あるがまま、ないがまま。

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彼は私と同じ年齢で、このビレッジの切実な問題が、子供たちの教育だという。ひと家族に平均10名の子供がいるこのビレッジで学校に通える子供は半分で、あとの半分の子供は家族を支えている。道端では、作物売りの5歳くらいの子供が頭に作物を乗せて仕事をしていたが、彼の衣類はぼろぼろで裸足だった。


このプロジェクトの目的である折り紙クラスは、午前9時から午後12時まで1週間のプランを考えて立てた。これは、たった一人の折り紙プロジェクトだから、相談する相手もいない。全部自分ひとりでやらければいけない。部屋の小さな机で大学生時代の教育実習を思い出し、案を練った。まず、折り紙の折り方を教え、慣れてきたところで、徐々に高度なものへ挑戦させ、使用していた折り紙ペーパーだけではなく身近にあるノートなどを使って、色々なものを創らせる。その後、イグザム(テスト)で自分の想像の作品を創作させ、今まで制作した作品に自分の夢を書かせ展示をし、そのアートエキシビジョンには子供の親に来てもらうという内容だった。校長が去ってから、ほとんどすべての折り紙の作品を彼らの為に持ってきた本の中から練習し作成した。私は、その中からレベル1から3のものを5歳から10歳の子供たち用に選んだ。



楽しく作 戦を考えているうちに、何かが机の上にあることに気づいた。見た目は真っ黒なプラスティックの塊のようなもので、それを掲げてみると車のミラー だった。彼らは、多分このカーミラーを大事に取っておき、そして今も尚テーブルの上で大切に使っている、よくある鏡のように。この鏡に映った私の顔は笑顔だった。ここにはとても美しいものがたくさんある。壮大な自然と、たくさんのアフリカの景色があるが、こうしてはじめてみるカーミラーが車以外にある風景も、自然な気持ちから生まれた美しさだと思う。



「ここでわたしを癒してくれているのもの存在すべてが、本来あるべき姿をしているところにあると思った。」


Day 8


「グッドモーニング、アフリカ!」

いつもと同じように冷たいシャワーを浴びた。朝は気温が急激に下がっており体の心まで水がしみる。ここのバスルールに本当のシャワーはなく、バケツから水を桶ですくって体にかけるのみである。皆、本当に水を大事にしている。水が不足しているこのビレッジでは、思い切り水を使うことは贅沢であり、洗濯の水は雨水を溜めて使っている。わたしは、いままで暖かいシャワーを当たり前のように浴び水がなくなることなど微塵も考えた事がなかったが、やはりどの水も地球からの恵みである。



持参のインスタントコーヒーを飲んでいると2歳くらいの赤ちゃんが遊びたそうに私のところへやってきていきなりコーヒーに飛びついて来た。「危ない!」と体をずらした直後、自分の体がコーヒーまみれになっているのに気づくまでにそう時間はかからなかった。わたしは服を洗うことにした。ソープと水の入ったバケツの中に洋服を入れ、それを洗い流そうとするとH氏が違うバケツを持ってきて「このバケツに水を入れて濯ぎなさい。その石鹸水が入ったバケツは誰かほかのものが使うから。」と言った。私は、新しく雨水の入ったバケツで濯いだ。その後、すべての服をここの子供たちに置いて帰ろうと決心した。いつのことだろう、こんなにもデリケートに有り難みを感じながら服を手洗いしたのは。アフリカ人の手は信じられないくらいに美しい。どうしてだろうと考えたとき、彼らはよく手を使い、何かを「触る」時、尊敬の念をこめてとてもデリケートに何かに触れる。自然な気持ちとともに。多分彼らも、あえて気づくことはないのかもしれない、それが彼らの生き方だということに。


「やはりどの水も地球からの恵みである。」


Day 9


午前7時30分に目が覚める。私の気持ちは高ぶっていた。折り紙を教える用意も万全である。

水シャワーを浴びて化粧を始め(アフリカに来てはじめての化粧だった。)ちょうど8時前、校長先生が迎えに来たので家から歩いて小学校へ向かった。5分ほどの道のりの間私は突然不安になったが、同じくらいにエキサイティングだった。そうこうしているうちに、耳に子供たちの声が入ってきて学校はすぐ近くだと感じた。そこには、小さなかわいらしい人たちが私を待ってくれていた。



