意識改革したい

宗教も自己啓発的なものもきらい。なにかに意識を支配されるのではなく、私は自分の頭でものを考えたり、選んだりしたい。責任をなすくりつけたり、なにかのせいにして後悔したくない。すべて自分のせいで、なにごとも自分が納得できるまで考えつづける必要がある。悩むことは私にとって必要なこと。ずっとそう思ってる。でも結局私はなにかに常に影響を受け続けてしまう、ずっと何かの受け売りのままだ。他人の言動に一喜一憂し、芯がないまま流されて生きてる。むしろ自分というものがないことを自覚しているから、ずっと求め続けているのかもしれない。

自分の考えを話すこと、書き出すことで私は自分の気持ちを整理する。直感だけで行動するとああすればこうすればと後悔してしまったり、誰かのせいにしたくなることがある。私はバカだから他人よりもっと努力しないと人と同じようには要領よくできない。計画をしていても計画倒れになる。でも計画をたてていたことによって「がんばったけどだめだった、しかたなかった」と諦めることができる。

なるべく多くの他人の意見を知りたい。知識・教養を得たい。知らないことをなくすのは不可能でも、目の前にあるものには興味を示した上で取捨選択したい。無知は罪になることもある。なにかを知らないことで選択肢を狭めるということをなるべくしたくない。

私のいけないところは、他人は他人とわりきるのが下手で、他人に勝手に期待したり求めてしまって失望するところだと思う。

"他人は変わらない、自分が変わるしかない"というのは真理だと思う。これは本当にできていないことだけれど、他人の行動にイライラしたり、どうしてこうなんだろうと思い悩むのは本当に無駄なことだと常に気づかなくてはいけない。私が中心でまわっている世界ではない。私が支配できるのは私だけ。自分の意識を変えていくしかない。それを意識していこうと努力をしなくてはいけない。


「もううんざり……彼氏に無性に腹がたつ」という状況を打開するのにはシャドウと向き合うことが大切(http://risounokareshi.com/blog-entry-627.html)という記事を見つけて、少し腑に落ちた。気になって"シャドウ"について他にも少し調べてみた。

どうしても苦手な人種、生理的に受け付けない人種がいる、例えば親のお金で大学に行って遊びほうけていたり、ヤンキーや不良と呼ばれる人たちが苦手。人の悪かった自慢や、充実していた自慢、円満自慢、武勇伝もなるべく聞きたくない。私はずっとくそまじめに生きてきたつもりだけど、そうやって抑制していた、自分ができなかったことを何不自由なくしている人を見たくないのかもしれない。普通の家庭、大学生活、不良に憧れて嫉妬しているのかもしれないと思うときがある。ただの劣等感かもしれないし醜い感情だと思うけど。

でもあれはいやこれはいやと自分と違うものを拒絶したり排除しようとしているだけでは視野がせまくなるだけなんだよね。大人だし、いろんな人がいるな〜と達観して笑って流せるようになりたい。

解釈が間違っているかもしれないのでまた調べたい。


話少しずれる。もうずっと何年も前からネット上では自分のことを"翳"と名乗ってきた。読めないとか中二くさいといわれても気に入っていて結局変えられない。

普段生活している私も私で間違いないのだけれど、私は人に悪く思われるのがとても怖いから、あまり自分のことを話せないし、いつもまわりの顔色を伺ってしまう。矛盾しているのはわかってるけど自分の良い面ばかり見せてそれを気に入られたところで違和感を感じる。だからせめてネット上だけでも飾らない自分でいて、それをもし認めてくれる人がいたらそれが本当にうれしい。リアルでは自分の影の部分まで知っても嫌われないという自信はないけど、それが叶ったらどれだけ楽かなって願望。


私は"同族嫌悪"をおこしてしまいがちなのだけど、それとは少し違うかもしれないけど、他人(特に親しい人について)は自分の投影だ思うことがあった。例えば、相手の気持ちがわからないときに自分がどう思っているか考えて、自分がその人のことを憎いと思っていれば、相手も自分のことをきっと憎いと思っている。相手の気持ちが信じられなかったりしても、自分が相手に好意をもっているということはきっと相手もそうなのだろうと思うようにしている。いくら考えても他人の本当の気持ちを知ることは不可能だし、自分の捉え方次第なのだと思う。

逆に相手の態度から自分のことを嫌いなんだろうなと感じることがあっても、その人のことを嫌いになるのは時間がもったいないのでどうでもいい存在として認識するようにしたい。怒りと復讐心はなにも生まない無駄なものだと私は考えてる。それでも私は不完全だからそれに支配されてしまうことはあるけれど、そういう瞬間を少しでも減らしていきたいと思う。

"天井に吐いた唾が自分にかかる"みたいな感じ。好意は返ってくるし、憎しみやいらだちも自分に跳ね返ってくる。愛されたいのなら、自分が他人に愛情をもって接するしかない、難しいけれど見返りを求めるのではなく。

自分に余裕がないとき、私は今まで考えたことを忘れてしまう。余裕をもつために娯楽がある。暇を潰すとか、現実逃避とかでなくて、自分を豊かにするために余暇を使いたい。(意識高いといわれてしまうのだろうか)無理をしないようにしたい。自分をいい方向にもっていけるように自己暗示したい。

昨日も友だちと話していたのだけど、私はポジティブな根暗なのだと思う。うまくいかないことばかりだけれど、解決したくて悩むことは悪いことじゃないと思う。

私は自分のこと本当に心の底からだめ人間だと思うしコンプレックスだらけだけど、ある意味ではナルシストで自分の弱いだめな部分含めて自分だと受け入れたい。だから他人でも根暗だけどポジティブな人が好きだし、そういう人にとても共感する。いつも悪意はない、誠実さだけは絶対守っていきたい。


文章としてまとまっているかといわれると多分意味不明な文章になったけど.. なにがいいたいかわからないとかいわれるのはいつものことで、自分で納得するために書いた。自分自分と自分語りばかりになるけど時々こうやって向き合うと少しは気持ちも落ち着くし人にも優しくできるはず(自己暗示)

多分だれひとりとしてこんなん読む人はいないのでどうでもいいのだけど、もし最後までなにかの間違いで読んでしまって後悔している人がいたら本当に実のない文章でごめんなさい。三十路前の痛いおばさんの戯れ言だと思って笑い飛ばして忘れてください。おしまい

みんなの読んで良かった!

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