時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険⑤

前編: 時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険④
後編: 時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険⑥

どんな成果を手にしたのか?

編集部おすすめのストーリーに取り上げて頂きましてありがとうございました。

多くの方にも読んで頂けて嬉しいです。

「読んでよかった」ボタンもありがとうございました。

みなさんのおかげで書けました!

冒険①はこちらから

立ったまま気絶するほどやり込んだことには大きな意味がありました。

残酷な現実と無念さを感じ続けた日々に立ち向かった約300日。

真っ暗なトンネルで先が見通せず、躓きながら進んでいるのか。

戻っているのかわからない不安。

成果とは大学院を無事に卒業できるということではありません。

目指していたものが違うからです。


実は、今までの流れからしたら意外な評価だった時期もあります。

入学当初、春から夏過ぎまで先生に褒めてもらったことがありませんでした。

(特に厳しかったような・・・周りもそう言っていますし。)

例えば、

長野亘孝
1950年から1960年までの10年間について調べてきた課題について発表します。
三品教授
テーマは?もう結構。
長野亘孝
えーーーーーーーーー(一週間調べてきたのに、なんで僕だけ?)

確かに僕はこの時レベルが低かったですが、同期もドングリの背比べなのにナゼ僕だけ聞いてすらもらえないのだろうか?と思っていました。笑

まるで出版社に漫画を持ち込み、表紙を見て「頑張ってください。」と返されるような気分。

どんな風にこの発表が始まるのか。

まずゼミの教室に入ります。

同期が他に2人いて、僕を含め3人でした。

3人で発表するのですが、最初に3人が机の上に作ってきた資料を置きます。

教授が「どれがよくできてるかな?」と確認します。


一番出来の悪い人が最初に発表。

一番出来ている人が最後に発表。

4月から7月までほぼ一番最初でした。


(つまり・・・察してほしい。泣)

このように一面だけ書き出すと怖い教授のイメージですが、事実ではありません。


三品教授はとてもチャーミングで真の教育者を具現化したような先生です。

本気度とオリジナルの成果を求めていました。


他の人にできる「金太郎あめ」的なことでなく、「君にしかできない特別なことは何だろう?どんな可能性を切り開いていくのだろう?」を求めてくれています。


そして、特別なギフトを使った成果を大きく評価をしてくれます。

そうしたプロセスの中で自分の限界を超えていくことを教えてくれました。

三品教授の元で学べたことは非常に幸運でした。


こうして一番を目指して120%以上でやっていたら、夏過ぎから次第に評価も変わっていきました。

あれ?4月からの低評価は単にレベルが低かったのかな?笑


さて、話は戻ります。


最終的に、大きい部屋で三品教授の学部生と大学院生の合同で論文を発表した時のことです。

言葉が出るように一週間以上準備してしてきました。

遂に発表当日が来たのです。


緊張しながら一番後ろの席に座りました。

三品教授
大学院生からいこうか!
ナガノノブタカ
ドキ・・・なんてこった。
同期S
一番はいやだわ
同期A
一番はちょっと・・・
ナガノノブタカ
うーん、、じゃあいくわ。
(不安しかないけど、やってみよう!)


僕は一番最初にプレゼンしました。

まだ僕は言葉に難あって、たどたどしいプレゼンでした。

プレゼンと言える代物ではなかったかもしれません。


果たして内容が伝わったのか自分でもわかりません。

いっぱい練習したにもかかわらず、言葉が出てきませんでした。

ポツリ、ポツリと言葉を必死に出していっただけかもしれません。


ただ、一言一言を本気で届けていました。

(当時、イメージした言葉を表現できませんでした。)

喉まで来て出てこない感じです。


三品教授は望遠鏡のようなカメラでパシャパシャ撮影してくれました。


入学当初と卒業する時では顔つきが変わるそうです。

僕は変われたんだろうか?

確実に太ったから変わってるな!笑

置いといて。


そして、何とかプレゼンを終えた時です。


その時に、三品教授にこう言ってもらえました。

「今まで見てきた過去9年間の生徒の中で1番の論文だ!」

「よく頑張った!」


こんな気持ちになりました。

感動しちゃいました。


ナガノノブタカ
言葉になりません。嬉しい!
やべぇめっちゃ泣きそう。
(その場は我慢しました。)


「今まで見てきた過去9年間の生徒の中で1番の論文だ!」

「よく頑張った!」


これは卒業してから心の支えになっている言葉で一生の宝です。

明日をもっと頑張るための魔法の言葉となりました。


これで事故から約400日くらいを駆け足で綴りました。

ここまで読んで頂きまして本当にありがとうございました。


僕は高次脳機能障害になって、色んなことがわからなくなりました。

未来に希望も欲も持てなくなりました。

表現しにくいですが、自分には存在価値がなくなったんじゃないかと肩身の狭い思いをしました。


でも、今日文章を書けるようになるくらい努力をしました。

その結果、医学の常識を超えていけました。


すごくない?笑


ここに至るまで多くの犠牲を払いました。


特に、過去の記憶がなくなった。

新しいことを覚えられないことで人に関心を持てなくなりました。

不思議なんですが、「記憶がない」=「感情を失う」なのです。


人の名前や話した内容、急に距離感がわからなくなったり、そうしたことで悲しいことに何十人かの交友関係は失いました。でも、悲しいからと言って足を止めるわけにはいきません。


僕は前に進む道を選びました。


もし病院で一年を過ごしていたら。。

もし前に進まず、うずくまっていたら。。

もし、卒業を一年延ばしていたら。。

もし自分に甘かったら。。

毎日の生活には本当に色んな選択肢があって、どれを選ぶのも自分次第です。


僕が大切にしてきたのは「事故前よりも強い自分になる!」ことでした。


だから、ストイックなリハビリを選びました。


失った25年に目を向けるより、これからの50年に目を向けようと思ったんです。


僕たちは色んな選択肢のある時代に生きています。

だから、決断していかなければなりません。

決断できない人は他人の決断に巻き込まれ、会社や親や他人の都合や考えのレールの上を歩きます。


でも、大切なのは色んな選択肢から自分が選んで、進んでみることではないでしょうか。

それが「自分の人生を生きる」ということじゃないでしょうか。

僕はそう思います。

何が正しくて、何が正しくないなんてありません。

上手くいくまでやり続ければ正しくなるだろうし、諦めれば正しくなくなると思います。

そんなのその人次第です。


ただ、自分の「人生を生きる」ために決断して、行動しないと何も始まらない。

だから、行動する。

それが大切なんだと言葉を失った大学院生は感じました。


与えられる自分の環境に甘えないで、自分で決断して行動してみましょう!

その方がきっと人生に充実感を味わえるようになると感じています!

どう思いますか?


卒業式

卒業し、新しい人生が始まる・・・

ただ当時就活できる状態ではありませんでした。

教授の「卒業は1年延ばすか?」この言葉の意味に卒業してから気づきます。

この言葉に従うべきだったかもしれません。

まだ労働できるほど回復していなかったため、新卒という枠がなくなり、現実をつき付けられます。

これからどう生きればいいのー!?


ひとまず、学生編完!!


次回、どうやって生きていくのか?


改めまして編集部おすすめのストーリーに取り上げて頂きましてありがとうございました。

多くの方にも読んで頂きました。ありがとうございます。

「読んでよかった」ボタンもありがとうございます。

めちゃくちゃ励みになりました。


次回作を書き始めるモチベーションのため、「読んでよかった」ボタンやコメントもルフィがお腹膨らむくらいお待ちしています。

続きのストーリーはこちら!

時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険⑥

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