夏の思い出: 白血病闘病記と私にとっての数学・学業
ブログからの転載です。
Twitter で呟いたのを多少編集してまとめておこう.
他の白血病患者の方達にも参考になるかもしれないから.
スタートはこれ.
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いま「夏の思い出」というのを聞かれたのだが, 高校以降は基本的に数学をしていた以外の記憶がないし, そういうのを聞かれているわけでもなかろうから返答にすごい困ったのだが, それ以外に思いついた思い出がもっとひどかったのでどうしようか迷ったもののとりあえずそれを答えた
2015, 7 月 1#+END_HTML
いま「夏の思い出」というのを聞かれたのだが,
高校以降は基本的に数学をしていた以外の記憶がない.
そういうのを聞かれているわけでもないだろうし, 返答にすごい困った.
数学以外に思いついたのが白血病ネタで
どうしようか迷ったけれどもとりあえずそれを答えた.
以下いろいろ書いていく.
思い出は高校 1 年時の白血病治療のための骨髄移植での入院だ.
高校入学後初の夏休みが無菌室,
外出できない状態で体調が少しよくなってきた頃に
窓越しに夏の日射しを呆然と眺めて「何でこんな所にいるのだろう」と思った遠い記憶.
このときちょうど機動戦艦ナデシコの劇場版がやっていた頃で,
看護師さん達から「この子飛び出していかないかしら」と
心配されていたとか何とか聞いた.
どうしても見に行きたかったのだ.
白血病になった原因などはよく分からないが,
中 3 での発覚後, 中学では何か先生が泣きながら
「万が一彼にぶつかったりしたら大変だから決して廊下は走らないように」という
厳命が下ったらしい.
慢性の骨髄性白血病だったのだが,
これは白血球を作り過ぎてしまう病気だ.
普通 4,000-10,000 程度で風邪などの病気のときも
数万程度のところが 40 万とかあった.
白血球 1 つ 1 つはポンコツなのだが数だけはあるため,
とりあえず抵抗力などは問題なかった.
ただ血を作りまくっている関係上,
造血系がアップアップしていて,
脾臓が馬鹿みたいに腫れていた.
普通肋骨の下に隠れている程度なのが,
臍のあたりまで張りだしていたようで,
もし脾臓が破裂したら病院の前であっても
助からないというようなことを言われた.
脾臓破裂というと綾波レイと同じだな,
などとしょうもないことを考えていたことも思い出す.
治療の甲斐あって私は何とか完治したが周囲でいろいろあった.
白血病の治療中, 骨髄移植からありえないくらいの早さで
元気になって退院した人がしばらくしたら戻ってきた.
相当状態が悪くなったようで個室に入ったあと
しばらくしたら個室が綺麗になっていて,
集中治療的な病棟に移ったのかと思ったら亡くなっていたこともあった.
同じ病室の前のベッドにいた人でもあり,
人の命, 意外と儚いな, という感慨も得た.
子供だったのであまり深く考えずに適当に過ごしてはいたが,
忘れていないので何がしかの影響があったのだろうなとは思う.
白血病の当時の生存率はどのくらいだったろうか.
もうよく覚えていない.
ちなみに初期症状はおそらく猛烈に体がだるかったことで,
マラソン大会でそれまで 2 年間真ん中くらいの順位だったのが
後ろから 3 番目になるくらい体力が落ちた.
あと家に帰ってから昼寝をする機会が増えたり,
意味不明に足にこぶのようなものができて,
3 回くらい治ってはまたできる, みたいなことを繰り返した.
中 3 の一月に柔道の道場, 接骨院の先生が
「それはおかしいから血液検査を受けてこい」と言われて発覚したのだった.
命の恩人だった先生だが, 2014/12 に亡くなった.
ちょうど 2014/6 から運動不足解消,
体力涵養, 精神面の不調の解消のため柔道を再開したのだが,
もっと早く再開していればもっと恩返しできたのかと思うとたまらなくなる.
もちろん, 下の子達に返していくのが世の筋なのだろうが,
それでも直接先生にもっと恩返ししたかった.
ちなみにそのときの記事.
