海外あちこち記 その13 いつかもう一度行きたい街、天津と上海 

1) 天津新港の郊外の港湾局の分局に行きました。

打ち合せが終わって、同行の人が図面などを片づけているので先に門の外に一人で出ました。丁度5時ごろだったのでしょう。通勤帰りの人達の道一杯に広がった自転車の群れが、夕陽の中を長い影を引いて、大河のように一方向に向かって流れて行きます。その人達が全員向こうの方から一点を、見つめながらペダルを漕ぎます。通りすぎても首を後ろに向けて、全員が見続けます。 はっと気がつくと、その対象はボクでした。見ているはずが、見られる対象になりほんの5、6分ですが、7、8百人の人が無言で自分を見つめる経験は生まれてはじめてで、その後もありません。今日は珍しいものを見た?背広姿が珍しい?外国人だから? どれも当たりのような気がします。他の国でもこんな経験はありません。あの無遠慮な視線はやはり中国人のものでしょう。

2) もう何処の街か忘れましたが地方都市で、一行が夜、お役所の接待所の宴会に招かれました。次から次へと珍しい料理が出てきます。メインテーブルは一人置きに招宴側の人が座り、料理を取り分けてくれます。これはおいしい自分でも取ろうと思った時は、その大きな皿はもうボーイが下げていきます。何十皿と出て、次から次へと新しい大きな皿が来て殆どの料理がちょっと手をつけただけの状態で、どんどんどん下げられていきました。人数ではとても食べきれない量が出ました。この時の料理がまた、中国で食べた食事では初めてのメニューが多く、一番おいしく、もっと食べたいと思ううちに終わりました。 途中手洗いに立った時、たまたま隣の部屋のドアーが開き、80人くらいの宴会をやっているのが見えました。その部屋に我々の部屋からボーイが皿を次々持ち込んでいました。後で商社の人に聞くと、役所全員の人間が集まり、日本から客人が来たのでその接待ということで費用を落とし、OBも呼んでみんなで飲み食いしているとのこと。

我々は体のいい名目に使われているんだと。その後、こういう事を中国語で「鉄椀食」といい、どれだけ食べても尽きない意味だと知りました。日本語の「親方日の丸」と同じ意味で、まあ言えば最近の外務省のプール金での仲間内の飲み食いと同じ事でした。中国には民間会社はなく、全員が言ってみれば役所の職員ですから、いくら北京の中央政府が綱紀粛正を叫んでも馬耳東風で、こういう事が全土に日夜蔓延していたようです。それにしてもあの宴会の規模の盛大さは凄かった。やはりスケールが違う。

3) 上海の西洋レストラン。

上海に行った時それまで、2ヶ月も中国をうろうろしていたので中華めしにも飽きて、上海には戦前からの西洋レストランがあると聞いたので行きました。確か「赤煉瓦亭」とかいう名前だったと思う。古い洋館でした。清潔でしたが、内装は塗装が剥げ、カーテンも時代物でした。客はほんの数組でした。フルコースを頼みました。期待に胸を弾ませて。最初のスープで皆こらあかんと目が言いました。第2次世界大戦が終わって、西洋人が出て行き37、8年経っており、調味料の輸入も途絶え何とか形は西洋料理でしたが、味付けが中華風と言うか何と言うか得体の知れない食べ物でした。最後のアイスクリームだけは抜群で皆ほっとして店を出ました。当時ほそぼそと戦前からの一族が店を続けていると聞いたように思いますが、今近代都市に大発展をした上海であの店がどうなったか、もう一度訪ねてみたい気がします。ところで当時から「上海牌」上海ブランドは、中国各地製の電気品や衣服より高級イメージが、出来上がっており、他の都市と違う扱いでした。また、今の朱首相など中央政府の幹部は、上海出身者が固めており北京という行政都市をも上海閥が牛耳っているようです。

 1983年7月頃の体験です。

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