何度後悔しても懲りないバカの半生の話(7)
期待に胸躍らせるだけの僕は頭カラッポだった
高校生活には何の不安も抱いていなかった。
むしろ小学校から中学校に上がる時よりも、その時が楽しみですらあったのだ。まだ見ぬ友人たち、それに、女子高生達とお近づきになれるチャンスがあるかもなどという下心。友人たちのおかげで学校の楽しさを知った僕には、春からの新生活に心配などまるでなかった。
当時家計の心配など全く気にも留めていなかった僕は、金融公庫から一体いくら借りて、どういった返済計画を立てて、母が僕を私立高校へと送り出してくれたのかなど全く知らなかった。知らぬまま、一部の答案を白紙提出という非常になめきった態度で入試を乗り切って、金だけ積めば入れるような私立高校への合格を無事に果たした。
高校というものは義務教育の延長のようなもので、皆が思い思いの高校へ進学するんだろう。勉強などしなくても私立は入れるらしいから、今の自分で入れる学校へ行こう。そう漠然と、友人の何人かが併願した私立高校を、僕も選んだに過ぎなかった。
今にして思えば下らない動機。
自らの将来の事も考えられない人間が、そうして自分がのほほんとしていられる理由や、ありがたさにまで深く思慮を巡らせることなんてあるわけもないのだ。勉学ばかりか社会の構造について全く無知で、なおかつ勉学に真面目に打ち込む気概もないくせに、無駄に授業料も入学金も高額な高等学校を、僕は思考停止のまま選択した。
売り上げのほとんどが常連客に支えられていた母親の飲み屋も、すでに傾きかけていたのも知らず。
だからこそ、だったのだろう。僕を高校へと送り出すために、不摂生から来る様々な病魔に蝕まれつつあった母は、それでも無理を押して毎晩店のカウンターに立っていた。
適応失敗、やがて追い抜いていく友人
僕の高校生活を語る上では、破天荒キャラというか、台風の目そのものである親しい友人。
その<M君>の存在は欠かせないのでざっと紹介させて頂く。
M君は小学生の頃はいじめられっ子だった。
一度やり返してみたところ、あっさりといじめっ子の鼻っぱしらを文字通り叩き折った事から自信をつけ、彼の小学生デビューが華々しく始まったらしい。
他人のウィークポイントを蛇のようにしつこく、多角的にいやらしく責め立ててイジり抜いては、ゲラゲラと屈託なくクラス中に響き渡るほどの大声で笑う。こうして文章にしてみれば、どうしてこんな奴と友人になったのかは自分でもわからないほどだが、一緒に半グレにカツアゲされたり、喧嘩してみたりしてから仲良くなった友人だ。
彼とは中学の頃からの同級生であり、野球部の中では先輩・同級生・後輩など、幅広い年代と頻繁に揉め事を起こしては、その全員と一度ずつ喧嘩してきた豊富な実戦経験からか、高校に上がってもM君はその勢いのまま、学校のナンバーワンを取ろうと意気込みんでいたようだった。
同じ高校に上がってからというもの、M君と中学の頃以上にちょくちょく一緒に居たのだが、僕らを除いたクラスメイトの大部分は、みな同じ中学校からやってきていて、すでにそれぞれのコミュニティは完成されつつあった。そこに馴染めずにいた僕らは少数派であり、次第に新たな交友関係を少しずつ紡いでいくクラスメイト達を尻目に、少し居心地の悪い高校生活を余儀なくされていた。
やがて僕は、手軽でほど良い距離感のクラスメイトを捕まえて、中学の頃から比べれば最低限度といってもいいような付き合いの浅い友人を何人か作った。だがM君は一般ピープルグループにもオタクグループにも適応できず、あまり高校生活を楽しめてはいなかった僕以上に、とても居心地悪そうにしていた。
M君はクラスのヒエラルキーの頂点に位置するイケイケグループに従属することもなく、それどころか彼らの挨拶程度のちょっかいに対しては、触れたものみな傷つけようという鋭さで一触即発になる事もしばしばだった。
M君とは同じサッカー部に加入したのだが、これも友人が少なかった僕は、一番気兼ねなく話せたM君がそこに入部したからという理由に流された。当然、堂々のサッカー特待生などがひしめく部の中にはイケイケグループの多くが所属しており、僕もM君も馴染めずにいて、特に僕は彼らの顔色を伺うようにして過ごしていた。
やがて、M君とイケイケグループ達との確執が決定的になったのは、部活動の最中だ。
練習中、M君と一人のクラスメイトが掴みあいの喧嘩になった。
派手に殴りあったりはしなかったものの、諌めようとする相手の態度を逆なでするようなM君の狂犬ぶりに、そのクラスメイトもちょっとマジになってしまったようだった。やがて喧嘩の場は収まったのだが、その後のM君の対応が良かった。
すぐに彼のほうから、クラスメイトに謝ったのだ。
その時の僕は、M君が喧嘩をした理由など全く知らなかった。
