雑誌を作っていたころ(61)

前話: 雑誌を作っていたころ(60)
次話: 雑誌を作っていたころ(62)


「ネットブック」の激震


 エイサーのPR誌「Tell Acer(テル・エイサー)」創刊号では、「コンピュテックス台北2008」で発表されるエイサーの戦略商品「アスパイア・ワン」を大々的に取り上げることになった。アスパイア・ワンは小型軽量・低価格が売りのノートパソコンで、エイサーではこれを「ネットブック」という新カテゴリーの商品として売りだそうとしていた。


 そのために、ぼくら取材班は台北に取材に行くことになった。ぼくは今まで国際的な展示会というとパリ・サロンなどの自動車関連しか取材したことがなかったから、興味津々だった。台湾には以前、友人と一緒に観光旅行に行ったことがあるだけで、もちろん取材は初めて。「はじめての取材」につきものの興奮が、体中を駆け巡った。


 取材のスケジュールは、6月3日の午前9時40分にチャイナエアラインで成田を出発、12時10分に台湾桃園国際空港着。すぐに遠東国際大飯店に移動して、アスパイア・ワンのプレスカンファレンスを取材する。それからエイサー本社に移動して、日本エイサーの社長であるボブ・セン氏の案内のもと、エイサー本社の取材。さらにコンピュテックス台北の会場である台北世界中心第1ホールと、台北世界中心南港展覧館の下見。これで1日目は終了。2日目と3日目はコンピテックス台北の取材でびっしり。そして3日目の16時30分に台湾を発って成田に戻ることになっていた。


 会場の熱気や新製品への関心などは、今から思い出して書くよりも当時の原稿を再録したほうがいいだろう。

--------------

「アジア最大のコンピュータ・ショー」として名高いコンピュテックス台北2008が、6月3日から7日まで台北市の世界貿易センターなどで開催された。初日である6月3日、エイサーは同会場に世界各国のメディアを集め、新製品の「アスパイア・ワン」を発表した。


 日本人にはなじみが薄いかもしれないが、コンピュテックスは参観者13万人、出展者5000という世界第2位のコンピュータ見本市である。「ICの設計・製造世界一」「ルーター、モデム、ハブ、無線LANなどのネットワーク製品世界一」「ノートPC世界一」「液晶モニター世界一」という台湾の実力を見せつける場、それがコンピュテックスなのである。


 そこで発表されたアスパイア・ワンは、エイサーが満を持して世界市場に送り出した新ジャンルの製品。得意のノートPCよりも小さく、「どこでもインターネットが使える」という持ち運びに便利な「ネットブック」というタイプである。


 大きさは24×17cm。B5判よりもさらに一回り小さく、重さは1kg前後(タイプによって異なる。Linux版は1kg未満で、Windows版は1kgを少し上回る)。その小さな筐体にフルキーボードと8.9型の液晶ディスプレイを搭載する。最大の魅力は価格。Linux版で399ドル、Winsows版は499ドルという低価格で、これは日本で人気の超小型ノートPCと比較すると、1/3以下となる。


 ターゲットは、インターネットのヘビーユーザーと、小中学生や主婦など、あまりPCに親しんでいなかった層。日本でいえば、「携帯電話でメールやインターネットにアクセスしている人たち」と、「いつも鞄にノートPCを入れて持ち歩いているビジネスマン」が主要顧客だ。


 アスパイア・ワンのCPUには、インテルの新しいモデルである「Atom」が採用された。このCPUはモバイル・インターネット機器のために作られたもので、超小型、低消費電力でありながら、PC用のCPUとの互換性が保たれているのが特徴だ。今年の3月に発表されたばかりの新製品である。


 エイサーでは、ネットブックの位置づけを「携帯電話とノートPCの中間」と説明する。これまで、携帯電話の不充分なインターネット接続機能を我慢して使ってきた人たちに、「いつでもどこでもインターネットに接続できる環境をもたらす機器」というわけだ。そして、この製品によってPCの便利さを知ってもらい、エイサーの主力製品であるノートPCに目を向けさせようというねらいもある。


 発表会場で、エイサー本社のヘンリー・ウォン氏にインタビューすることができた。氏はコーポレートブランディング、PR、プロダクトデザインなどを担当しているが、アスパイア・ワンについてこのように語った。

「今回発表したアスパイア・ワンは、私たちが“ネットブック”と呼んでいる領域の製品です。これは携帯電話とノートブックの間を埋めるモバイル・インターネット・デバイスで、ここには大きな潜在需要があるものと確信しています」


