私の回りにいる人は必ず幸せにするわよ
一昨日からうちに来ている親戚が言った言葉が心にぐっときたので記しておきます。
その前に少し身の上を説明します。
私は今発展途上国であるフィジーに留学している高校三年生です。
此方の国に渡って、1年と半年が経ちました。
では本題に入ります。
私が暫くお世話になっているホストファミリーの家に、一昨日からファミリーの親戚のスポーツ選手、ルーシーがやってきました。
彼女はフィジー代表のネットボール選手のキャプテンを務めています。
私たちのいる町で、金土と高校生の試合があるらしく、彼女がボランティアで教えている母校の高校も参戦するとのことで、宿がわりにしにきたようです。
初めて私が彼女と家であった日、午後のティータイムの後で、彼女は子供たちを見に行く。と言いました。
明日の試合へ向けたミーティングも込みだったと思います。
私はカメラマンとしてついて行きました。
彼女の教え子たちが宿がわりにしている学校についてすぐ、私は驚きました。
どこからともなく「ルーシー!」と呼ばれていて、とても彼女は人気でした。
皆一人として、彼女は教え子たちを親友のように扱っていました。
そして彼らも、お互いの個性をむき出しにしてミーティングに望んでいました。
そこでふと思い出したのが、アドラーの心理学では、縦の関係を頑として許さない。ということです。なぜなら、先生が生徒を誉めたり、怒ったりすると相手は誘導されてしまうからです。
馬を水辺に連れていくだけで、水の飲み方は教えない。
貴方はできる。ということを教えてあげる。
彼女は立派な教育者だと思いました。
ミーティングの最中。といっても井戸端会議みたいなものでしたが。
お祈りや、懺悔や、歌や躍りをしました。
一人としてつまらなさそうな子供はいませんでした。
皆が笑って、真剣に相手の話を聞いて受け入れて、もし反論があれば伝える。
これは、漢文の教えでもありました。
同じ高校生なのに、今まで生きてきた自分の人生では教えられなかったことです。
本心は羨ましかった。
帰り道、どうして貴方の回りにいる人は皆楽しそうなの、と聞きました。
彼女はにこっと笑って、
私の回りにいる人は必ず、幸せにするわよ
もちろんアナタもね
と言い返されました。
彼女が私をあの場に連れていってくれたことも、私にとっては彼女の幸せの定義の一つだったのだと思います。本当のところは分かりませんが。
アドラーの心理学では、フロイトの説いた今の自分が過去のトラウマからくる因果論とは違います。
いいわけを作って逃げるな。
万人は幸せに生きることができると言いました。
元々不登校だった私は、親に構って欲しかったのかもしれません。
下らない嘘つきでした。
自分以外の何者かになりたかったです。けれど、そんな自分を受け入れて、ルーシーのように相手までみる余裕ができればなと今は思います。
文章には慣れていないので、読みにくくなってしまい申し訳ありませんでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
貴方がこれから先も暫く幸せに過ごせますように。
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