だれかのせいにしない

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 この前考えていて思いついたこと。なぜ病気になったのか。

A先生のところへ行っても、私の研究へのモチベーションは上がらなかったということだ。

 おそらくそのことに私はショックを受け、自分に絶望して、エネルギーがなくなってしまって、病気になってしまった。

 大学院へ進学するか、就職するかを選択しなければいけなかったとき、就職することを選んだ。大学を選ぶにあたっては、生物の授業でこりゃすごいやと思った発生生物学を勉強できるところにしようと考え、進学した。それゆえ、大学院へ進学して、発生生物学を研究できる研究室に入りたいという思いがあった。研究をしたい、これなら私に任せろと言われる研究をしたい、技術者になりたいという憧れがあった。だが、あと2年も、博士課程までいったら5年も、あの実家から通うのかと思うと耐えられないと思った。21歳。お酒も飲めるし、彼氏もいたし、遊びたいのに、親の機嫌を伺いながら、いい子で居続けることなんかできない。こうして言葉にするとたいしたことないように思うけれど、”家を出たい”という私の思いは切実だったのだ。いつか家を出れる、自由に過ごせる時がくると、未来を信じていたから、ヒステリーに暴力を振るわれても、あの家で生き延びるスキルを身につけて、がんばってこれたのだ。中学生くらいからかな、自分の家が同級生たちの家の雰囲気と全然違うこと、親との関係が全然違うことに気づいたのは。そこから長かった。でも、いくら涙で枕をびしょびしょにしても、いつか家を出れる、大人になったら家を出れる、自分で生活できるようになれば家を出れる、親から離れられる、という希望が、私を生き延びさせたのだ。

 21歳、いよいよその希望への一歩を踏み出せる可能性が見えてきた。

「就職して、家を出る。」

 それでも、友人たちの大学院進学や、発生生物学の研究への憧れが、大学院進学の道もあるよ、と私に言ってくる。大学院に行くのなら、A先生のところだな、と思っていて、見学にも行った。そこで私は、GFPを組み込んだ動物を使って行う発生生物学の研究の説明を受け、”すごく面白い研究だ!研究やるならここがいい!でも・・・・これは自分には無理かも知れない!”と感じた。研究とは、非常にクリエイティブであることを、その説明から理解した。大学4年生になろうかという学生に、クリエイティブな研究のアイデアなんて浮かぶわけないし、浮かぶようになるために大学院に行って勉強するのだと、今となればわかるが、その時の私には、”無理だぁ、自分にはそんな創造性がないよ・・・”と不安に思ってしまったのだ。

 天秤にかけた。このまま実家での窮屈な暮らしをしながら、いい子をしながら、研究をするか、就職して、家を出て、自由になるか。

 就職して、家を出る道を選んだ。それでも、就職したい会社はないし、やりたい仕事もないし、書類審査で落とされるしで、就職活動は辛かった。なにを仕事にしたらいいのかもわからないし、どこに必要とされているのかもわからない、勉強したことをどうすれば役立てられるのかもわからない。

 就職活動中は、大学院に進むと決めて研究してる人たちを羨ましく思った。私の家があんなんじゃなければ、私だって大学院に行けたのに・・・・研究できたのに・・・・

 就職してからは、一番下っ端で、思っていたような仕事じゃないし、わかりやすく社会の壁にぶつかって腐りながら、学会発表したり、論文を仕上げたり、研究に没頭する友人たちを羨んでいた。私だって、大学院に行ってれば、A研究室に入っていれば・・・と、かつて抱いた不安をよそに、後悔を抱いたりしていた。

 大学院に進んだ友人たちも、”社会に出ないでスネカジリ、なにやってんだろ・・・”という焦りがあったのだろうが。私からすれば、スネをかじり続けられる親との関係が羨ましかった。

 あの親じゃなかったら、私は大学院に行って、A研究室にはいって、研究できて、研究者になった、のに・・・・・

ずっとそう思っていた。

 自分が大学院に行けなかったことを、親のせいにしていた。

 就職した会社は4年半で退職し、研究の手伝いをする仕事に転職することができた。研究のことが諦めきれなかった。

 だから、就業中のH研のゴタゴタが嫌になってやめようと考えていた時に、A研の技術補助員募集が出ているのを見つけた時、私は運命を感じたのだ。転職なんて、辞める時期とか、就任時期とか、就業条件とか、いろんな条件をクリアしなければできない超面倒くさいことなのに、このタイミングで!

A研には、色々な条件がマッチし、就職させてもらうことができた。21歳で諦めた研究室へ8年経って入ることができた。

「あの親じゃなかったら、A研究室に入って、研究して」のところまでクリアしたわけだ。ボスは研究への熱意があるから、私に意欲さえあれば、自分のテーマを持つことも、学会発表も、論文執筆もやらせてくれただろう。でも、私は、やらなかった。

なにもやらなかった。

これやってほしいと言われればその実験が上手くいくように手を尽くし、出来るだけのことはして、自分の工夫が実になっていく楽しさを感じることができた。会社員の時よりもずっと仕事にやりがいを感じた。

でも、それ以上をやらなかった。やりたいと思わなかった。

自分のテーマを持つことも、学会発表も、論文執筆も、やりたいと思わなかった。

なんでだろう。「あの親じゃなかったら、大学院に行って、研究して」の、続きはどうなった?

あの親じゃなくても、自力でなんとかA研究室に滑り込んでも、研究は私のやりたいことじゃなかったんだ。あこがれは、アコガレだ。

 A研究室には、5年間在籍した。最後の半年位は、うつ病からくる離人症状や、罪悪感、不安感で人間関係がギクシャクしてしまい非常に辛かった。あんなに頑張ったのに、論文に使われるようなデータはなにも出せなかったし、仲良くしていたラボのメンバーとも上手く話す事ができなかった。そんな辛そうな様子を見かねたボスが、契約更新はしないで、今年度いっぱいにしようと提案したことで、私はA研究室をやめることに決まった。

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