いつものように短腹を起こしただけなのだろうと、そんな浅い考えでいた。
だが僕以上に勉強が弱く、僕のようにクラスに順応しようともせずに、ただただ孤立を深めていったM君の本当の価値を、そこで見逃していた。
どんくさい僕の事を少し悪く言ったクラスメイトの発言に対して、M君が食ってかかったのが喧嘩の発端だったのだという。僕がこの事実を知るのは、それから10年ほども経ってからだった。
彼は<自分>をしっかりと持っていたのだ。
多数に否定されるのが怖くて、自分を押し殺して、周囲に流されるだけだった僕などとは違う。
友人のためにすぐさま行動できるM君が、そこから信頼を得ていくのは当然だった。
たった一度ぶつかり合っただけで、100の言葉以上にお互いの事が理解できたのだろう。それからというもの、喧嘩相手になったクラスメイトがパイプ役となって、M君はイケイケグループの中でも中心的な存在へと担ぎ上げられていく。
そういうものなのだと思う。みんな、知らない相手の懐に踏み込むのも、踏み込まれるのも怖いのだ。だからその距離感を測り、少しずつ詰めていくためにも、時には勇気が必要なんだろう。
かくして、元々幅広い人脈をそこに持っていたでもなく、弁の立つトーク力を基盤とした訳でもなく。僕が言うところの<ヒエラルキーの頂点>たる存在の彼らに、M君は自分を曲げず、ただ度胸だけでぶつかっていった。そうして、そこで彼もまた仲間として迎えいれられたのだ。
M君が交友関係を切り開いてくれたにも関わらず、僕はそれに適応していくことができずにいた。
ただM君の友人だからというだけで、彼らは一緒にいる僕をも友人として認めてくれるほど甘くない。自分自身がどういう人間なのか、それを知ってもらおうと努力すらしないただのクラスメイトなど、ただそこに居るだけの存在でしかなかった――居心地の悪さには、惨めさすら感じていた。
付き合いの浅い友人たちと上辺だけの会話を交わして、僕はそれなりの交友関係を過ごす。
ある意味では、短い期間でそんな人間関係を作り出した僕の方が、M君より器用なタイプだったのかも知れない。自分の内面を小出しにするやり方では、深い人間関係を作り出すにも時間が必要だったが、当時の僕は交友関係を広げていくことに自信を失っていたので、そうすることもしなかった。
一方で、博打のようなオールベットに成功を収めたM君は、一度おっぴろげてしまった自分を隠す必要もなく、傲岸不遜で、唯我独尊で、天真爛漫な彼のキャラクターはそのまま受け入れられていった。
「そしたらこいつ、いきなりキレ出すんだもん!」
「あはははは」
少しだけ遅咲きだったが、本当の高校生活を謳歌し始めたM君。
授業の合間、駄弁るクラスメイトたちの中心で手を振る彼の存在は、次第に遠くなる。
自分にもあったそんな時期を思い返せば、引き比べてより辛くなるだけだった。
僕らが中学生の時には、学年それぞれが40人未満の1クラス。
そんな和気藹々の狭い温室の中で培ってきた程度の僕のコミュニケーション能力だけでは、もう学生生活を送っていかれなくなっていた。誰とでも仲良くしていけると思っていた自分が、少しやんちゃな不良グループだとかに流されるまま、不器用な愛想笑いを繰り返すことしか出来ない。
そうして、息苦しさを感じた僕は、再び不登校になる。
僕の人生の凋落の兆しは、この時にあったのだ。
形振り構わず振舞って、もっと必死になっていれば。
考える頭を使って、自分以外の事にももう少し頭を巡らせれば。
ダブって恥ずかしい思いをしてでも、食らいつけばよかったのに。
もっと普通の人生だと胸を張れる今を、僕は手に入れられていたかも知れない。
入学の翌年、新年を目前にした12月のはじめだったと思う。
度重なる遅刻、無断欠席。
単位が足りなくなった僕は、付き添った母親とともに、学校側へ自主退学を申し入れた。
「やめんのかよー!根性無しー!」
校内で出くわした友人の一人はそう言っていた。
あるいは、彼らは本当に残念がっていてくれたのかも知れない。
僕だけが一人勝手に、彼らの前に壁を作っていたのかとも。
日も暮れたころだったか。
帰りのタクシーの中で少しだけ暗い面持ちをしていた僕をよそに、運転手に向かってあっけらかんと話していた母の言葉は、さすがに僕の胸に刺さった。
「この子学校辞めちゃったんだよ、もったいないねぇ」
そう言って笑う母の語気には、少だけ寂しさが滲んでいたように思う。
こうして僕は、ただ自分勝手に振舞って、無駄な銭をどぶに捨てさせたのだ。
元々恵まれた経済状態とは言えない家計には、それが大打撃となって後々へと響くのは必然。
我が家の台所事情を省みることもなかったその時の僕は、母への謝罪の言葉一つ口にしなかった。
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