30歳何の取り柄もない主婦が改めて自分の人生を振り返った結果、たった1つ好きな事に気がつくまでの話
私が通った産院は、私が生まれたところ。
母が一生懸命、私をこの世に送り出してくれたところ。
せめて、このお腹の子を抱いてほしい。それまで神様、母を連れていかないで!
昼夜を問わず祈るようになった。
ある穏やかな春の日、母は急に目が見えなくなった。
これまでの入院生活を書き記したノートの文字が、ぷつっと途切れていたのが印象に残っている。
ベッドに横たわり、ぼーっとしている母の姿に涙をこらえきれなくなった。
母は手さぐりで声のするほうへ手を伸ばし、「泣かないで」と泣きじゃくる私の頬を撫でた。
死が母のすぐ側まで迫っていた。
その頃私は臨月を迎えていた。
あと1日、あと少しだけ。ねえ赤ちゃん、早く出てきてよ!
そう語りかけるも、お腹の子はいっこうに出てくる気配はない。
目が見えなくなってすぐ、母は私や兄、大切な人達に見守られながら息を引き取った。
60歳だった。
お腹の子は、結局 母に抱かれることは永遠になくなった。
葬儀を済ませた、約1カ月後。
3日3晩苦しみぬいた末に、新しい命がこの世に生を受けた。
よく晴れた、穏やかな朝だった。
誰よりも伝えたかった母の姿は、もうどこにもない。
喜びと悲しみが入り混じった感覚も、育児に没頭するうちに消えて行った。
産後、主人の実家がある関東へ引っ越しを決めた。
故郷は母との思い出が多すぎて、一刻も早く離れたかった。
ただ育児日記には、いつも母に語りかける内容ばかり書いていた。
母さん、今日はこういう事があったよ。
母さん、母さん・・・どうしていないの?
頭では分かっているけど、書かずにいられなかった。
■答えを探す日々
飽きっぽい私でも唯一続いていたのが、日記だった。
書くことで自分を見つめ返す材料にもなっていた。
スマホには日記アプリを入れて、思った事を自由に打ち込んだ。
いつしか、書くことで自分を伝えたいと考えるようになっていた。
自分の言葉で、人の心を揺さぶる文章が書けたら・・
あの日の担任の言葉が頭をよぎった。
「小説家とか物を書く人目指してみたら?」
現代は自分を表現しようと思えば、いくらでも表現できる。
学歴だって関係ない。
私にも出来るかもしれない・・
冒頭でも書いたが、探し続けて辿り着いた場所がココ STORYS.jp だった。
「書きたい」その一心で、文字を、思いを打ち込む。
やっと見つけた、私が本当に好きなこと。
他の方のような成功談ではないけれど、私の人生捨てたもんじゃないって改めて感じる。
今までの経験でさえ今日という日に繋がっているのなら、それさえ愛おしく思えてくる。
生前、母が書き記した最後のページにこんな言葉が書かれていた。
「神様に感謝してね。」
ありがとう、神様。
だいぶ遠回りしたけど、30歳になってやっと見つけることができたよ。
「これからも書き続けていけますように・・」
そう願いつつ、隣で眠る我が子に私はキスをした。
長いのに読んでくださった方々にも心から感謝します。
本当にありがとうございました。
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