愚痴る寄生虫のレシピ ~専門学校~

あの頃はパソコン時代じゃなくてメインフレームというどでかいコンピューター


COBOLという今で言う古代時代の言語でした
クラスは2つ、佐々木とは一緒、野村は別

ずっと勉強してこなかった私ですが、この2年だけはしましたね
学校はもうひとつより下でしたね、もう廃校になってますが
ブラインドタッチもなぜか2年から教えるとか
理解しようと質問してみたけど「そうなってるから」で結局暗記型が多かったな

他の生徒はあまり勉強してなかったかな
佐々木はしてましたが、何故か野村もしてました

それが成績は暗記が多かったせいか、野村、私、佐々木でしたね
野村と私はほぼAで上位、特に野村は情報処理2種の資格も取りました、運と実力がいるんですが

野村は隣のクラスの6人くらいのグループと、私は佐々木とという形でしたが
野村と佐々木とどこか行こうという話しがあってて、佐々木が兄がなんとかだから行かないとなって、そしたら野村が「佐々木っていつもごめんって言わないから仲良くするまい」と
野村の言い方は提案ですけど、相手が私だと決定です
離れはしましたけど、友達作れない私。一人でいるとあんちゃん、みほちゃんという子たちが声をかけてくれました
佐々木は別の男女のほうへ
そこからその中の男性と付き合って就職してすぐ子供ができ、親の豆腐屋は過疎化だし潰れたと聞いただけです

通学は最初3人で一緒に行っていたか覚えてません、野村とバスで行ってました
ある日野村が寝坊して自分の車で行くからと、駐車禁止のだけど車が並んでる一番先に停めました
そしたら違反切符、レッカー移動されて「あんたも一緒に乗ってたんだから半分払って」と無茶ぶり
もちろん下僕だから払いましたけど

野村があそこ行こう、何しようはNoを言わない前提だから命令みたいなもんね、運転は私
あ、免許は専門学生時代に取った
免許発行できない教習所があって、試験は試験場に受けにいく、それで11万で本免1回で通ったら4万バックっていう
本免運悪く雨で一回で通れなくてバックなかったけど

母親に取りに行くからお年玉返してって言ったら、専門学校代に使ったからないと高校終わりからして貯めてたバイト代で行ったんだったかな
そしてあたしが免許取ったら初めて車買った、父親がだけど
ISUZUのジェミニ、マニュアル車
私は交通事故で轢かれることとか多かったせいか、市会議員の運転手の父親が特訓した
兄がバイク買った時、バイクの免許取ろうとしたら親戚皆から「おまえは死ぬから」って結局取らなかったし

父親は兄には特訓しなくてこすってたなー
こすったことも捕まったこともないな、砂利で滑ってジェミニ廃車にしたけど
で、親から100万借りてマツダのなんとかいう車買った

そして野村が広島へカキを食べに行こうという
あたしはカキ嫌いだからというと、酢ガキは違うから
酢ガキも嫌いだからというと広島のは違うから
まあ行きたいだけなんだけど、やっぱ広島でも不味かった
そして帰りに小倉まできて赤信号で停車したら、車3台追突事故の先頭
また車検前に廃車になり3台目購入

幼稚園でも小学校、社会人でも、轢かれるやら追突やら5回?6回?交通事故、過失なし。救急車にも3回乗った
いつからだろう、うつも事故も多いし30歳くらいには死んでるだろうって思ってた
というか、思いたかったのか願望か
思考は現実化するってこういうのはしないのね

専門学校ででも母親は自分の枠内、叩いてでの躾でした
また殴りかかってきたので手をぱしっと取って振り払い「いい加減にせんね」初めての反抗です
母親は160cm、私は170cm小学校でとっくに追い抜いてました
それ以降は叩くのはやめましたが、口は変わりません

何かの時に母親から「あんたなんか生むんじゃなかった」って言われた
あたしは幼い時から「産まれたくなかった、生んでほしくなかった」ってずっと思ってたけど親には言ってはいけないとずっと我慢してたのを、勝手に生んだ親から言われた
怒りで震えて言い返しもできなかったところに兄が通りかかって「お前がそれを言うんかっ!!」って怒鳴った

そして就職、成績はいいけど面接がてんでダメ
そりゃそうだ、友達もできないほど喋れないんだもん

母親はいつも言う「父親とそっくりね、天気の話しでもすればいいでしょ」
自分のできる中のひとつの答えをすぐ出します
小石を払いのけながら
「あの時も続かなかったから無理よ」とか
「人(自分)の言うこと聞かないからそうなるのよ」とか
自分はポジティブ?に見せてる?けど、私にはネガティブな呪文を吐く
暗くてダメな私は父親似
コミュできるし跡取りの兄は自分似
兄はでかすぎてどうにもならんかったし、反抗とかそこそこ遊んだりしてたように見える
ほとんど関わってないからよく知らないけどね

あ、就職は親戚に三菱電機の人がいたから母親に頼んだら本社の試験持ってきた
いやいや、無理無理ーって受けはしたけどもちろん問題のほとんどは解けなかった
いや、小さなって孫会社のITに入れてもらった

面接のときに本当は事務がいいんですがって言ったら失笑された印象を受けた
そこの総務はいつも美人さんだったしね

で、野村が卒業旅行に香港に行こうといった、はい命令です
資金はウェイトレスのバイト代をお小遣いにした残りを貯めてあったんで
手配もスケジュールも全部私がやった、突然あそこ行くとかいうから調べたり英語話せないのにむりやりジェスチャー英語で切符買うのに30分かかったりとかw
で、ブランドに興味ないけど、かっときーよとヴィトンのバック半ば買わされて予算オーバーしまくり
でも面白いのは面白かった。返還前だから今はあんま行きたくないけど
足が大きいしと、オーダーで作ったパンプスは2回くらい履いたらどっちも破けた
ほしくもいけど買ったヴィトンのバックは数回使ってクローゼット入れてたらカビが生えてたw

で、野村は東京に就職して、適当に遊んだら帰ってきて結婚してのんびりパートでもやって楽するからーと大都会に出て行った
東京は就職も多かったし、でも変化が嫌いな私は福岡を出る勇気もなく博多でした

一人暮らしをしようと思ったけど出遅れて物件がなく、見送りとなりJRと地下鉄1時間半の通勤からのスタートでした


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