「従来、この領域にはPDAと呼ばれる製品が存在しましたが、アスパイア・ワンはPDAではなく、超小型のPCです。PDAはOSやCPUがPCとは異なり、そのパフォーマンスは限定的なものでした。また、インターネットへの接続も必ずしも得意とは言えませんでした。その点、アスパイア・ワンはPCですから、日常使っているPCとの互換性を心配する必要はありません。無線LANを搭載しているので、インターネットへのアクセスも簡単です」


「さらに、今年の年末には追加機種として、3G携帯電話のSIMカードに対応し、WiMAXを搭載したものが登場する予定です。そうなれば、文字通り“いつでも、どんな場所でも”インターネットに接続できる環境が手に入ります。これこそ、世界中のインターネットユーザーが待望していた道具ではないでしょうか。誰もが使えるように、お値段も手の届きやすいものにしています」


 WiMAXとはWorldwide Interoperability for Microwave Accessの略で、都市をまるごとカバーする、高速無線ネットワーク。狭い範囲でしか使えない無線LANとは違い、1台のアンテナで半径50kmをカバーする。それに補助手段として携帯電話のカードが加われば、外出時にインターネットへアクセスする場合の不自由はなくなる。アスパイア・ワンはそれを実現するツールなのだ。


 ヘンリー・ウォン氏は、アスパイア・ワンの日本市場に対する期待を、次のように語った。

「この製品はPCの初心者と、インターネットのヘビーユーザーの両方に受け入れられると考えています。最も期待しているのは北米市場ですが、日本でも同様に注目されることを願っています」


「日本市場では残念ながら、まだエイサーの知名度がそれほど高くありません。外国企業にとって、日本は非常に困難な市場なのです。しかし私たちは、このアスパイア・ワンがその状態を改善してくれるものと思っています。日本には大勢のインターネットユーザーが存在し、この製品はインターネットを使う人のためにデザインされているからです」


「日本にはPCを持たずに携帯電話でインターネットを利用しているユーザーがたくさんいると聞いています。しかし携帯電話がいくら便利になっても、その機能には限界があります。メールにファイルを添付することも自由にはできません。その点、携帯電話並みの価格で購入できるアスパイア・ワンなら自由自在です。ですから、私たちはこのアスパイア・ワンを日本市場に強くアピールしていこうと考えています」


 アスパイア・ワンの本体色は4色。ブルー、ホワイト、ブラウン、ピンクで、いずれも従来のPCとは異なり、軽快で親しみやすく、PCの初心者が手に取りやすいカラーだ。

 現代日本の風物詩ともいえる「携帯電話でメールを読み書きする姿」だが、もしかすると近い将来、「アスパイア・ワンでメールを読み書きする姿」に置き換えられてしまうかもしれない。


 今回のコンピュテックスにおけるエイサーの展示は、当然のことながらアスパイア・ワンがメイン。別会場ではWiMAX対応機器の展示も行われていたが、そちらのエイサーブースでも、アスパイア・ワンが可能にする「いつでも、どこでもインターネットアクセス」をわかりやすくアピールしていた。


 メイン会場のエイサーブースには、透明な球に入れられた4色のアスパイア・ワンが来場者の目を引きつける。

「みなさん、とても熱心ですね。『いつ発売するの? 値段はいくら?』とか『重さはどのくらい? メモリーカードはどこに入るの?』などと質問されます。さっき、日本のお客様もいらっしゃいましたよ」


 と言うのは、会場に詰めていたエイサーのスタッフ嬢。予想以上の注目度の高さに、驚いていた様子だった。中には「今すぐ買いたい。どうすれば売ってもらえるのか」とスタッフを困らせる人もいたそうだ。


 取材班もしばらくブースで待機し、来場者の様子を観察することにした。

 すぐ気づいたのは、アスパイア・ワンに目を留める女性が多いこと。エイサーのブースには主力製品がずらりと並んでいるのだが、どちらかといえばそちらは男性客が多い。それに対して、アスパイア・ワンの前にたたずむのは、若い女性や男女のカップルが目立つ。


 耳に入る声を翻訳してもらったところ、「これいいね、使いやすそうじゃない」「私はピンクを買うから、あなたはブルーにすれば」といった購買につながる言葉が多く聞かれた。

 コンピュテックスでの反応を見る限り、アスパイア・ワンの成功は間違いないように思われた。

--------------

 これが、「Tell Acer」創刊号に掲載されたぼくの記事だ。ぼくは以前からNECの「モバイルギア」を愛用していて、「フルキーボードで自在に持ち運べる情報端末」に大きな関心を持っていた。だからエイサーのアスパイア・ワンを見たとき、「これは売れるな」と確信した。


 その確信は、まもなく大ブームとなって押し寄せることとなる。




続きのストーリーはこちら!

雑誌を作っていたころ(62)

著者の山崎 修さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。