- [[http://wp.me/p4PcgX-jK][子供の頃と今もお世話になっている柔道の先生が昨日亡くなったのだが業の深い柔道家兼数学徒なので数学をする]]
- [[http://wp.me/p4PcgX-jM][今日も明日も畳に上がりながら柔道と数学と物理をやる]]
話を戻して.
白血病とわかってから半年後に体調が急変して入院,
即骨髄移植となったので割と危なかった.
あとで聞いたところによると, この入院時
「あと一週間もたないかもしれない」とか言われたらしい.
聞いていなかったとはいえ子供は呑気なもので高校では死んだふりして遊んでいたりした.
友達に「洒落にならないからやめろ」と超怒られた遠い記憶.
あと治療費については都の補助金を受けられたので何とかなった.
うちが貧乏だったので大丈夫なのかとむしろそちらの方が不安だったのだが.
貧乏ということについては大学受験で浪人して私立に入ったというのもかなり大きい負担で,
どうしようもないドラ息子であった.
いまでもいろいろなことを思うし,
それは[[http://wp.me/P4PcgX-qi][最近はじめたこの活動]] にも繋がっている.
細かな思い出は他にもいろいろあって, 採血時,
朝早いのでいったん採られたあと止血でおさえる代わりに
肘を曲げたままにしておくことで止血としていたのだが,
骨髄移植後は血小板も少なく, 1-2 時間後に起きると腕に内出血の斑点ができていた.
はじめは「何だこれ」と思ったがあとで「血小板がないからか」と思い至った.
血小板, 黄土色のような色だったのだがあれは何の色なのだろうとふと思う.
白血球も 0 まで下がったことがあるので, 外に出たらありとあらゆる病気にかかれる状態だった.
白血病で鼻血はなかったが, 抗がん剤を使ったので髪の毛がぼろぼろ抜けた.
もともと坊主頭およびスキンヘッドだったので特に問題はなく面白がって抜いていた.
抗がん剤はまあきつかったが, それよりも副作用をおさえる薬がきつかった.
精神を落ち着かなくさせる副作用があったようで,
そのせいで無性にいらついていてモニタで様子を見ていた看護師さんなどが気づいたのか,
調子はどう? と言われて「いらいらする」といった記憶がある.
そうしたら使っている薬の副作用かもしれないから変えてみようと.
変えたらすぐ治った.
さすがプロはきちんといろいろなことを考えていると感心した.
夏の思い出というとこんな感じだろうか.
とりあえず薬がやめられるようになるまで 9 年かかったが,
再発がなくてよかった感がある.
数学という支えがなかったら心が折れていた可能性もあるのかと思わないではない.
あと夏ではない気がするが,
ベージェット病にかかっていた従兄弟が来て「たまには病気に負けてあげるんだよ.
そうすればここぞというところで (病気が) 言うことを聞いてくれるからね」と言われた思い出もある.
生粋の病人は言うことが違うと感銘を受けた.
病気に負けてあげなかったからか,
浪人の受験直前期に体調を崩して 1 週間くらい寝込んだこともある.
病気に負けてあげても何とかなる活動として数学を積極的にあげていきたいところもある.
高校の頃, 体力なくて数学するかアニメ見るか漫画読むかくらいのことしかしておらず,
お小遣い面の問題もあるから数学が一番お金のかからない娯楽だった方の市民としては,
やはりもっと数学, さらには学業一般を推していきたい.
最近の活動的に塾とか予備校とか,
その辺の教育関係ビジネスは自分がお金がなくて受けられなかったのを
自分で再生産かと思うと矛盾も感じてつらいところだが,
活動資金がないと何ともならないことがあるのでとてもつらい.
病気の人向けの教育ビジネスが何か展開できないかと思っている.
例えば Kindle で出した【独学のすゝめ 大学受験勉強法 あなたが大学受験で失敗・後悔しないために】でも
独学の仕方を説明したので, そのアウトプット練習として
下の子に Skype チャットで講義するネットワークを作り,
維持・管理するとか.
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やりたいことはたくさんあるが, やはり資金不足が深刻だ.
本当に何とかしたい.
活動資金がほしい.
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