一番最初に彼らは歌を歌ってくれた。「We are happy to see you, arisa ! 」というオリジナルソングである。建物の中にあった6つのクラスルームに校長先生は招いてくれ、すべての教室の子供たちは歌ってくれた。いつ練習していたんだろうか?この出迎えは私をとても驚かした。私に合うことを楽しみにしてくれていたんだと思うと言葉で伝えてもらうよりも深い気持ちが伝わった。

私は一番初めに自己紹介をした後、彼らに質問をした。「日本って知ってる?」静まり返ったクラスでただ一人だけ手を上げた。しかし、彼は日本を中国と勘違いしていた。




このビレッジの住民は自給自足で生活をしている。子供を学校に通わせることは家族にとっては大きな負担になる。小学校に来ている子供たちは皆自分が勉強できることに誇りを持っており、このビレッジでは選ばれた子供たちなのだ。子供たち全員がいつかは家族を養いたいと思っていてその為には勉強が必要なのも知っていた。そして彼らは誰一人としてわがままではない。それは、生きることを本能で学んできたしるしであった。彼らの瞳はとても美しく澄んでいて、日本でもアメリカでも彼らのような子供たちを見た事はなかった。


和んだ雰囲気の中、わたしはゆっくりと折り紙のクラスを始めることにした。まずはじめに一番簡単に折れるアヒルから教えた。「この紙の端と端をおって。次はここを折って。」わたしの手の動きをじっと見つめる子供たちの目は真剣そのもので、教えられたことをすぐまねて飲み込みが異常に早くアヒルが折れた子供たちは、小さな腕をいっぱいに伸ばして、「finish!」と叫び、それには私も驚いた。そして校長先生が言った。「次は自分のノートを使って折りなさい。正方形にして。」この彼のアイデアは私と同じだった。生徒がとても多く、たくさんの作品を作る為の人数分の折り紙を持っていなかったのだ。



ノートを使えば折り紙ペーパーがなくてもたくさん練習できる。子供たちは、私の手ほどきなしに最初から2匹目のアヒルを作り始めた。そして次に教えてもらえるのは何なんだろうと目を輝かしていた。その後、私たちは、予定通りにカップとバルーンを作った。これらも、子供たちは難なく折るできたことができた。彼らにとって生まれた初めての折り紙は、彼らの目にとても興味深く映っていたことを、そこにいた誰もが感じていた。






「生きることを本能で学んできたしるしであった。」


Day 10


午前6時に目が覚めた。昨日の夜は興奮してよく眠れなかった。きょうも午前9時から授業が始まる。シャワーを浴びた後、私はすぐ出かける仕度ができた。5分前に家を出 て10分くらい歩いて道に迷っていることに気づいた。このビレッジの道はサインもなければ建物もなく同じような道が無数に続いていることには昨日はまったく気がつかなかった。運良く家の娘に道で出くわしたので私を学校に案内してくれた。クラス の子供たちはなぜか昨日よりも30人は増えていて、クラスルームがぎゅうぎゅう詰めで、皆、席に座って私を待っていてくれており、遅刻者はこの私以外いなかった。クラスに入ると昨日と同じ歌を歌っってくれ、”We are happy to see you....” 彼らなりのわたしへ与えれる唯一のものという思いが伝わった。



まず、子供たちに昨日作った折り紙に名前を書くように言い、彼らのEnglish Writingはとても上手だったのでこれならだれでもどの生徒の作品なのかわかるだろうと安心した。私は彼らの折り紙を集めた。(内緒で親を集めての折り紙エキシビジョンを金曜に計画していた。)そして、今日もゆっくりとカエルを作り始めた。かえるは昨日のアヒルや、カップ、バルーンよりも少し難しい。そして何もいわずして1匹目を完成した彼らは次に私の説明なしで同じものを作った。その後はボートを作ったが、少し難しかったので全員の生徒が作ることは出来なかった。





そして、また彼らは私の説明なしで作り始めた。手先は器用なのだが「折る」という事に慣れていないので、紙の端と端をきちっと合わせることに最初は一苦労だった。覚えが早い生徒には、他の生徒のヘルプをするように教えた。すると、作り方を覚えた生徒が他の生徒の手伝いをして結果的にはほとんどの生徒が完成させる事が出来た。今日私は、授業が終わってから、地元の中学校にソーラーパワーライトのプロジェクトに参加することにした。



