みんなにチョコを配ってた女子からさえも、チョコをもらえなかった男子の話。

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それも、憐れまれているようで・・・気を遣われているようで・・・

たまらなく嫌だったのを覚えています。


その年から、僕はますます

バレンタインデーが嫌いになりました。


翌年以降のバレンタインデーの日、

ギリギリで登校する。

昼休みはすぐ外へ行く。

放課後は、チャイムが鳴るとダッシュで帰るようになりました。


期待しないように・・・

期待する瞬間をつくらないようにしました。


パッとしない小学生生活、

パッとしない中学生生活を過ごしました。



高校生になった頃から、僕の環境はガラッと変わりました。


地元の普通の公立高校に通い始めましたが、

小学校、中学校で一緒にいた友達が進学校にすすんで

友達が変わりました。


小学校、中学校の時の僕は、

目立つタイプじゃない友達と付き合っていました。


「拒否されたくない」

「比べられたくない」

「嫌われたくない」


今の自分を否定したくなくて、

今以上傷つきたくなくて・・・

それが分かり合える友達と付き合っていました。


だから、努力もしないし、期待もせずにいられました。


だけど、そんな自分に飽き飽きしてました。

そして、我慢ができなくなってました。


だから、高校になった僕は・・・


「好きなことを一生懸命やってる」タイプの人間に囲まれるようにしました。


勉強が特別できるわけじゃない。(むしろ、できなかったけど)

部活を一生懸命やってる。

バンドを一生懸命やってる。

そんなタイプの友達に囲まれました。


バレンタイン事件を筆頭に、

「傷つくことはやらない」と決めて

挑戦することを諦めてた僕の感覚が徐々に変わっていきました。


そして、

「どうせ、自分は・・・」という感覚よりも・・・

「これから、自分も・・・」って感覚に変わっていきました。


そして、そんな人間に囲まれているうちに

いつしか「やりたいことを全部やる。」と決めていました。



部活はハンドボールというマイナーな運動部でしたが、

40人のチームのキャプテンになりました。


バンド文化祭にも出ました。


「やりたいことをやる代わりに、やりたくないことはやらない。」

と決めていたので、よく喧嘩もしていました。


先生にも意見をよく言ってましたが、

納得したことはちゃんとやるようにしていたので、先生達からは好かれてました(多分)

(球技大会も、教師のチームにも入れられてました。)




マレーシアへの交換留学の募集にも、立候補して、

海外にも行かせてもらいました。


今までの「傷つかないように生きる」から、

「自分がやりたいように生きる」に変えてから、

今までの学生生活の嘘のように楽しくなっていきました。


今思えば、高校に入学した時に

自分を変えたくて「なりたいタイプの人」に、近づいたんだと思います。



そして、高校3年生のバレンタインデー・・・



当時付き合ってた彼女との待ち合わせに向かう途中に、

後輩の女の子5人から声をかけられました。


先輩、これバレー部のみんなでつくったんで、食べてください。

大きなチョコレートケーキを渡されました。


もちろん、嬉しかった。

だけど、嬉しさよりも驚きの方が大きかった。


だって、

その日がバレンタインデーだってことを
僕は忘れてしまっていたから。




あれだけコンプレックスだったバレンタインデー。


だけど、やりたいことを一生懸命にやって、

幸せを沢山得ていく中でどうでも良いことになってました。


もっともっと大事なものをみつけたから。

もっともっと大事な人達をみつけたから。


あれから、16年が経った今でも・・・

僕の生き方にこの経験は活かされています。


決して、いじけないこと。
やりたいことをやるために、必死で努力すること。
辛いことも、笑い話に変えられるような未来をつくること。


そして・・・





素晴らしい人達と、一緒にいること。

素晴らしい人達に、「一緒にいたい」と思われる自分でいること。


そうしていれば、僕はいつまでも楽しくいれます。

そうしていれば、僕はいつまでだって成長し続けていけます。





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