本をつくりたい

1 / 2 ページ

本をつくりたい。口では言いつつ本気ではなかった。


気づいてない

大学3年生の時、他の企業よりエントリーシートを書くのが大変という理由で出版社を受けることから逃げた。

名の通った企業に入って、普通に働こう。たまたま細野真弘さんの経済のニュースがよくわかる本にはまり、お金を扱う仕事が面白そうだと思い証券会社に就職した。



東京都内の営業店に配属され、朝から晩まで電話や飛び込み訪問をした。

「突然すいません。〇〇証券の西川と申し・・・」名乗る前に切られたり、話そうとすると「結構です。」と相手にしてくれないのが大半だった。

すぐ切られることを乗り越えても、第2の壁が現れる。「わからないし、お金が減る可能性あるんでしょ。いいです。」説明するから話を少しでも聞いて欲しい、だがだいたいは容赦なく切られる。

得体の知れない奴から、わからない商品を勧められるのだから断りたくなるのもわかる。

「わからない」というのが大きな壁だった。興味がないのに言われても聞く気にもなれない。

でもなんで普段使っているお金のことなのに、投資という言葉になると興味がないのだろう。

株や債券、投資信託聞いたことはあるけどよくわからない、私も就職するまでは同じだったが、入社したての新人でも少し知識がつくだけで全然違った見方になっていた。もちろんリスクはある。しかし一人一人自分の状況と嗜好に合わせて保有した方が定期預金より良いと思うのに何で知らないのだろう。

普通に暮らしていると投資について自分から興味を持たないと触れる機会がないからじゃないか。学校では教えてくれないし、本も難しそうなビジネスや経済の棚にしかほとんどない。

なんで漫画とか小説とかで金融知識を少しずつ身につくようになってないんだ。

出版社に入って、若者に少しずつ金融知識を擦り込み、将来証券会社の新人が電話した時「その債権利率低すぎて魅力ない」を断られる理由一位にしたい。そんな妄想を配属されて半年ほど経った時からするようになっていた。


願えば叶う

1年目、営業成績は散々だった。

1年目の冬休み、東京駅で「すぐ乗れる新幹線の切符ください。」大阪行きだった、一人でどこかに行きたかった。

大阪を適当に観光、ドリカムの大阪LOVERを聞きながらビリケン様の足を触る。一人じゃ東京タワーに勝てないよ。炭酸を一気に飲んで色々考えるのをやめた。

その夜、一人はさすがに寂しいので、どこかで飲んで人と話をしたいと思いバーに行くことにした。大阪駅近くを歩いている途中で見つけたバーにUターンして、ちょっとドキドキしながら木の棒が取手の扉をゆっくりあけた。そこには、二人のバーテンさんとお客さんが一人いた。とりあえずビールを頼み、ちびちび飲んでいた。女性のバーテンさんが話しかけてきてくれ、どこがオススメスポットか相談した。

鈴虫寺という凄いお寺があると言う。有名なお寺らしいが知らなかった。そのお寺でお願い事をすると願いが叶うというのだ。嘘だと思ったが、そのバーテンさんが実際に行って叶ったというのだ。なんでも、某アイドルに東京で会いたいとお願いしたら、旅行で東京にいる時に居酒屋で遭遇し最終的に一緒に飲んだというのだ。本当なのか、本当なら行くしかない。翌日朝一番で鈴虫寺に向かった。そこは京都駅からバスで40分ほどの山のなかにあった。少し急な石階段の上にこじんまりと建っていた。



一年中鈴虫の鳴き声を聞けるお寺だった。参拝客はお坊さんのありがたい話を聞き、帰りに草履をはいたお地蔵さんにお願いごとと住所を伝える。すると、そのお地蔵さんが願いを叶えに家まで来てくれるのだ。私はそこで「何でもいいから、1日でもいいから同期で1番になりたい。」そう願った。



お地蔵さんは来てくれた。2年目の4月に法人との大きな取引が決まり新しい資金を入れるという部門で同期1位になった。そして、半期が終わる直前に抜かれた、さすがお地蔵様願いどおりです。そのおかげもあってか、9月に名古屋に転勤となった。

初めて過ごす名古屋では休日は本ばかり読んでいた。そんな時に岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」と出会う。



“危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。”(「自分の中に毒を持て」著岡本太郎 青春文庫 p28)

一冊を通して、岡本太郎さんが安全な道か危険な道か岐路にたった時、常に危険な道を選び鮮烈に生きた人生が描かれていた。

正直証券会社はつらかったけれど、大きい企業で給料も良かったので続けていれば何不自由はない。

自分の危険な道を考えた時、本をつくりたいだった。

何をやりたいかこれまで振り返った時に、ターニングポイントに本が大きく関わっていることに気づいた。

小学校の野球は補欠、中学校のバスケも補欠。練習に出るだけだった。

みんなの読んで良かった!