S氏が企画するもうひとつのプロジェクト、それが「ソーラーパワープロジェクト」である。某会社からソーラーパワーのハンディーライトを500個のドネイションを受け、一つ約$20で販売し、その売り上げで、高校生2名をスカラシップ(奨学金制度)として大学の学費を免除し、ソーラーパワーのシステムをゆくゆくは電気のないこのビレッジに、導入するという壮大なプロジェクトだった。


わたしの、一人きりの折り紙アートプロジェクトとは違い、サンフランシスコからやってきたH氏とT氏もこのプロジェクトに関わっていて、村や地域までが総出でこのプロジェクトに関わっていた。だがもうすでに問題が発生しており、500個届くはずのハンディーライトが200個前後ということで立場がないとH氏はS氏にとても激怒していた。元々は何もないところからのドネーションでS氏の計らいにより200個でも寄付してもらえたことに対してとても有り難いのではないかとわたしは感じていた。今日、彼らはパブリック高等学校の教室を借り切りソーラーパワーのレクチャーを行った。



200人近くの生徒たちとこの地域を仕切っている役員たちも勢揃いしており、彼らはとても貧しい学校にベンツで乗り付けインテリなツースを身にまとい顔色一つ変えず私たちを携帯電話のカメラからのぞいていた。とても妙な光景である。ろくに靴も履いてない生徒もいるこの貧しい学校へ金のにおいを嗅ぎ付けたハイエナのように思えて仕方がなかった。それと同時に大人たちの欲望がNYにいたときの何かと似ていた。その夜、ホームステイ先の家では男たち3人のの怒鳴り合いのような大声が響いていた。


この半年前、私がNYのナイジェリア大使館へ折り紙プロジェクトの話を持ちかけた時のことを思い出していた。ほとんどのナイジェリア人は興味を示さなかった。それは、お金やものを寄付するわけではなかったからだった。しかし現実にこのビレッジでは、多くの大人たちが欲と裏切りで奪い合いが始まっていた。このシンプルライフに何かを与えることは、彼らの幸せを奪うことにもなる。かりにも与える事が人に幸せを与えるわけではない。


今、多くの人が考えるドネイション(寄付)は、こういう小さな村を分割させる原因でもあることを知らない。何も知らない貧しい人たちはいきなり与えられた宝物の使い道を知らない。私たちが出来る事は彼らが将来自分たちの力で国を立て直すことに希望を持てる環境を創る事。それは、お金が絡むビジネスの世界からではなく、アートの世界から生まれるものだとわたしは強く信じざるおえなかった。この数日後、この争いが原因でS氏とわたしは、予定よりも早くビレッジを出ることになる。


「かりにも与える事が人に幸せを与えるわけではない。」


Day 11 


午前6:30に目が覚めた。朝起きるといつものように14歳の末娘が木の枝のほうきで庭の掃き掃除と朝食の準備をしていた。昨晩も真っ暗な中、台所の片付けをしていて一番最後まで起きていたのは彼女である。このビレッジの子供たちに自由は許されない。それは、ナイジェリア人の育て方にある。ここでは、一番下の子供が一番こき使われるのだ。親の絶対的権利の上で彼らは、夕飯後、洗い物から始まり掃除をして一番最後まで働き、一番最後に寝る。そして一番早く起き、朝食の用意をする。末っ子は日本では考えられない扱いを受ける。一番若い者が年上への敬いである。一番下が働く、それが小学生であろうと関係ない。(1歳ほどの赤ちゃんをおんぶ通学し、面倒を見ながら勉強している小学生もいる。)そして自分が年齢を重ねると尊敬される。しかし、それは事実である。人間は年を重ねるごとに学び、経験し、成長していく。それを下のものに伝えていく。そして彼らはまた下のものに経験を伝える。人類はその繰り返しで進化してきたはずである。今存在するものは、すべてが当たり前に存在したものではなく祖先が時間と苦労を重ねて作り上げてきた遺産である。それを、私たちは利用させていただいている。ここでの大人は皆責任感を持ち堂々と生きており、常に大人たちが見本なんだということを忘れてはいない。




