統合失調症になった私 第四章

しばらく時間が空いてしまいましたが、今回は薬について綴りたいと思います。

統合失調症を初めて診断された時の病院で、私はどのような治療をするのかもわかりませんでした。
正直当時の状況は、様々な不安から眠れなかったことが大半を占めていて他の症状である幻聴や幻覚がひどかったわけではなかったので、職場に行き仕事ができる状態だけを臨んでいました。
もう8年近く前のことなので薬の名前は覚えていませんが、睡眠導入剤を含む向精神薬などでした。
確かに眠ることはできる。でも、朝起きれない。起きてもボーっとしていて体が動かない。
飲み始めたころは仕方のないことなのかと思い、次の受診日まで我慢して服用していました。

出勤もほぼお昼過ぎにはなっていましたが、職場へ行けばなんとか仕事はこなせていました。
でも、午後に出勤しているので必然と残業となり完全に夜型の生活リズムになっていました。
ある日、どうしても次の日の打ち合わせが午前中にあり、ちゃんと出勤できる自身がなかったため上司に願い出てその夜だけ社宅へ泊めていただきました。
残業が夜中に終わり、上司と社宅へ移動して軽く食事をとりお風呂には入らず寝ようと思って上司のいる前で薬袋から薬を出して飲みました。

その瞬間初めての感覚に動けなくなったのです。
薬を飲んで数分足らずでバタンと倒れてしまいました。目は開いている…でも身体がピクリとも動かせない。恐怖という感情に包まれました。上司はそのまま布団をかけてくださり「もう寝てしまっていいよ。大丈夫だから」その言葉を最後に私は記憶がなくなりました。今まで服用してきてそのようなことはなかった。ゆっくりと眠くなって寝てしまうことは度々ありましたが、倒れて指ひとつ動かせないことなんてなかった。ただただ怖くて、このまま死んでしまうんじゃないかという怖さと、薬に対する不安を感じました。

次の朝まだ上司が寝ているころに目が覚めて、その日は自宅ではない緊張からかそこそこ動くことができたので昨夜購入していた朝ごはんと珈琲を飲んでメイクを落としてなかったので一度メイクを洗い流し簡単にメイクをして会社へ向かいました。この時朝ごはん後の薬を飲むことがとても怖かったことを覚えています。

職場へ移動してから、普段は朝から出勤なんてできていなかったので掃除をして珈琲メーカーの設置をして自分のパソコンに向かい作業をしていました。
しばらくして上司も出勤したときに呼ばれたので、喫煙所へ向かい上司から昨夜の話をされました。とても心配されていた様子で、申し訳なかったのですがなぜそうなったのかも私自身にはわからなかったので夕方に病院へ受診することを申し出て仕事が落ち着いたところで夕方に病院へ行きました。

医師の判断は疲労とか緊張からそういう状況を引き起こすことはあると断言され、薬の変更はしてもらえませんでした。
ここで初めてその医師への不信感、薬への不安感がはっきりと芽生えたことは覚えています。
でも、服用をやめることは逆に怖くて服用し続けました。そのためやはり自宅へ帰って休んだ後の次の日の出勤はお昼過ぎで、だんだん会社へ行くことができなくなり、日を重ねるたびにひどくなり最後は出社できない状態になりました。

上司から10時過ぎに連絡があり、早く会社へ来るように言われて「これから出ます」といったもののまた寝てしまったり。電車に乗って職場へ向かったはずなのに電車で寝てしまったために逆方向の終点に着いていたりして職場へ自ら進んで向かうことはできなくなっていました。


その後勤めていた会社を一時的に「傷病手当の手続きをして休職しました」でも、復帰はできずやめることとなったので、必然的に病院は自宅近くのクリニックへ移動しました。この時に他院へ移動するために紹介状や転院の手続きをさせて欲しいと医師に伝えたところその医師は転院したいなら勝手に移動していいという言葉だけで、紹介状も書かなかったため仕方なくクリニックへ新規で通院を始めました。以前通院していた病院はしばらくたって何かトラブルがあったようで閉院していました。新しく通院を始めたクリニックでは医師はお薬手帳を見て「こんな薬の処方はおかしい」とだけ発して薬の処方を変更しますといって今まで飲んだことのない薬を処方されました。

この時以前の病院で処方されていた薬のひっかかりはなんとなくなくなって、新しいクリニックでの処方を信じていました。

でも、会社という場所を離れワンちゃんと一緒にただただ生きているだけの生活を続けましたが毎日だるくて起きてもどこかへ行こういう気持ちににもなれず部屋でボーっと過ごす毎日でした。時々無性にお腹がすいてご飯を買いに行くことと、自宅近くに会ったお店にふらっと行ってみる事だけが日課のようでした。薬は個人差があって処方されるため知人から聞いたりネットで聞いた薬を飲みたいといっても変更できるものでもなく、ただただ通院と服用の繰り返しでした。

新しいクリニックへ移動してから2ヶ月くらい経ったころから幻聴、幻覚に悩まされる日々となり、医師に相談しても、薬を変更しても変わらない症状におびえ始めるようになったころ。私は死を選ぶ考えに完全に支配されかけていました。

死ねばもう聞こえない?死ねばもう見えない?

