ヨーロッパの思想家が自らのルーツをギリシア・ローマに求めることの妥当性についての話

思うところあって、教育思想史関係の本を乱読中。

ルソーとかデューイはもちろん出てくるけど、ニーチェやフーコーなど現代思想につながるものもかなりの頻度で取り上げられている。あとは、アウグスティヌスなどの中世カトリシズムの思想家も頻出。

そしてもちろん、それらの起源はソクラテス、プラトン、アリストテレス。やはり、教育思想史をたどる旅は西洋哲学史そのものであるようだ。

僕にとってはおなじみのニーチェもフーコーもその思想的な起源をギリシア、あるいはローマ哲学に求めている。ヨーロッパ的理性の「われわれ」意識の起源は明らかにかの地にある。

しかし、フーコーのフランスはもともとはガリアであり、ギリシアからはるか遠く、カエサルによって征服された「野蛮」の地。ましてやニーチェのドイツ(ゲルマニア)などは、歴史上ローマの版図であったことが一度もない辺境の地であった。

「民主主義」華やかなりし頃のギリシア、共和制ローマの系譜を主張するのであれば、植民都市が多かった、あるいはギリシアそのものであった小アジア(トルコ)やプトレマイオス朝などのギリシア人王朝が勃興した北アフリカ(エジプト)の人々のほうがはるかにその権利を保有していると言えるだろう。それは小アジアからカイロに連なるこの地域に残されているギリシア・ローマ遺跡の圧倒的な量や質から考えても議論の余地はない。

帝政ローマ以降の時代を考えても、仄暗い森の中で常に略奪の機会をうかがっていたゲルマニア(ドイツ)よりも、ローマ人が求めたパン(小麦生産)を支え続けたエジプトのほうがはるかにローマ化された地域だった。

そして、中世スコラ哲学よりもイスラーム哲学のほうが、よりギリシア・ローマ哲学をよく継承していたと言えるだろうし、現代のこれらの地域の人々がその思想的ルーツをギリシア・ローマに求めないというのは、後世の宗教的アイデンティティーもさることながら、この思想の正統的継承者であるが故の当事者意識の薄さによるものだろうかと邪推してみたくもなる。

文化はその辺境地域でより純化された形で保存されるというのは、文化人類学では定説だが、とにかく思想、あるいは歴史的な「われわれ」意識とはアンダーソンの「想像の共同体」概念を持ち出すまでもなく、その時点での人々がどのように自分のルーツを位置付けるのかという生々しいまでの現時代的な行為であると言える。

だから、トルコやエジプトの人々よりもギリシア・ローマ的であるというヨーロッパ思想家たちの「われわれ」意識とは、そうありたいという願望に支えられた「空想」であると言っても差支えないだろう。かつてのゲルマン人の末裔であるドイツの思想家のギリシア・ローマに対する憧憬は凄まじさすら感じる。

ならば、ギリシア・ローマ哲学を自らの思想の拠り所とする者はすべてその系譜を引いているといえるのだろうか。これが思想が持つ普遍性と呼べるものか?

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