弟とケンカ、仲直り、そして。

僕には“一生(かずき)”という弟がいました。まわりの連中に、よく似てると言われた弟です。生まれ育った家はとっても小さな家でしたから、三畳の部屋にいつも二人で寝ていました。夏なんかは扇風機の取り合いでよくケンカしましたっけ。親父は漁師だったのですが、僕は都会に出てもっと遊びたかったので、たった一つだけ得意だった絵を描くという能力を盾に、大阪のデザイン専門学校に進む事を親に納得させました。両親は共働きで働いてましたから、資金的に余裕があるわけもなく新聞配達奨学生っていうやつでなんとかOKしてもらいました。その後、“一生”は中学校を卒業すると高校には行かず、漁師を継ぐつもりで遠洋の船に乗ったと聞きました。親の仕事を継がなければいけないという義務感があったのだと思います。僕の方はというと新聞配達しながらの学生生活が結構大変で、一年で挫折。その後いろいろあったのですが、なんとかアルバイトをしながら卒業まで漕ぎ着けました。その後就職したデザイン事務所で知り合った女性と結婚。子供も生まれた頃、母親が肝硬変で亡くなりまして、その一周忌の時、久しぶりに会った弟から「お前は兄貴やない。」と親戚とかが集まる中で罵倒されたのです。自分も自由に好きなことをして生きたいという気持ちは弟にもあり、僕が先に家を出てしまったせいで自分が漁師を継がなければならなくなったのだと恨んでいたそうです。それまでに何度か諍いもあったのですが、僕が長男のくせに家も継がずに大阪に出たものですから、弟に対して引け目がありその時は笑ってごまかしましたが、僕の妻と姑や子供達もいる場だったので、内心はもう無理かもとか思ってました。その後大阪に帰ってからは何事もなく日時は過ぎていきました。そんなある日、家に帰ると妻から「弟さんから電話があってえらい怒られたよ」と聞き、訳もわからずすぐに一生に電話しました。話して聞いてわかったことは仲のよかった従兄弟が漁に出てなくなったこと。その葬式に僕が行かなかったこと。それを強い言葉でなじられたのですが、従兄弟が亡くなったことをその時始めて知った僕はそのショックと弟の訳のわからないいいがかりに思わず「わかった。前にお前が言うとったみたいに、お前に兄貴がおれへんのやったら、俺にも弟はいてへん!今日限り兄弟の縁を切ったる!」と電話口で怒鳴っていました。その後親父からとりなしの電話もあったのですが、どうしても僕は仲直りする気にはならなかったのです、それから7年ほど全く連絡もなにもなく、僕の仕事もいろいろあってあまり思い出すこともなくなっていたのですが、ある日の夕方、唐突にその弟から電話がありました。「いろいろ考えると俺が悪かったようや。悪かった。」そんな言葉を聞かされると思っていなかった僕は少し驚きはしたのですが不思議と当然のように「もうええよ。」と言っていました。やっぱり兄弟なんでしょうね。そんなことがあり、久しぶりに実家に帰って一晩、“一生”と酒を飲んでいろいろと話をして、なんかホッとしたのを覚えています。「今度は子供達も連れて遊びに来るわ。」そう言って笑って別れることができたのです。そして大阪に帰ってからちょうど一週間後の日曜日の朝でした。携帯が鳴って親父から電話、「“一生”が死んだ。」僕は親父の言っていることがわからず「なんて?だれかと間違ってへんか?」そう聞き返しました。「一生が死んだんや!交通事故で即死やった。」親父はそう繰り返すだけでした。思えば10年以上喧嘩ばっかりで二人っきりで酒を飲んだこともなかったのに、仲直りして一回だけ語り合っただけで、そのとたん死んでしまうっていうのは、なんとも切なく、人の命の儚さっていうものが身に染みた出来事でした。

著者の初崎 尚巳さんに人生相談を申込む

著者の初崎 尚巳さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。