【欧州はつらいよ】蒲田編

2015年3月1日の朝。ぼくは家から徒歩3分のところにある、チェーンの美容室でばっさり髪を切った。今日からバックパックを背負って3週間、欧州をまわる。シャワーも浴びれないこともあるかもしれないし、洗濯もできないかもしれない。小汚い格好になることは目に見えていたらから、髪の毛だけおしゃれにキメたって仕方がない。タオルでごしごし拭いたら乾くように、短くしてもらうことにしたのだ。

「できました」と、同い年くらいの美容師がいう。鏡に映る僕の額に掛かった前髪は、右側の前方だけぴょこんと伸びている。いやいや、おしゃれにキメたって仕方がないといっても、これじゃあまりに前衛的だろう。パリジェンヌに後ろ指を刺されないとも限らない。けれどこの美容師には、ぼくのもみあげを前衛芸術のように左右非対称にしたという前科がある。今回も彼はこれ以上自事態を深刻にしそうだったので、指摘するのをやめた。前髪くらいあとで自分で切ればいい。

家に帰ると、両親が昼飯をつくって待っていた。肉と野菜を炒めたものを食べていると、「やっぱり行くのやめたら?」と母。両親はここ数週間、こればっかりだ。「せめて2週間にしなさいよ」とか「電車じゃなくて飛行機でまわる旅にしなさいよ」とか、云々。電車よりも飛行機の方が安全、という理屈はよくわからないけれど、まぁ心配になるのはわからなくもない。なにせ欧州では、最近になってイスラム過激派によるテロが増えていた。ぼくがこの旅の最後に行くことになるパリでも、1月に風刺週刊誌を発行する出版社が襲撃される事件があったばかりだ。ぼくも不安がないわけじゃない。だけど、危険を避けようと思ったら、そもそも旅なんていくべきじゃないのだ。それに、このご時世、日本にいたところでいつテロに巻き込まれるかわからない。ぼくがそう言うと、父は「まぁ、気をつけてな」と、ぼくに「旅行安全御守」と書かれた黄色いお守りを手渡した。(この日、ぼくはこのお守りをなくすことになる。後日ひょっこり出てくるわけだけど。)

今生の別れになるかもしれないと思ったのか、両親が車で蒲田駅まで送ってくれることになった。父が運転するバンの助手席で、パンパンに膨らんだ50リットルのバックパックを抱えたぼくは、腹痛に悩まされていた。きりきりとした痛みは、明らかに緊張から来ていた。こんな経験、以前にもあった気がする。4年前ニュージーランドに留学に行ったとき、まさに日本を発つその日、こんな腹痛に襲われたのだった。基本的にぼくは、縁側でせんべいをぽりぽりかじりながら、庭の木にとまる鳥をながめていたいような、のんびりを愛する人間なのだ。渋谷のスクランブル交差点だって憂うつなのに、海外にひとりで行って、知らない土地の知らない人間たちのなかに飛び込むなんて、正気の沙汰じゃない。お腹だって痛くなる。

けれど一方で、冒険家の植村直己さんの自伝を読んで以来、「そんな自分だからこそ、海外ひとり旅をしなきゃいけないな」と思っていた。植村さんは、「山登りはたとえどんな山であろうと、自分で計画し、準備し、自分の足で登山する。その過程が苦しければ苦しいだけ、それを克服して登りきった喜びは大きい」と語っている。そんな、苦しさを乗り越えた“喜び”は、たぶん縁側でせんべいをぽりぽりかじっているのでは味わえない。ぼくにはエベレストを登ったり、アマゾン河をいかだで降ったりするどころか、世界一周やヒッチハイクをすることも無理だ。でもどうせ旅をするなら、ちょっとだけ無茶をしてみたい。大学院の卒業旅行の機会に、自分で計画をして、準備をして、自分の足で、知らない土地をめぐってみよう、いや、めぐらねば、と思っていた。

そんなわけだから、本音を言えば、旅になんか出ずに穏やかな日常に留まりたいという気持ちがある。いますぐ飛行機をキャンセルして、欧州ひとり旅なんてやめてしまいたい。頭のほうは、「いや、いまさらそんなことしたら格好悪すぎるぜ」と思っているのだけれど、体は正直で、お腹が拒否反応を示している。しかしぼくはニュージーランドへの旅で学んだことがある。腹痛にならない旅は、散歩に毛が生えたようなものだ。腹痛は旅の友なり。

蒲田で両親と別れ、京浜東北線で品川へ。品川から成田エクスプレスで空港へ向かう。最初の都市、ブダペストへのフライトは22時発。電車の中で一眠りして、目をさますと空港第2ターミナルビル駅に着いていた。腹痛はおさまっていた。

(つづく)


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