私は、学校に行く用意を始め、最終日のエキシビジョンの為にチュウリップと、フィッシュを教える予定にしていた。アートを身近に見ることがない彼らのためにあらかじめ用意していた小さなアート作品(NYで、アーティストたちにに折り紙サイズ紙にアート作品を制作してもらっていた)を、鑑賞してから、その紙を使って彼らに折り紙を折ってもらうことにした。彼らには明日行われるエキシビジョンのことを発表し、私たちは、美しいチューリップを折った後、紙の上に貼り付けた。そして、そのチューリップに自分の名前と将来の夢を書くように言った。とても面白かったのは、皆が 書いた夢は、弁護士か医者か先生であった。エキシビジョン用のチューリップ制作が終了し、フィッシュの制作に取り掛かかった。私は少し作り方が複雑なフィッシュの作り方を教え始め数人の生徒はよく出来た。私はその中から5人の生徒をピックアップした。



折り紙を教え始めた日からわたしのホームステイ先に授業が終わってから毎日現れる小さな少年が一人いた。彼は優秀な生徒のうちの一人で、今まで教わった折り紙をひとりで作れることを見せに来るのである。そして新しいものを教えてくれとせがんだ。私が相手にしてあげれなかったり忙しくても、あきらめず暗くなるまで何度も家に足を運んでは折り紙をせがんだ。彼は折り紙を心から楽しんでいた。この少年はいつも学校の制服を着ていて私服を着ているところを一度も見たことがない。シャツはよく見るとボタンもなく、校長先生が言った様に皆だれかのお下がりを着回しているようだった。NYだとほとんど新品の洋服を時代遅れだとかサイズが合わないからとか言う理由で処分してしまうのが普通だろう。もしこの子たちに会うことがあればどう思うのだろうか?



「今存在するものは、すべてが当たり前に存在したものではなく祖先が時間と苦労を重ねて作り上げてきた遺産である。」


Day 12


午前6時に起床。少し早く起きたのは今日行うことの準備が必要であったから。

今日は、私にとってとても大切な日であった。がしかしよく考えるとアフリカに来てから毎日同じように思っていたことに気が付いた。毎日が大切な日だということ。


ここの小学校は小さな小屋に300名ほどの生徒がぎゅうぎゅう詰めで勉強している。もちろん、保健室や図書館の設備などない。わたしが教えたのは一つの部屋で100名以上いる5歳から10歳の生徒たち。10歳前後のある生徒は幼い兄弟をおぶって学校に来ていたり、2時間ほどかけて歩いて登校する為、到着した頃にはかなり疲れた様子の生徒もいた。校長は、親がが年間$50ほどの学費を払えなくて、学校に来てはいけない生徒がいて、それでも学校に毎日通ってくるので追い返すこともあり、そのときは本当に辛いと話した。


今日は、まず、エキシビジョンの目玉の一つでもある「さかな」を仕上げる予定。そしてその後はイグザム(テスト)である。さっそく最終的に色々なものが作れるようになった彼らに、好きなものを想像して創ってもらうことにした。わたしも、どんなものが出来上がるのか楽しみでもあった。だが彼らに好きな物を作るように言うといきなり躊躇しはじめ、あんなに一生懸命に学んでいた生徒たちが、戸惑ってどうしたらよいのかわからない様子でやっと一人の生徒が拳銃を作るとみんながそれをまね仕始めた。思ったより想像をするということは彼らにとって難しいらしく、教えられた事を完璧にこなすことが、彼らに与えられた教育方法であったとわかった。しかしゆっくりとそして確実に子供たちは自分の心と会話しているのがわかった。イグザムは、エキシビジョンの作品制作ということで宿題にすることにした。



彼らが大きな想像の旅をしている間、折り紙を折るのが上手な5名の生徒たちを集め集中できるように教室の外に簡易机を用意した。鶴を折るにはまだ幼い彼らだったが一生懸命集中していた。クラスで選ばれたんだからと小さな体ながら大きな誇りさえ彼らに感じていた。緊張感はあったが楽しそうにそして一生懸命に鶴を折った。選ばれた生徒全員が鶴を折れたときは皆が感動していた。その中にはあの少年もいた。そして今日の午後、ホームビジティング(家庭訪問)に選んだ生徒はこの中の一人で、いつも笑顔で明るく折り紙を誰よりも綺麗にそして速く折れる女の子だった。彼女のお宅を訪問し中学校の教師だという彼女の父親と話をしてわかったことは、彼は叔父で本当の父親ではなく彼女の両親は既に亡くなっているということだった。しかしこの父親は自分の娘と同じように彼女を大事にしていた。



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