最低の兄貴、なのか?
最寄りの駅に着いた。
そこには迎えに来てくれた妻が待っていた。
妻を見た瞬間、
また耐えられなくなってしまった。
自分で書いていても情けないが
文字にするならそのようになる。
涙がこぼれてきて、
妻に抱きついてしまった。
車に乗り込んで病院に向かう。
車に乗ると少し落ち着いて
「は〜なんだかな〜」「マジか〜」
みたいな事を落ち着いた口調で口走りながら
病院に向かった覚えがある。
ようやく、少し思考が落ち着いて
「俺は弟の生前に何かしてやれたのかな?」
「なんにもしてあげられなかったな」
なんて思いが湧いてきた。
弟が高校1年の時、俺は大学大学3年だった。
その頃の記憶がふと蘇る。
弟は県内一バスケが強い学校で
バスケに専念していた。
実力も成果も中途半端な兄貴とは違い
県内一番の学校で、しっかりと通用している様子だった。
俺が大学2年で、弟が中学3年の時、
社会人バスケで一度だけ一緒にバスケをした事があった。
さすがに負ける事はなかったが
大人の中でも通用しているスキルと
身体能力の高さに驚かされた。
「こりゃ、同じ年齢だったら100%俺の負けだな」
と認めざるを得なかった。
そんな弟は恐れる事もなく、県内一
バスケが強い学校へ進学した。
それだけでも自分の器では考えられなった。
ただ、朝練が自宅から始発の電車でも
間に合わないほど、早朝から行われていた。
弟は1年なので、遅刻は許されないため
親が毎朝、車で送っていた。
ある日、両親とも朝に家におらず
困った弟が早朝に俺を起こした。
「悪いんだけど、学校まで送ってくれない?」
まだ朝5時である。
大学生活で堕落しきっていた俺は
早朝5時に起きるなどありえなかった。
別に弟のせいでもないのに
かなり不機嫌になりながらしぶしぶ車で
1時間の距離を送って行く事にした。
往復2時間だ。
早朝5時から往復2時間、寝たいのに
マジで勘弁してくれって感じで
本当に不機嫌で嫌な兄貴だったと思う。
思い出されたのはそんな記憶だった。
あいつが生きている間に
一体、俺は何をしてあげられてたんだろうな。。。
そう考えると虚しい気持ちになった。
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