波乱万丈らしい私の人生 第七回

なんですと?!


小学校PTA役員、二年目。

三月の次期委員長、副委員長を決める会議に出席。ところが、そこに居たのはたったの4人。それで正副、両委員長を決めろってことか?!

話し合いで決まらない場合、欠席者も含めてくじ引きをするってことになった。その時の委員長が、他の次期委員みんなに電話をかけて了解をえた。そして話し合い。私は、保育園で卒園式後の謝恩会やら、アルバム制作、DVD制作の準備がある一年だったから、しゃあなして副委員長を引き受けた。

性格的に、「どうする、どうする?」って話す時間が面倒くさくて、嫌なんだわ。


ところが、他の人が、私が委員長をしてくれるなら、自分は副委員長してもいいと言い出した。話し合いの結果、二人ですることにした。その人も経験者だったから、戦力として心強かったのが理由。

他の学校では、二年生の母が委員長って前代未聞らしい。他の学校だと、六年生の親から委員長を選出、三年生の親から副委員長を選出って形が多いそうだ。


で、動き出したんはいいけど、問題が山積みだった。まず、他の委員の連絡先を集めなくてはならない。何と、他の委員が誰なのか、名簿がもらえなかった。執行部からも前委員長からも教えてももらえなかった。何でも、個人情報保護法だから、駄目なんだとか。本当は、あれって関係ないんだよ。何でもかんでも駄目なんだっていう法律じゃない。

で、結局、教頭先生にお願いして、委員の名前や連絡先を教えてもらった。後で、他の委員長さんにも聞いたら、やっぱり同じ目に遭ったんだって。

だって、言ってることがめちゃくちゃ。誰が委員なのかも教えてもらえないのに、全員の名札を制作して渡しておけとか、次回委員会の開催日を伝えておけとか、言ってくるんだよ。基本的情報も教えてもらえないのに、無理なんですけど…。


何とか、委員の名前と連絡先は分かったので、まずは委員を班分け。昨年度に習って、平日午前中班、平日午後班、土曜班の3班に分類する為に、アンケートを作って配布した。

返ってきた返事をチェックすると、1/3が土曜班だった。これだけを聞くと、何の問題もないと思うよね。ところがギッチョンチョン(古っ!!) 問題大有りだった。


思い出してください。今の学校は、週休二日制。土曜日は学校が開いてない。開けてもらうには、教頭先生にご足労願って、開けてもらわないといけないらしい。

ここで、PTA執行部からの注文が入る。「教頭先生に迷惑になるから、土曜日に作業するのは極力控えて」…それで一年間、新聞を3回発行しろって言うんですかい?! 最低に見積もっても、それぞれの班に一号に付き2回は作業してもらわないと間に合わない。×3回で土曜日6回。普通に言って、6~9回/班は必要なんだけど…。


そこで、私は考えた。3班に分けて、1号ずつ担当してもらうのはどうだろうと。一年間乗り切るには、それしか手が無いと思えた。副委員長にも相談して、そのやり方でいくことになった。去年とはやり方が違うけど、仕方が無い。


土曜班は、一回だけ学校ですることにした。2回目は、近所の福祉施設で無料で借りられる場所があって、そこを利用させてもらった。

土曜班は、1年生の親が多かったのもあって、第1号を担当してもらった。トップ頁ともう2頁は、正副委員長である程度記事を作ってたから。メインの先生紹介と運動会の写真を作ってもらえばOKって感じだった。ところがその年、運動会当日が雨で翌日に延期。でも翌日も雨で、またその翌日に延期。ようやく晴れてくれたけど、その日は金曜日。翌日の土曜日に写真をレイアウトする予定だったから、運動会が終わって直ぐにみんなのデータを集めて、その日の内に写真を選んだ。明日使う写真を印刷して、先生に使用出来るか回覧してもらう分も印刷。土曜日はレイアウトと一緒に、先生提出用の写真書類も作った。

でもまぁ、何とか作業も間に合って、和気藹々(あいあい)と仕事も出来たから、よかった。


2号目は、夏休み前から作ることが出来て、12月に発行だったから、一番時間に余裕があった。平日午後班が担当。私は余裕をぶっこいてた。

でも、この2号目が一番の鬼門だったのであった。


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