雑誌を作っていたころ(59)

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「ネットショップ&アフィリ」


 自分で雑誌を作ることはなくなったが、他人が作っている雑誌のお手伝いはその後も続いた。中でも一番思い出深いのはサイビズの「ネットショップ&アフィリ」だ。

 この雑誌は、同社の看板雑誌であった月刊「サイビズ」の臨時増刊としてスタートした「SOHOコンピューティング」がルーツである。その後「SOHOドメイン」と誌名が変わり、さらに「ネットショップ&アフィリ」に変わった。


「SOHOコンピューティング」を初めて見たときには、かーっと頭に血が上った。「開業マガジン」で進化していこうと思っていた方向を、見事に先取りされていたからだ。「くそー、やられた!」と本気で悔しかった。

 そのときは、まさかその雑誌で自分が原稿を書くことになるとは思いも寄らなかったが、青人社の後輩編集者である安藤くんや、「開業マガジン」でも働いてくれた中村くんがここの編集部で仕事をするようになり、声をかけてくれたのだ。


「開業マガジン」ではあまりネットショップのことにはふれてこなかったが、「ネットショップ&アフィリ」では、どっぷりはまった。毎月日本各地に出かけて行き、個性豊かなネットショップオーナーの話を聞いた。今、mixiやフェイスブックで交流しているショップオーナーの多くは、この雑誌の取材を通じて知り合った人たちだ。

 正直に言ってしまえば、「開業マガジン」の読者は「楽をしてお金を儲けたい」と思っている人が多い。それは、その前に作っていた「起業塾」も同じだった。だが「ネットショップ&アフィリ」の読者は違った。もっと早くに雑誌の方向性を変えておけば、まだまだ可能性があったのだと気づかされた。


サイビズはお金持ちの版元ではなかったので、取材後に酒池肉林などというバブル期の雑誌のような大盤振る舞いはなかったが、取材を通じていろいろなことを勉強させてもらった。「開業マガジン」の取材先とは違う、もっとコンパクトでパンチの効いたビジネスがそこにはあった。そして最も驚いたのは、ネットショップオーナーたちの横の連携の強さだ。彼ら彼女らは非常に勉強熱心で、勉強会があるというと遠方にも出かけて行くのだが、そのあとの親睦会がすごかった。ある意味ではライバル同士のはずなのに、同じ会社の仲間よりも仲がいいのだ。これには感激した。


 その「ネットショップ&アフィリ」が、というより版元のサイビズが潰れ、楽しみだったネットショップの取材が終わりになった。まだまだやれたと思うだけに、残念だった。出版界には数多くの雑誌が存在するが、全体として右肩下がりの基調であることは動かしがたい。全部ではないと思うが、メディアとしての紙の雑誌の多数が「賞味期限切れ」を迎えたのだと思うしかない。







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