ただその症状だけがなくなってくれたら私は楽に生きられるかもしれない。でも、消えることもないみたいだし病気が治るような回復傾向がみえなかったためです。
当時お付き合いをしていた今の主人とであっていなければきっともっと早い段階で死を選んだでしょう。思うように身体を動かせず、幻聴と幻覚におびえながら生きる事の怖さ、恐怖そのもでした。

しばらくして、処方された薬を勝手に違う袋に溜め込むようになりました。ほとんど無意識でしていた行動です。約3ヶ月近い薬が溜まったころ、私はワンちゃんにごめんねと話してその薬をすべて飲みました。不思議と幸せだったと感じる時間や職場でのニコニコして仕事に専念していた私自身とかが走馬灯のように浮かんだのを覚えています。
側にちょこんと寄り添うワンちゃんにありがとうといいながら薄れていく記憶に身を任せていたころ、突然の来客があり、玄関をあけてしまった。友人でした。
友人はなんとなく気がついたのでしょうか?私の彼に連絡をして、救急車などの手配をしているようでしたが私はその時には動けなくなりベッドの横に倒れていたそうです。

救急隊員がきて、部屋のゴミばこの中とかをチェックしていたそうですが、薬の殻があるわけでもなくとりあえず病院で薬を抜くための処置をされていました。
薬の致死量には達していなかったのと、発見が早かったために助かったそうです。自殺を試みるなんて今までに生きてきた中では考えもしなかった行動です。はっきりと死にたいと願って自殺未遂を起こしたことはありました。でも、その時と同じく私は生きている。それほど虚しくて情けないことはなかったと思います。

この時は夜に病院に彼が迎えに来てくれたことで自宅へは帰ることができました。帰宅してからニコニコとした表情でシッポを振り続けるワンちゃんにもたくさん謝りました。


でも、その年の年末に私はまた自殺未遂をしようとした。
この時は薬をたくさん飲むのではなく、飛び降りをしようとしたらしいです。その日彼が私の部屋にいてくれなかったら今はきっと生きていないかもしれません。そしてこうして今パソコンに向かっている自分が存在することもなかったかもしれない。そう思うと今は病気はあるけれど幸せだから、生きていられてよかったと思います。

この自殺未遂をしたときに今通院している病院に入院しました。そして今の担当の医師に出会うことができました。今は感謝しかありません。彼にももちろん幾度となく支えてくれた医師にも友人にも。


薬をよく知ってっ服用することの大切さ、そして長く服用もしていれば副作用もある。ただ余裕がなければ調べることもできなかったと思います。今は飲んでいる薬のことや副作用などは調べて把握しているつもりです。そして、今の私は睡眠薬や睡眠導入剤にたよらない生活をしています。安定剤や抗不安薬などだけでもそれなりに生活ができる状態になれたから。


薬は時に恐ろしいものへと変化する。私は女性なのでできることなら太りたくはない。でも処方されたある薬の副作用で半年足らずで30kg太りました。そのときは出かけることもしたくなかったし誰にも会いたくなかった。いつしか引きこもるようになっていました。出かけるのも夜だったらいけるけど日中は出かけることはしたくない。その薬をある時期からすこしづつ減らしてもらい、完全に服用しなくなった後2ヶ月くらいから自然と体は元の体系に戻っていきました。
この時、薬という存在のもたらす恐ろしさも、必要で不可欠であるがゆえに苦しむこともあります。薬に頼る生活も時には必要であり、本当は自ら薬を絶つ勇気もありません。でも、薬を服用することによって副作用など自分ではどうしようもない結果を引き起こすこともあるのだと思っています。


薬を良く知り、自分の体調などを医師と相談しながら減らしていくことは大事だと感じます。薬を処方する側の責任と服用する側の責任があるから。


ある友人にあるとき言われてとても苦しかったこと。それは薬に頼りすぎ、病気に病名に甘えすぎ。
それは私にとって今必要であり、医師と相談しながら処方されている薬が目の前にあるから。友人は言いました。もう見た目も普通の健常者と同等にしか見えない。だから精神薬に頼って生きているのはどうかという話だった。

