感動を伝えようとして、文字通り痛い目にあった子供の話
会話に苦手意識。
小さな頃からずっと自分の中にありました。
考えてから答えるクセがついていて、問いかけに答えるのがワンテンポ遅れる。
こんなことを言ったら嫌がられるのではないか、と思って発言をためらう。
「しゃべろうよ」「話そうよ」、そう言われるのがとてつもなく苦痛でした。
そう言われる度、過剰に反応してしまうんですね。
口に出して反発こそしませんが、こんな感情で一杯になってしまうのです。
人の気も知らないで。
喋らないことの何がいけないんだ。
そしてひどく落ち込む。
できて当たり前のことをできていないのではないか、といった感じでした。
重要なのは分かるけど
最近もそんなことがありました。
個人的に受けているコンサルで、会話の重要性とコツを教えて頂いた時のことでした。
「会話はできた方が良い」
「会話のコツは相手が話したいことを聞くこと」
頭では理解できるのですが、何となく腑に落ちないまま時間が来てしまいました。
終了後、すごくごちゃごちゃしてしまったのです。
また会話のことを言われた。
でもどうしたら良いんだ!
もう何も手につかない状態になっていました。
泣きたくなっていました。と言うか泣いていました。
取り敢えず頭の中を書き出して整理しようと、夜の公園に向かいました。
ベンチに座り、夜風に当たりながら鞄からノートとペンを取り出して。
しかしいざ書いてみても堂々巡りな感じで、何だかなぁと思っていたのですが。
![](https://pic.storys.jp/t/35774/93df7203.png)
もしかしたら、自分でも思い返したくないトラウマがあるのでは―。
そう思い至りました。
そう言うことがある、とは本で知っていましたから。
小学校に入る頃には人の輪を避けるようになっていたので、原因があるとすればその前。
その前の記憶と言えば
友達の家でマリオの人形で遊んでいたこと、
雪の日にずっとファミコンで遊んでいたこと、
幼稚園でひよこにびびって「よく持てるね」なんて言っていたこと、
寝る前に本を読んでもらったこと、
他には―。
それを思い出した瞬間、体が震えてきました。
涙が溢れ出てきました。
あ、これだと直感したのです。
その記憶とは…
ある雨の日
それはある雨の日のことでした。
母と姉と私の3人で、姉が通うピアノ教室から帰る時のこと。
当時私はレッスンを受けておらず、そこのテレビを見ながら待つのがお気に入りでした。
その時やっていたのはドラえもんの映画。確か雲の王国です。
それで帰り道、黄色のレインコートを来た私は母に向かってその映画のことを話していたんです。
ラストの展開に感動し、それを伝えたくて。
ちょっと興奮気味に、ぴょんぴょん跳ねながら。
![](https://pic.storys.jp/t/35775/4b730445.jpeg)
と、その時です。
側溝の蓋で足を滑らせ、私は後ろに倒れてしまったのでした。
確か頭も打ちました。
当然とても痛くて、大泣きをした訳です。
それはもう、わんわん泣き叫んだ訳です。
そこに母からの言葉が重なりました。
「もう、○○なんだから。」
正確には覚えていませんが、ちゃんと前を見ていない、足元に気をつけていない、そのようなニュアンスでした。
とにかく叱られるような感じだったんですね。
ショックでした。よしよしって言ってほしかったのに。
![](https://pic.storys.jp/t/35776/36f41b19.png)
思い返しながら何度も涙がこぼれて、そりゃトラウマになるよなぁと思ったのでした。
話をしていただけ、感動を伝えたかっただけで文字通り痛い目を見たのですから。
それもダブルパンチで。
以来話をする=痛いこと・嫌なことが起こる、と刷り込まれてしまったのだなと納得がいきました。
ならば、逆に人と話して良かったことで記憶を塗り替えてやろう。
今はそう画策中です。
色んな人と会話を楽しめる日が来ることを信じて―。
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