毒母の話、私の場合

人生最初の記憶は、母だ。

3歳ごろだろうか?
私はおもちゃを広げて遊んでいる。
安普請な集合住宅の一室だ。
母のスリッパが立てる、バタバタという音がする。
途端に「まずい」という気持ちになる。

母は掃除機を手に、般若の形相。

「なにやってるの!こんなに散らかして!片づけなさいよ!ママ、毎日毎日掃除機かけてるのに!どうしていつもこんなに散らかすの?」

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
泣きながらひたすら訳も分からず謝る私。
その後の記憶はない。




母は毒母だった。




もう少し大きくなった私は、

・友達と外で遊ぶの禁止(汚れるし、「バカと付き合うと勉強できなくなる」から)

・スカート禁止(女の子らしい服は不要)

・その他おしゃれ禁止(母が選んだ服以外は不要)

・ゲーム禁止(勉強に差し支える)

・恋愛禁止(同上)

などを言い渡され、引き出しの中身、日記帳、友達と交換する手紙などすべて母の検閲を受けた。

父や兄がテレビを見ながら倒れるほど爆笑している時でも、宿題や通信教育の課題をすることを強要された。
(なぜ兄のほうは勉強を強要されなかったかというと、文字が鏡文字になったり、割り算が全く理解できない、他の人と同じ行動ができないなど、ADHDもしくはLD的側面があり、母は兄に勉強をさせても無駄と考えていたからだ。)

思春期になりブラジャーを買ってしていると、洗濯の時にワイヤーを抜かれた。
「生意気だ」のひと言で。

その他、服に文具に大事な友達とやり取りしたものなどなど、勝手に捨てられたものはどれだけあるか知れない。

わざわざ家から通えない大学に入り、独り暮らしを始めた時の気持ちはなんとも言えない。

解放感、というよりもそれは母への復讐心に近いものだった。

「ざまあみろ!」

それからは遅く来た反抗期のように、いろんな男の人と付き合ってみたり、黒人と六本木で遊んだりした。

母は2時間かけてアパートにやってきて、めちゃくちゃに怒ったり怒鳴ったり、かと思うと猫撫で声で私を諭したりした。

何年も母に会わなかった時期もある。

自分の中の母を否定したかった。

パニック障害になり、顎関節症がひどくなった。

いつも自信がなく、何か少し否定的な意見を言われると自分の全部を否定されたみたいで死にたくなる、ひとから肯定されたくて変に頑張る、大事だと思っている人から連絡がなくなると捨てられたみたいに感じてふとボロボロ泣いたりする。

今でもあるそんなところは毒母の後遺症だと思う。

30歳を過ぎて自分も母になった時、手を差し伸べた母を最初は拒絶した。
育児の方法をめぐって母をケチョンケチョンにけなしもした。

けれども、孫に対して必死で優しくしている母、グッとこらえて私に反論せずにいる母を見て思った。
母は、私にしたような子育てを繰り返さないように努力してるんだなと。
母は母なりに反省していてカタルシスを得たいのだと。

それは本当に勝手だと思ったし、私の中にはまだ母への憎しみがくすぶっている。

けれども、子供を育てる、という共同作業を一緒にやり直すことで、私も少しずつカタルシスに向かえるかもしれないと感じている。

母を許すことはまず無理だろう。
でもせめて、辛い思いをした自分のことは少しずつであっても許したいと思うのだ。

母の趣味の一つはオカルトや超常現象、秘密結社研究で、変な話なのだが私たち親子はそんな話を唯一の共通点にしている。

「ベンジャミン・フルフォードの新刊出たでしょ?」
「え、知らなかったわ、買わなくちゃ。そういえばこの前はイルミナティの本読んだのよ」

こんな感じ。

なんでもいい、ケンカせずに話せる話題がひとつでもあればいいんだ。

怒りながら泣きながらズタズタになったけれども自分は毒母から生還しただけでよしとする、
母がいま孫にひどいことをしていないことを認める、
そしてせめて、子供が私みたいな思いをしないようにするためには全力でいたいと思う。

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