本当は怖いんです。薬の服用をやめた後に病状が悪化しないのか?だってついこの間でもちょっとしたことから積もったストレスから体調が顕著に変わったから。
このような精神疾患を患っている方はたくさんいます。でも、それぞれに処方される薬や治療法はみんな異なると思います。本人の生活パターンや性格、もちろん症状によってです。私はどちらかというと気持ちを溜め込みやすいです。伴侶となった主人にもなかなか言えなかったりする事はたくさんあります。でも、お付き合いを始めてから何年もかけて話せるようになってきたり、まだなかなか話し出せずに抱えることもあります。どんなに信頼していても信じている相手でも言い出せずに溜め込んで苦しくなってパンク寸前に吐き出すことも度々あります。例えば私は専業主婦ですが、専業主婦としての生活リズムやパターンを優先したいので朝方に身体に薬の成分が残ってしまうような状態にはなりたくない。でも、主人が出勤した後に家事をして疲れがあれば日中に寝ることは毎日あります。もちろん毎日きちんと家事をこなしているわけではありません。一日ぼーっと過ごす日もあります。完璧になんてなれない。人間はどこかで失敗や成功を繰り返しながら自分に満足する部分を探しながら生きている気がしています。主人からしたら私はまだ全然足りない部分や配慮ができないところもあります。でも、主人だって完璧なんて求めていません。いつか診察に行った日に私はもっと動きたいから薬を減らして欲しいとお願いしたことがありました。でも、医師の答えはNoでした。それは完璧に…きちんと…などという言葉にとらわれている私をしっかりと見据えていたからです。なぜなら私が望む行動ができるように薬を減らしたとしても、きっと出来ない日や出来なったと思う日が出てきたときに私は自らを攻め立てたりして毎日に後悔していたりすることでまた精神的にストレスを抱えるであろう事がわかっていたのだと思います。医師は言いました。「今は私の行動をあえて休ませているんだ」「もっと調子が安定して今以上に考えたり行動したりしても大丈夫な時がきたらお薬は減らせる」この言葉を聞いて私はココロのどこかでホッとしました。日中寝てしまったり、だらけた生活をしていてだめだなぁと主人に対して悪いな…と感じる部分がゼロではないけれど、ちょっとだけ仕方のないことでもあるんだなって納得できたから。心を休ませるために、必要な薬は存在するのだと。

風邪をひいたから治すために飲む薬、熱がでたから下げるために飲む薬。簡単にいえばこのような時には何も不安なく薬を服用するのに、精神薬であると判断しただけで飲むことに躊躇する。それでもいいと思います。でも、言葉を変えればココロが疲れてしまったときに気持ちだけが焦ってしまい、休むこともできなくなって倒れてしまうことがあるのであれば、ココロの休息のために用意しておく薬が存在してもいいのではないかと思います。数年かけて少しずつ快復方向へむかっていても何かのきっかけで逆戻りしてしまうとか、再発してしまうことなどあるかもしれません。時と場合によっては薬に頼って生きていてもいいのではないでしょうか?

その代わり、服用する側の責任としてちゃんと薬のことは調べて欲しい。処方する側は服用している本人からの言葉で現状を知り、状態を知り処方を変えたりするのだから、もし処方された薬が合わないとわかれば意思に申告すればいいのです。変える必要性があれば理由と共に変更してくれる。変更する必要のないものであってもちゃんと理由を聞く権利は私たちにはあるから。薬に対して不安感があるのはおかしくもないことです。でも、申告する義務と知る権利が互いに存在することはどのような薬においても同じだと思います。

経験したからこそわかる薬の効果や怖さ。ただ漠然とした理由で怖いと決めないでもいいのではないでしょうか。自分の病気に向き合いましょう。
私は薬で嫌な思いも嬉しいことも経験しました。医師とも家族とも意見が食い違いもめたこともあります。でも、まだまだ治療途中の段階です。こらからも薬が増えたり減ったりもすると思います。望むことは薬を飲まなくてもいい状態を保てることですが、ゆっくりゆっくり焦らずにいこうと思います。焦ってしまったことで何度も失敗もしたし、大切な家族に迷惑もかけたから。今、私の中で大事な家族は主人です。きっとこれから先も連れ添って生きていくでしょう。その大事な家族と穏やかに生活していくために必要な薬ならちゃんと知った上で服用します。


薬の件についてはきっと多くの意見が飛び交うことと思います。これは私のまだ浅い経験上の意見ですが、どのような病気でも処方された薬を知る権利、どうしても身体に合わなければ申告し変更してもらう権利は存在する。私も何度も合わない薬があり、理由や症状を申告し変更もしてもらいました。でも、これは本人が伝えることをしなければ医師にはわかりません。


最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
まだ治療途中で、時には立ち止まったり悩んだり、身体が思うように動かせず寝込むこともありますが、診断されたあの日から考えると状態は落ち着き、良い状態を保てているほうだと思っています。これから先に自分の病気のことをつづるときは迷いもあると思います。でも、ある日気がついたんです。病気になってから小さなことに幸せや喜びを感じることができていたり、その気付きひとつに私は何度も助けられたり、ココロが軽くなったりしてこれたのだと。同じ晴れた空でも空模様が違ってホッとしたり、感動したり、時には切なくなったり…。そのどれもが私の生き方を支えてくれていると感じています。物理的に主人のように私の一番近くで支えてくれる存在、すぐ近くではなくてもココロのどこかでいつも支えてくれる友人。病気になって失ったものもあります。でも、気付くことで得られたものはたくさんあって、これからもたくさん増えていくと思っています。
みなさんの心にもきっとたくさんの気付きから得られる幸せや喜びがこれから先もあるように願っています。

著者のeco ecoさんに人生相談を申込む

著者のeco ecoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。