やりたいことがない若者は、田舎へ行こう!
記念すべきデビュー戦は、デビュー戦なので、当然、うまく魚を網から外すことなどできるわけがなく、網を手で引っ張る作業をしながら、藻を外したり、小さな魚を外す作業をした。
「できなくてトーゼンだよ」「あはは。こうやんだー」と明るく教えてくれたスマさんには、今でも心から感謝している。
単純な作業だが、意外と体も暖かくなったところで作業終了。
獲れた魚の中から、独り身の僕には多すぎる魚を、「戦果」として分けていただいた。
そこには、アジ、サバ、タイなどの魚が、10匹ほど入っていた。
その魚のおいしいこと、おいしいこと。
朝の労働後の朝ご飯だったこともあるだろう。
また、自分で外した魚だったこともあると思う。
一般的には、刺し網漁の魚は、傷みが激しいと言われるのだが、海なし県の埼玉出身、釣りすらもやったことがない僕にとっては、あの日に食べた刺身のあまりに美味しさには本当に感激した。
「これぞ、田舎暮らしの醍醐味!」とまで思った。
そんな幸せなデビュー戦を無事に終えることができたので、僕の朝の港歩きは加速することになる。毎日のように、かっぱを着て、港を歩いた。
「手伝いましょうか~?」「何か手伝うことありますか~?」と声をかけ、「頼む」と言われれば喜んでやり、「今日はないよ~」「スカだ」と言われれば、「残念ですねー」と言いながら、笑顔でその場を去る。
そんな日々を繰り返した。
思い返せば、こうやって足を運び、自己紹介をし、日々挨拶をし、時には世間話をしたり、質問されたことに答えたりしていくうちに、どんどん島の方との距離が縮まって行ったように感じている。
また、朝、出歩くことで、「あいつはがんばってる」と思ってもらえたという面もあったのかもしれない。
もともと島の方は、人が好き、面倒見がよい方が多いが、その中に、すんなりと入っていけたように思っている。
朝は港での漁のお手伝いから1日がスタートする毎日。
日中は、「緑のふるさと協力隊」の隊員として、地域の様々な仕事のお手伝いをして過ごしていた。
受け入れ初年度の隊員だったこともあり、役場の利浩さんと一緒に作っていく感じが強かったが、4月はとりあえず、ゴールデンウィークに開催される「島びらき」というイベントの準備のお手伝いに奔走した。
まんじゅうを作ったり、コロッケを作ったり、島の名物「わっぱ煮」用の魚をさばいたり、作業をしながらいろんな方々とコミュニケーションを取り、徐々に地域に溶け込んでいく、そんな1か月間を過ごした。
「島びらき」が終わってからは、粟島汽船のお手伝いをしたり、漁協の手伝いをしたりして過ごした。
それからは、草刈の作業をしたり、島のばあちゃんたちの農作業のお手伝いをしたり、民宿のお手伝い、役場の事務作業のお手伝いなどなど、人手が足りてないところに足を運ぶように心がけた。
かゆいところに手が届く存在であり続けようと思ったのだ
その結果、地域のお助けマン的存在の「協力隊」の知名度は少しずつ高まっていき、多くの方から声をかけて頂けるようになっていった。
当時の僕を支えてくれたものが、島のばあちゃんたちの「毎日がんばってるのー」「こんなところまで来てくれてありがとのー」という言葉だった。
当時、自己肯定感の低かった僕は、島のばあちゃんから温かい言葉をかけてもらう度に、「自分は自分であって大丈夫」「いるだけで自分は誰かのお役に立っているんだ」と思えるようになっていった。
この気付き、おばあちゃんたちからの「存在承認」の言葉がけは、本当に大きなものだった。
それまでは、世の中を斜めに見て、「何でこんなに生きづらいんだろう?」とばかり考えていた僕だったが、「こんないいところもある」「こんな素敵な一面もある」と、いいところに目が行くようになり、それまで白黒だった世界が、カラーになったかのような変化を感じていた。
島から受け取った最初の恵みかもしれない。
人は、存在を承認されると、前に向かって歩いて行ける。その言葉の意味を実感した出来事だった。
著者の西畑 良俊さんに人生相談を申込む
著者の西畑 良俊さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます