トルコボランティア記 

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ほんとうにここは海外なのだろうか。



飛行機が空港に到着した初めての感想がこんな感じだったほど、異国に到着したという実感がなかった。

ずっと飛行機で寝ていて目覚めたら着いていた、というのも関係しているのかもしれない。また出発を決めたのが、僅か三日前というのも実感が湧かない理由の一つだろうか。

私はもともとあまり計画性なく行動するタイプだが、今回の渡航も余りに思い切った決断であった。

既に着陸して滑走している飛行機のアクリル板窓から、赤地に白の三日月と五芒星を配した国旗が風にたなびいているのを見て、間違いなくトルコにきたのだと実感がようやく湧いてきたのだった。

目覚めつつある意識の中で、突然の海外行を私に決断させた一通のメールを思い出していた。


日本での日々

当時二十代半ばのこの時期は、普通に会社員として働いていた。

部署がIT部門だったので、平日の主な流れとしてとして社内システムの開発構築があった。さほど大きくない会社の常で、また大企業でも部署間の連携がうまくいってないと本来の業務以外のことも担当させられることが多いが、当時勤めていた会社でもいろいろな事をさせられた。

雑務が増えてくるに従い仕事を集中して行うべく朝は早めに出社していた。終業時間が深夜になるにつれて難しくなっていったが、それでもなるべく早く出社するよう心がけていたのは、まだ他の社員が出社していない中での仕事は自分のペースを集中して行えたからだ。

メールや他部署からの邪魔をされることもないので、朝1時間の仕事の効果は日中の2~3時間や時間の効果にも等しかった。

これはその後転職した時にも当てはまったので、恐らくどの仕事にも当てはまるかもしれない。


その後昨日分のバッチファイルのデータを取り出し、社員が出社してからはサポート業務などに従事していた。

サポート範囲は多く、メールが届かない。印刷できない、PCがおかしい、遅い、アプリが開けない、ファイルサーバから読み込みはできるが、書き込みができない、社内システムがおかしい...対応範囲は多岐にわたった。

昼食後はミーティング、販売サイトの構築、日によってはPBXが置いてある都内のデータセンターに赴くなどやるべき業務は広く、覚えなくてはいけないことも多く毎日が勉強の日々だった。休みの日は寝るだけの忙しい毎日が続いたが、それでも仕事は面白く、外国人も多い会社だったので国際色豊かで楽しく充実していた日々だった。


そんなサラリーマン生活を送っている中、登録していたNGO団体からメールが届いた。地震が発生したトルコで救援活動をしてくれるスタッフを急遽募集との内容だった。医療関係者などの参加が尚更可とあったが、参加条件の中で次の一文が目を引いた。


~地震の惨状を聞いて居てもたってもいれない人~


トルコでの災害は地震多発国の日本では誰しも他人事とは思えないこともあり、生き埋めになった人々を思うにつけ私まで息苦しさを感じていた。そんな矢先のこのメールを見た時点で、既にトルコ行は決まっていた。


退社

というわけでトルコ出発を決めたはいいが、仕事のある身体としては急の休暇(しかも帰国の目処立たず)はとれず、会社に非常に迷惑をかけてしまうが退社して向かうこととなった。

理由を聞いて快くおくり出してくれた上司や同僚には心より感謝している。そうでもなかった人もいるが、実際無責任な行動と取られてしまっても仕方ない。

ただその時はボランティア団体からきていたメールに心を掴まれて、どうあっても出発しようと覚悟を決めていた。 

システム担当だったので何かあればメールで継続の対応することとで了承を得た。向こうでインターネットなどできるのかしらん、とも思ったがネットカフェなどは街にあるらしいので早速退社手続きを行い、翌日からの出発(全く手つかずの状態)の準備を深夜まだかかっておこなう羽目になってしまった。


出発に向けて

時間もなく出発は非常に慌ただしいものだった。荷物少なめに、とのことだったのでバッグ一つに最低限の衣服、常備薬、あとは財布とパスポートのみ持った軽装で、カメラなども持っていかなかった。

何処に日帰り旅行行かれるんですか?

とご近所さんから聞かれそうな格好である。

まだ親と同居していたので、退社、海外渡航、被災地での活動、帰国日不明、という状況を一気に説明してもなかなか理解は得られなかった。当然かもしれない。

しかも当時は夏真っ盛り、地震で亡くなった人びとの埋葬もままならず、疫病の恐れありとのニュース報道が盛んだったので尚更だったろう。

親から言われた言葉を要約すると無鉄砲、無企画、無分別、危険、愚か者...といった事で説得は容易ではなかった。また日本でも困っている人達が大勢いるのに、何故トルコに行くのか?問い詰められた時は返す言葉もなかったが、退社済みという既成事実を説明しようやく解放してもらった。

翌朝、それでも父親に空港行きの駅まで乗せて行ってもらった。トルコへは一緒に赴くボランティア要員と合流して出発というという段取りになっていたので、先ずは待ち合わせの成田空港の場所に向かい、これから行動を共にする仲間を探すことに。一体このような危険に向かうスタッフとはどんな人々だろう。相当経験のある猛者ばかりで邪魔にならないだろうか、と不安を胸に抱きつつ仲間を探すことになった。


仲間との合流

待ち合わせの場所といっても、お互い初顔同士なのですぐには分からなかったが、空港ロビーでようやく最初の仲間と合流できた。このような活動になれた髭面の男を予想していたが、まだ若い女性、しかも女子大生である。

みんなの読んで良かった!