3年間弁当当番だった落ちこぼれ営業マンがニューヨークへ一人旅し、帰国後1年半で営業のリーダーに昇進した話

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帰りたい。


でも、英語もロクに話せないまま来てしまったし、そもそも夜中に外に出れるはずがない。

ここはニューヨーク。来なければよかった。。


まだ残り20日もある。。どうしよう。。


しかし、予想に反して私のこころは一転した。

翌朝には別世界が広がっていた。


映画の世界に迷い込んだのだ



見たことも芸術的な建物。

行き交う大勢の人。

街じゅう張り巡らされたディスプレイ。

まさに最先端という表現がぴったりのクレイジーな街。


そう、世界最先端の街に私は今立っているのだ。


その日から、伝説のニューヨークウォーキングは始まった。


ニューヨークのマンハッタンは歩いて回れる大きさだ。

そこまで極端に広い地域ではない。

隅々まで歩いた。


途中、道に迷い黒人ににらまれ

「Hey Chiken(ビビり野郎)」

と話しかけられた。


無視するのが精一杯だった。

怖い経験もたくさんした。

だけど。


とにかく、毎日夢中だった。

テレビの中にあった世界遺産が今すべて目の前にあるんだ。

見るものすべてが新鮮だった。


ウォール街をさっそうと歩くビジネスマン。

思い思いの時間を過ごすセントラルパーク。

ゴスペルの音が鳴り響くハーレム。

本場のベースボール。

本場のミュージカル。

世界中から人が集まっている語学学校。


私はやる気に満ち溢れていた。


次は、ここに行こう。

次は、これをやろう。

時間がいくらあっても足りない。


気持ちはどんどん前を向いた。



学ぶ事も、見る事も、体験する事も楽しくて楽しくて。

治安なんて気にもならないくらいたくさんの経験をした。


気がついたら、ニューヨークの隅々を歩ききってしまっていた


足にマメを作りながら。

思った。


未知の領域を知るってこんなにも楽しいことなんだ。

ここで自分が生粋の冒険家という事に気付いてしまった。


人と同じ事をやらずに、これまで飛び込んでなかった世界に飛び込むのがこんなにも楽しいなんて。


こうして、「冒険家」の生活がスタートした。



冒険家として初めての行動は「転職」である。

一発逆転狙いの転職は上手くいった。


私は、転職をし一部上場企業の営業マンになった。

飲食店をサポートするプロのコンサルティング集団の一員になったのだ。


誰もが知っている会社で鼻が高かった。

それでも最初の数ヶ月は仕事に追われ、結果も伴わなかった。


だが、あたたかいお客さんと上司のおかげでメキメキ成長した。


旅の経験がかなり生かされた。


思考が変わっていたんだ。

とにかく、考えるよりやってみよう。

失敗という文字はないのだから。


どんなに怖い事があってもニューヨークほどの緊張感はない。


失敗して銃に撃たれる事はない。

どうなっても平気さ。


前向きな挑戦者になった私はそれからも人一倍行動した。

毎日終電近くまで仕事を続けた。

とにかく失敗もした。

当時は失敗と思っていなかったが今思い返せば笑えない事も多々あった。

クレームも多かった。


だけど、本気でお客さん向き合えたからこそ信頼もしてもらえた。


結果、お客さんが増えてきた。

新規開拓ばかりのハードな営業だったがお客さんが増えて行くのは喜ばしい事だった。


過去なんども訪問してNGだったところと何件も取引を結ぶ事も出来た。


まだ見ない扉をどんどん開いていく感じはニューヨーク探検と一緒だった。


無我夢中だったんだ。


プライベートでもお客さんの為に、ライバル店を視察した。

とことん分析した結果を持っていった。

お客さんにすごく喜んでもらえた。


自分が提案する事に対して基本的にお客さんは喜んでくれた。

中には、100%自分だけを頼ってくれるお客さんも居た。

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