夢追い人

3 / 3 ページ


機械での確認には下記の3点があります


電気流量センサー


ガス流量センサー


水道流量センサー


24時間センサー移動がなければ報告、これは技術的には出来ますが


法律的に難しい。


電線を使った安否確認は総務省の電波法の壁で現状安否確認には使用できない。


今後在宅福祉へ転換した時には第一にクリヤーしなければならない。

 

大分県総合福祉計画は完成後に冊子となり都道府県の福祉課には配布されました。

この頃から遠くからの訪問客が増えました。

その中の一人が民間救急サービスの創始者江藤さんです。

生まれは大分県別府市です。

今は静岡県浜松市でタクシー会社を経営しながら民間救急サービスを目指して

長年、運輸省と車両の改造・変更で戦って青色灯までは勝ち取ったが、

赤色灯はまだ遠いとの事、これからも挑戦は続くし続ける覚悟である。

彼は今は川崎に移転した全日救患者輸送と言う会社の社長でありました。

別府で江藤さんを連れてきた友達のマンションで飲むことになりました。

酒を飲みながらこれまでの苦労話を聞いておりました

江藤さんは体調が悪いのか食が進みませんでしたので

病院に行くことを進めました。

翌日別府市健診センターに行き健康診断を受けました。

診断結果が出た時に医師から私が呼ばれました。

江藤さんが私は親戚みたいな者だから検査結果を一緒に聞く様に

手配したのです。他人ですが同じ姓の江藤、この時だけの親戚でした。

医者は結果の説明で末期がんですと言いました。

家族に伝えてくださいと言われたので江藤さんに言うと、

以前手術を受けていた事も本人から喋って来ました。

この後川崎へと帰って行きました。

そして3ヶ月後に江藤さんの死亡の知らせが届きました

江藤さんが大分に来たのは最後のお別れに来た様なものでした。

来た時、全日救患者輸送は倒産していて他人の手に渡っていたのです。

私には何も出来ない、悲しい別れでした。

 

もう一人は伊藤さん、年齢は私より5歳ほど上でした。

住まいは別府ですが事務所は大分市でした。

病院の食事を作る事業をご夫婦でしていました。

事業所で食事を作り、病院で盛り付ける作業をして患者さんに提供していたのです。

1990年頃には先進的な事業でした。

最初は私の店(大分市春日町)に突然やって来たのです。

偶々店に居たので話を聞くと病院給食の事業をやっているとの事でした。

後日事務所を訪問致しました。

事務所兼作業所には女性のパート数人と男性の配達員、伊藤さんと奥さんが

作業中でした。献立メニューに従っての作業は大変です。

伊藤さん曰く、1500万円が今の損益分岐点だが今の損益は若干厳しい処だと。

でも楽しいこの仕事が、もっと取引先が増えれば経営は安定するのだが・・・

そして3年程先にがんで死亡の知らせが届きました。

事業は奥さんが続けるが経営者は代わるとの事でした。

 

どの事業も先駆者は苦労しながら進むもの、結果は直ぐには出ない。

夢を追いながら死んでいった方々にご苦労様でしたと言いたい。

1992年には商標登録をしました。

『安心倶楽部』です。

在宅福祉のネットワークシステムを全国的に広めるために使用。

しかし絵に描いた餅に終わりました。

『安心倶楽部』は更新料を払わずに公知の事実として現在に至っています。

20年前の在宅福祉ネットワークシステムを完成するのが夢となっています。

ここに来て使えるシステムは沢山あります。

まだ総務省の電波の問題は解決しては居ませんが、代用が可能なシステムが有るので

後は実行のみになっています。

長年描いていた在宅福祉が出来る日が楽しみな今日此の頃です。


 
















続きのストーリーの設定を取り消す

タグ




ストーリーに続きがあればクリック


JTB STORYS.JPタイアップ 旅ガタリ「旅の思い出ありますか?」旅のストーリーをのこす


続きのストーリーの設定を取り消す

タグ




ストーリーに続きがあればクリック


JTB STORYS.JPタイアップ 旅ガタリ「旅の思い出ありますか?」旅のストーリーをのこす




















著者の江藤 清己さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。