挨拶をしてくれる。コミュニケーションってそんな事じゃないかね?

それよりも、君の話は面白いんだよ。LとRの発音で30分練習させられ、先生がキレてフィリピン語で叫びだすって笑える話だよ。英語?君は外人の僕を爆笑させたんだ。それ以上の英語があるのかい?(笑)


「英語」ってなんだろう。
その頃から「英語」や「言語」に対して1つイメージができ始めました。それは、


言語(英語)は乗り物である。


それは人から人へと考えや気持ちを運んでくれる乗り物。だから僕の乗り物(英語)は別に悪くもなんともない。僕の英語はダサイのかもしれない。だから僕は笑われたのかもしれない。それでも僕の乗り物はちゃんと僕の考えを届けてくれている。じゃあ、乗り物を磨けばいいんじゃないだろうか。


僕には当時大好きだった映画がありました。実話を元にした映画で起こしていない犯罪の濡れ衣を着せられ人生のほとんどを刑務所で暮らした元ボクサーの話。その主人公がかっこよくて、あまりにもかっこよくてセリフをマネする事にしました。なりきるというか、そういう英語の磨き方をしました。次第に方言が治るかのように僕のへんてこりんな英語も形を整えて行きました。「アメリカに住んでたの?」って言われるようになりました。


そっからは殻を破ったかのような行動力が爆発します。ガソリン満タン!磨きあがった乗り物(英語)で通訳や翻訳のバイトなどにドンドン挑戦しました。それからは次第に乗りこなすが面白くなってきました。元々大阪出身だからか外人にも笑いがとりたくてウズウズします。なかなかボケ・ツッコミというわけにはいきませんが、それなりに外国語でも笑いをとるツボもわかってきました。それからは笑われるために英語を話していた気がします。


英語で笑われて封印までに落ち込んだ僕は、逆に外人を笑わせられる英語を追及しだしたのです。そっからは友達も増えます。自尊心も育ちます。英語で話しまくって外人を笑わせているのでそこそこモテます。


人は分かってもらいたいから話し、分かりたいから聞きます。

その目的無くしては「言葉」とはただ苦痛の記号でしかないのかもしれません。


だから幼い僕にとって英語は数学より難しいへんな記号だった。話せないから、誰とも話したいと思わなかった。話せるようになったら笑われた。やっぱり話したいと思わなかった。でもそんな自分の20年そこそこの人生が他人には面白いならば話してみる価値はある。乗り物はどこかに行く当てがないなら何もできない。

それが分かった20代前半、英語って乗り物は本当に車を持っている奴より魅力あるんじゃねぇかと思うくらい面白いもんでした。しかし、社会人になって僕は思いもよらない壁にぶつかります。


20代半ば英語ができるけど・・・。英語がうまいともいわれるけど・・・・

英語が全く分からない状況になってしまいます。

これがビジネス、これが・・・・。


国際舞台。







続きのストーリーはこちら!

南の島の英語が僕を潰し、僕を生かせた話 -迷わせた編- 

著者のアルバート 伊藤さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。