英語を仕事にすることと英語で仕事をすることは天と地ほど違う。

 今更ながらこの十数年の間に日本と他国との関係は大きく変わった。近現代を母国語のみで乗り切るという、その意味では世界でも稀有な恵まれた歴史を持った日本だったが、もはや国内に市場が乏しい以上、それは望めない。故に働き先と市場を確保するため語学力、特に英語力の育成が叫ばれるようになったが、一つ大きな勘違いが存在する。それが英語「を」仕事にすることと英語「で」仕事をすることの差異だ。


 もう今後の日本には経済成長が望めないからと、英語教育を重視している人は少なくない。それは正しい。オリンピックが開催されようがリニアが開通しようが、根本的な問題である人口減少といびつな年齢別人口構成に解決の目処が立たぬ以上、長期的に日本に過度な期待をかけるのはリスキーといえる。が、だからといって、そこのみに特化していても、将来の不安の解決には何ら結びつかない。


 先ほどのふたつを比較した時、グローバル化がより一層加速しても、市場としての日本の規模が縮小しても食べていけるのは、「英語<で>仕事をしている人」の方だ。より正確に言えば、英語<でも>仕事ができる人。この人たちというのは、英語自体を売りにはしていない。

 エンジニアであれ、商社マンであれ、ITベンチャーであれ、売りものとなる商品やスキルは、英語とは別に存在しており、英語力そのものではない。提供し換金されるのは商品でありスキルであって、英語はそれを相手に提供するための手段でしかない。

 ただし、日本語のみを伝達手段とすれば、労務提供市場も商品提供市場も日本語を解する者の間に限定されるため、極めてその市場が小さくなるのに対し、英語でのそれが可能なら市場は圧倒的に広がる。これは英語<では>仕事ができない人に対して大きな利点であり差異となる。

 この人たちの場合、商品やスキルの内容によっては、自身の英語力は最低限のコミュニケーションさえとれればよい。信頼のおける通訳を得ることができ、その人が不正を行っていないか、自分の意志を正しく伝えてくれているかさえ見極めるレベルの英語力があれば、この人たちの市場への財とサービスの提供は成立する。


 一方、英語教師、英会話教室の指導者、ビジネス英語の添削者など「英語<を>仕事にしている人」の場合は、そういう訳にはいかない。この人たちのザービス提供市場は、英語力を持たぬ人や組織に限られる。英語力自体が売り物であって他に提供すべき商品やスキルを持たぬのだから、英語力を持ち合わせている相手に対し商売は成り立たない。つまり、この人たちの市場は、英語が堪能でない人で英語力を必要としている人、その中で金銭を投じてでもそれを欲してくれる人という極めて限定的な範囲にしか存在しない。要は日本およびそれに似通った地域に限定される。


 具体的には通訳とか日本人に対する英語講師とか外国人に対する日本語講師とか観光ガイドなどが、それにあたるのだが、これらの職種が食べていけるものとして成立するには、日本および日本人に、それなりの市場があることが必要となる。日本が貧しく海外旅行も限られた人しか行けぬようになれば、日本人相手の観光ガイドは成立しない。英語を私費で学ぶだけのゆとりがなくなれば、英語講師もしかり。日本の企業や個人商店に海外展開する力がなくなれば、通訳のニーズもまたしかり。ならば、外国人を相手にすればよいではないかという意見もあるかもしれないけれど、日本に観光地としての魅力も市場としての規模も留学国としての意義もなくなれば、日本語を学ぶ外国人の数もまた減少する。


 つまりは、こういうことだ。日本の力が弱くなるだろうと見越して、英語学習に力を入れることは間違ってはいない。だが、その結果が日本の国力や日本人の経済力を前提とした職種にあるのなら、それは意味をなさぬということになる。


 もちろん私には「英語<を>仕事にする」職種をおとしめる気はさらさらない。日本語教師にしろ観光ガイドにしろ、能力とタイミングさえ合えばやってみたいと思った時期さえある。そして、若い頃には日本に訪ねてきてくれた外国人の友たちに、実際にそれをやっていた。ただし、職業としてではなかったけれど。


 英語を学習することの意義を低く見積もるつもりも、その結果としての職業の価値を低めるつもりもない。では、何が言いたいか。それは、英語だけやったってダメですよということに尽きる。英語と日本語が使えるということだけでは、日本に市場としての力がなくなってしまった以上、商品にはなりませんよと。英語力はいわば触媒でしかない。その触媒を持って伝えるべき何か、伝えてほしいと欲せられる何かを持つことが不可欠になる。その何かを持つ人にとって触媒の存在は大きな意味を成すだろう。



 結論、英語学習は重要。けれど、それだけでは効果も限られる。英語で何ができるか、英語でどんな人の役に立つことができるか。それらを身につけることを欠いては、せっかくの英語力も宝の持ち腐れとなってしまう。学ぶべきことは、たくさんある、その中で、自分に相性のいいものもきっとある。それらを見つけ、極めることこそ、若いうちになしておくべきことだろう。

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